甲子園Vの智弁和歌山を作り上げた「驚異の練習法」 | FRIDAYデジタル

甲子園Vの智弁和歌山を作り上げた「驚異の練習法」

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21年ぶり3度目の夏の甲子園制覇を果たした智弁和歌山。同校は今年東大8人、京大15人の合格者を出した進学校でもある(画像:共同通信社)
21年ぶり3度目の夏の甲子園制覇を果たした智弁和歌山。同校は今年東大8人、京大15人の合格者を出した進学校でもある(画像:共同通信社)

決勝で初の「智弁対決」となった、第103回全国高等学校野球選手権大会(8月29日)。「和歌山」(智弁和歌山)が本校の「奈良」(智弁学園)を9対2で圧倒し、21年ぶり3度目の夏制覇を果たした。

春夏あわせ39回の甲子園出場をほこる智弁和歌山だが、決して恵まれた環境にあるわけではない。100名以上の部員を要する強豪校もあるなか、同校は39人だ。1学年は10人ほど。県外からの生徒も少なく、中谷仁監督ら関係者がボーイズリーグなどに自ら足を運び選手をスカウトしている。限られた条件で、なぜ全国制覇を成し遂げられたのだろうか。背景には、驚きの練習と工夫があったーー。

「前任の高嶋仁監督は、ピッチングマシーンを最速160kmに設定していました。そんな超高速ボールと140km超のスライダーを、選手は長い日だと約2時間打ち続ける。他のチームがマネしても、2週間で音を上げてしまうそうです。

しかし高嶋監督は打てるようになるまで、半年かかろうと1年かかろうとやらせる。だから選手が、試合で相手投手を見て『遅い』と感じることはあっても、『速い』と気後れすることはないんです」

こう語るのは、智弁和歌山野球部を何度も取材したノンフィクションライターの中村計氏だ。18年8月に勇退した高嶋監督は、70歳を過ぎても指揮をとった闘将。甲子園通算勝利数は監督として歴代最多の68をほこり、智弁和歌山が全国屈指の強豪となる礎を築いた。

「大会前も相当な練習量を課しました。練習試合がある日でも学校に帰ってからトレーニングをさせるなど、鍛えに鍛えるんです。甲子園に行ったら練習場の割り当てが2時間しかないので、練習量が途端に減る。そうすると身体をいじめていた分、スッとラクになる。高嶋監督は『和歌山で苦労し甲子園で強くなる』と話しています」(中村氏) 

史上ワーストの7失策で監督辞任騒動

智弁和歌山にも低迷期があった。11年夏から甲子園で白星があげられない。15年夏の対津商(三重県)戦では、同校史上ワーストの7失策で初戦敗退。直後に高嶋監督が、「体力低下」を理由に辞意を表明する騒ぎとなった(後に撤回)。

「高嶋監督も『何かを変えなければいけない』と悩んでいたようです。そこで招聘したのが同校OBで、楽天で捕手として野村克也監督からデータの重要性を学んだ、現監督の中谷仁さんでした」(スポーツ紙記者)

17年4月に智弁和歌山のコーチに就任した中谷氏は、試合のたびに「なぜ打てたのか、なぜ抑えられたのか、1球1球の意味を考えろ」と選手に求める。そうして得たデータの蓄積から「相手打線に左打者が多い時の攻め方」「カーブを得意とする投手の攻略法」など試合前に具体的な戦略を立てるようになった。中谷氏招聘後、高嶋監督は親しい記者にこう語っている。 

「これまでは『勝つ気あるんか!』と声を荒らげ、結果ばかりにこだわっとった。時には、厳しい指導をしたこともある。今は怒鳴ることは、ほとんどない。試合前の準備と対策を重視しているんだ。(中谷コーチという)いい軍師を見つけられました」

智弁和歌山の選手は、毎日腹筋背筋を1000回以上、素振りは1000スイングをこなす。徹底した基礎練習に裏づけされた自信と、各選手が自ら考え抜いたデータが、全国制覇という偉業に結びついたのだ。

  • 写真共同通信社

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