2億の借金を5年で完済…千葉真一「秘蔵写真」で振り返る壮絶人生
追悼 新型コロナウイルスによる肺炎のために82歳で死去 ハリウッドにその名を轟かせた「アクション映画界のレジェンド」
「男のシンボルが元気であるというのは大切なことなんです。『使わないと退化するぞ』と高倉健さんにだいぶ言われました。いざ出陣となったらいつでも役に立つ。それが今も持続しています」
新型コロナウイルスによって8月19日に急逝した俳優・千葉真一(享年82)は、本誌が’18年1月に行ったインタビューでも、冒頭のようにバリバリの”現役”だった。
当時78歳ながらこうも語っている。
「『なんでこの歳でできるんですか』と言われるけど、15分は平気だもん。女の子に喜んでもらえるのは嬉しいじゃない」
当然のことながら、若かりし時代のエピソードは尽きない。当時のインタビューでは「芸能界に入るまでは童貞だった」と告白していた。学生時代はオリンピックを目指す真面目な体操選手だったのだ。日本体育大学を中退して、’59年に芸能界に入ると、そこからアクションスターへの道をひたすら歩んでいく。
「ドラマ『キイハンター』(’68年)で、滑走路を進んでいくセスナ機をクルマで追いかけて機体に飛び移るというシーンを、千葉さんがスタントマンを使わずに撮影した伝説は語り継がれています。映画『やくざ刑事』(’70年)で崖(がけ)から落ちていく車から脱出して海に飛び込んだり、テレビの企画で京王プラザホテルの屋上からザイル1本で地上に降りたこともありましたね」(スポーツ紙芸能デスク)

’78年には経営するレストランの不振で、2億円の負債を抱えたことも。運営を任せていた親族が高利貸から借金を重ねていたことが原因だった。千葉は仕事と金策に奔走し、わずか5年で完済した。
’79年には映画『戦国自衛隊』に主演し、アクション監督も務めている。
「自ら片手にカメラを持って馬に乗りながら、身体を鞍(くら)から投げ出して撮影していたそうです」(前出・デスク)
その後も『魔界転生』(’81年)など数々の大作に出演。’07年には芸名をJJサニー千葉に改名して世間を驚かせた。JJはJustice・Japanに由来する。
名優・若山富三郎の長男で、千葉とは40年来の付き合いがある俳優の若山騎一郎はこう振り返る。
「つい最近でも、欠かさずトレーニングをやってましたね。千葉さんは『肉体は俳優の言葉である』という信念のもと、五感のすべてで演技する役者でした。晩年も映画へのこだわりは強かった。どんな作品でも気になったら、映画館に足を運ぶ。7月3日に会った際は、『水戸黄門』をやりたがっていました。助さん、格さんは、『自分の息子たちがやってくれたら嬉しい』って。あとは『新渡戸稲造をやろう』とか、『柳生十兵衛が死ぬところを描いた作品を俺がやるんだ』と熱く語っていました」
こんなスターはもう二度と現れない。


『FRIDAY』2021年9月10日号より
撮影:川柳まさ裕 小松寛之