「眞子さまの結婚に祝福を」皇室ジャーナリストの願い
「結婚はふたりの問題」秋篠宮家の教育が結実した
「眞子さま、結婚なさるのね、よかった。ほんとうによかったです」
こう言って、眞子さまの結婚を寿ぐのは、皇室ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邊みどりさん。渡邊さんは一貫して「眞子さまの結婚」に「賛成」の立場で発言をしてきた。不安視する国民の声や、匿名の「関係者」「皇室ジャーナリスト」が多いなか、「賛成」を公言してきたのには理由がある。
「まず、眞子さまは今、ほんとうにあの方がお好きなんですから、その気持ちを大切に思います。ただし、ひとつだけ条件が。ご結婚の際に用意されるお金はけっして少なくありません。それを受け取らず、若いふたりが力を合わせて生活を立ててゆく、その覚悟ならば、なにも恐れることはないでしょう」
眞子さまの結婚に際し支払われる一時金は、1億3000万円ほど。しかしこれを「辞退する」お考えだという。また、結婚のさまざまな儀式も行わないと報道された。
「それでよろしいのです。それなら、一時金目当てなんて言われずに済みますから。コロナ禍に華美な儀式をしないことも、とても正しいご判断でしょう。もちろん、そうはいっても警備やなにかの負担がまったくないということはありませんが、それでも、こんなに潔くシンプルに皇室から民間に出て、新しい家庭を築くという旅立ちです。素晴らしいことだと思いますよ」
お相手の小室圭さんはアメリカに留学、眞子さまはひとり日本で数々のバッシングを受け止めてきた。秋篠宮家では、ご家族のなかでぎくしゃくすることもあったという。
「そんな年月を経てなお、思いを持ち続けてらした。ご婚約からの4年を『長い』という向きもありますが、それはちょっと違うんです。そもそも、皇室の結婚というのは時間がかかるもの。そして反対意見が湧き上がるものなんです。
美智子さまがご結婚なさったときだって、『平民出身』ということでひどく抵抗がありましたから」
皇室のご結婚は「時間がかかるもの」
「1986年、皇太子だった徳仁親王が『小和田雅子』さんと出会って、熱烈なラブコールを重ねて。出会いからご成婚に至るまで7年かかっていますでしょ。
美智子様のとき、当時皇太子だった明仁親王がテニスコートで出会った『正田美智子』さんと結婚したいと意思表示なさってから、ご成婚までは2年。けれどもそのときは皇族方が猛反対なさった。今では想像しにくいかもしれないけれど、それはそれはたいへんな騒ぎでした。
そんなバッシングを超えて、ご結婚なさった。そして空前のミッチーブームになりました。ご苦労もあったと思いますが、昭和から平成、今にいたるまで、おふたりの固い信頼、絆は続いています」
上皇さまと美智子さま、今も睦まじく暮らしてらっしゃることは、「愛を貫く」眞子さまにとって、なによりの支えかもしれない。
ご両親の交際、結婚もまた…
「秋篠宮と紀子さまは学習院のキャンパスで知り合った学内交際で愛を育みました。サークル活動やグループでの活動を通じて、どんどん親しくなっていった。若いふたりの結婚に、当時の天皇も美智子様も、とくに反対はなさらなかったのですよ」
交際当時、グループで赤坂御所にあるテニスコートでテニスを楽しんだ後は、近くにある外苑前のレストランで食事をするのが「いつものコース」だった。食事のあと、お仲間と別れる際、
「みなさんはこちら側、赤坂御所に帰る礼宮さま(当時)は向こう側で、お別れの挨拶をなさる。そのとき、紀子さまはなぜか礼宮さまのお隣に立っているんです」
そして、帰り道の外苑前の銀杏並木で、じっと抱き合っていらっしゃる若いおふたり…。
「眞子さまの愛への一途さ、言い換えれば頑固さは、お父様ゆずりではないかしら(笑)」
眞子さまは年内に結婚、アメリカに渡って生活をする予定だという。一般の戸籍をもたない眞子さまは、小室さんとの婚姻届を提出することで皇籍を離脱、アメリカ生活に必要なパスポートやビザなどの手続きを経て、渡米という流れが予想される。
「皇室のあり方は、時代とともに変わっていくものです。秋篠宮家では、お子さま方を育てるにあたり、たとえば学習院以外の学校で学ばれるという選択もしています。これまでもそうして旧来のやり方を越えるお考えを貫いてらした。その秋篠宮家の長女である眞子さまが選ばれたこの結婚、この人生は、ある意味『ご両親の期待に応えた』結果かもしれませんね」
「結婚は自分で決めるもの」
美智子さまはたびたび、そうおっしゃっていたという。初孫の眞子さまが選んだ結婚。ご自身の、強い決意をもって選んだ結婚を心から祝福するのもひとつだろう。
- 写真:REX/アフロ