総裁選の切り札…岸田文雄が書き続けた「国民の声ノート」の中身
岸田文雄は、衆院第一議員会館12階、奥のほうに位置する自室に小走りで戻ってきた。
「あっちこっち走り回っているものですから、ギリギリになってしまった。遅刻するかと思った、いや、間に合って良かった」

しかし、スーツの上着のボタンをとめ、青いネクタイをきっちりと締めた出で立ちには寸分の隙もない。端正な印象がこの人の武器だ。
「政治家として派手さがなく、言うことが面白くない、線が細いと言われています。それも仕方ない、これが私自身なんですから。奇を衒わないで、正直で誠実にやっていくことが岸田政治なので、いまから何か面白いことを発言したり、おどけたりなどということはしませんよ。このスタイルを変えたら、岸田文雄ではなくなってしまいますから」
総裁選出馬表明の記者会見では「ニュー岸田」を遺憾なく披露し、期待が集まった。が、菅義偉首相の不出馬が大きな誤算となった。岸田番記者たちは、「岸田、終わったかも」と囁いたのだ。
「戦う気力が失せてしまった」
菅義偉首相は、気力を失って戦線を離脱していった。横浜市長選に大敗。間近に迫る衆院総選挙をにらみ、神奈川県連は「総裁選では菅支援を回避する」と発表したことが決定打となった。
皮肉にも、ここにきて菅コロナワクチン対策の効果が現われ、東京の新規感染者は2000人前後まで減ってきた。もちろん安心は出来ない。陽性率はなお80%前後だ。感染再拡大の懸念は、なお払拭できない。けれども…。
「菅内閣のコロナ対策は大きく外してはいなかったと思います。けれども、国民の声が聞けていなかったのだと思う。ともなって、発信もうまくできていなかった」
話しながら、岸田が10年間書きためているという「国民の声ノート」の一冊を開いた。
「三代続いた飲食店をたたまざるを得ないといった店主の声や、さまざま立場の方の生の声を聞きました。2006年のリーマンショックでは大企業、男性、金融、製造業へのダメージが多かった。今回の新型コロナは、非正規、女性、サービス業や個人事業主を直撃して計り知れないほど広範囲な人たちが苦しんでいる。対策費の規模もさることながら使いやすいたくさんの支援策を提示したいのです」
格差がこれほどまでに拡大し、7人に1人の子どもが貧困にあるという日本に、どう向き合うのか。そのための経済政策を用意しているという。そして、教育、学びの尊重だ。
学ぶことの尊さを伝える
「教育は、国の基本です。大学への研究予算も10兆円規模で予定している。学びを軽んじてはいけないんです。
校歌に憧れ、浪人して志望校に受かったけれど、入学したものの一度も校歌を歌えていないという若者がいました。岸田さん、聞いてください、と」
それまで滔々と自説を語っていた岸田の声が、このとき、すこしだけつまった。東大入試に3回挑戦して届かなかった過去を思い出したのだろうか。
外務大臣時代、ロシアを訪問したときのこと。ワーキングディナーの席で、なみなみと注がれたウオッカを飲みながらラブロフ外相と語り続け、ロシア側を驚かせたという逸話がある。端正なだけではない、挫折や骨太な面もあるようだ。
―安倍政権と菅政権の9年間で失ったもの、できなかった対策が、岸田政権で実現できるのでしょうか。
「日本を、この岸田に任せてもらいたい! かならずやり遂げてみせます」
「端正な印象の政治家」というカラを抜け出し、希代の「オオカミ少年」政治家となるか、有言実行の政治家になるのかは、岸田の実行力次第だ。実直を売りにした政治家・岸田が、政策実行段階で白旗を上げたときは、政治家としての死を覚悟しなければならないだろう。

取材・文:橋本隆