“上級国民”「池袋自動車暴走・飯塚幸三事件」とはなんだったのか | FRIDAYデジタル

“上級国民”「池袋自動車暴走・飯塚幸三事件」とはなんだったのか

被告は過失を認めないまま控訴を断念し、 90歳にして収監決定 被害者遺族は「最後の会見」を開催

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9月2日の判決の際、東京地裁に入る飯塚幸三被告。自宅周辺にはいまも街宣車などがやってくるという
9月2日の判決の際、東京地裁に入る飯塚幸三被告。自宅周辺にはいまも街宣車などがやってくるという

「いまも朝起きたときと、夜寝る前にお線香をあげています。いつも2人と一緒にいるという気持ちで語りかけているのです。判決が出たとき、2人には『終わったよ』とだけ報告しました。天国から『お疲れ様』くらいは言ってくれているんじゃないかなと思います」

そう話すのは、松永拓也さん(35)。’19年4月に東京・池袋で起きた自動車暴走事故で、松永さんは妻の真菜さん(享年31)と娘の莉子ちゃん(同3)を亡くした。

2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故からもうすぐ2年半が経とうとしている。自動車を運転していた飯塚幸三被告(90)が旧通産省工業技術院の元院長であること、事故後にすぐに逮捕されなかったことなどを理由に「飯塚氏は『上級国民』だから特権を受けているのではないか」という批判が巻き起こった。

9月2日、飯塚被告は一審で禁錮5年の実刑判決を受け、16日の期限までに控訴しなかったため、収監されることが決まった。飯塚被告のサポートを行ってきた『NPO法人World Open Heart』代表の阿部恭子氏が話す。

「本人も禁錮刑を受け入れる気持ちになっていると思います。『刑務所はどういうところですか』『食事はどういったものが出るのか』と聞かれました」

9月17日、飯塚被告の実刑が確定したことを受け、松永さんは「これが最後になると思う」という会見を開いた。会見後、松永さんに話を聞いた。

「判決が確定しても、2人の命が戻るわけでも、3人で暮らした日常が戻るわけでもありません。そこにまず、むなしさを感じてしまいます。本当の意味での救いには決してなりませんが、私たち遺族が少しでも前を向いて歩いていけるきっかけになったと捉えています。これから起こり得る事故を一つでも減らすために、講演などの活動も続けていきたいと思っています」

この「飯塚幸三事件」は、高齢ドライバーの安全問題や加害者への過剰なバッシングなど多くの問いを投げかけた。事故後すぐに逮捕されなかったのは、飯塚被告に逃亡や証拠隠滅の恐れがなかったからだが、本人の自宅には脅迫状や爆破予告まで届いた。

妻の真菜さんと莉子ちゃんの遺影を持つ、松永さん。遺影は莉子ちゃんの七五三のときの写真だ
妻の真菜さんと莉子ちゃんの遺影を持つ、松永さん。遺影は莉子ちゃんの七五三のときの写真だ

唯一不可解なのは、飯塚被告が最後まで「事故の原因は自動車の不具合であり、自分のアクセルとブレーキの踏み間違いではない」という主張を続けたこと。裁判で数々の証拠を突きつけられても、決して自身の過失を認めなかった。

「裁判で飯塚さんは『私の記憶では(アクセルとブレーキの)踏み間違えはしておりませんので、私の過失はないと思っています』と主張していましたが、本当に記憶がないようなのです。嘘をついているわけではないと思います」(阿部氏)

事故時に87歳だった飯塚被告は、自分の行動も明確に認識できないような状態で、運転をし続けていたことになる。なぜもっと前に、免許返納などの対応ができなかったのか。本人が収監され、罰を受ければ済むという問題ではない。

「私が欲しいのは、彼の『事故の原因は私の過失だった』という言葉です。過失を認めないまま刑務所に入るというのは、本人は冤罪だと思っているということです。それで果たして贖罪と言えるのでしょうか」(松永さん)

この事故のひとつの区切りはついた。だが、遺族にとっては終わりは訪れない。

’19年4月、事故直後の現場写真。飯塚被告の運転していたプリウスは、実に100m超にわたって暴走を続けた
’19年4月、事故直後の現場写真。飯塚被告の運転していたプリウスは、実に100m超にわたって暴走を続けた

『FRIDAY』2021年10月8日号より

  • 撮影蓮尾真司 共同通信社(事故現場)

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