庶民の暮らしを知るために… 美智子皇后「お忍び日記」
特別読み物
10月20日、84歳の誕生日に「おことば」を発表された美智子皇后。退位を半年後に控えている今回が、皇后として最後の誕生日ご感想となるが、そこでは、〈読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。〉といった率直な気持ちが明かされている。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏は「今回の文書回答を見て、皇后さまが映画試写会に来られた時のことを思い出しました」と語る。
「出演者との懇談で『子供の頃、三本立ての映画を見ましたが、(喜劇王の)エノケンもありました』と話され、皇后陛下の口からエノケンという言葉が出てきたので、その場が和んだそうです」
もともと庶民派だった皇后は、天皇にも積極的に庶民の暮らしを体験してもらおうとした。’10年夏、両陛下は群馬県中之条町の一般家庭を訪ねている。その主・登坂昭夫さんは、皇居で育てられている天蚕(てんさん)を飼育している希少な養蚕農家だ。登坂さんが言う。
「見学したいというご要望だったんですが、こんな山の中に両陛下が来るなんて畏れ多くて固辞したんです。でも何度も連絡が来るし、警察がウチまで調べに来ちゃってねぇ。クヌギ畑を見学した後、私の家でお休みになるっていうんで腰を抜かすほど驚きました」
掘り炬燵に二人で座って
’10年8月29日、両陛下を乗せた車が農道を上がってきた。登坂家に繋がる道は狭すぎて閉鎖されたので、関係者以外は出迎えない”お忍び行幸啓”だった。
「陛下の車がセンターラインのない道を通ることは珍しいんですよ、と侍従の方が笑っていました。畑を見学後、我が家の奥の間にご案内しようとしたら、居間の掘り炬燵を珍しがって、皇后さまが『こちらのほうがよろしいですね』と。両陛下がそこに腰を下ろされて、私たち夫婦らと気さくにお話しされました」
登坂さんが「蚕(かいこ)は触られますか?」とたずねたところ、「私は大丈夫ですよ」と微笑まれた皇后に続けて、天皇が「私は実は苦手でね……」と打ち明け、居間は笑いに包まれたという。
ノンフィクション作家の保阪正康氏はこう語る。
「私は作家の半藤一利氏と共に昭和史をお話しするため、皇居に伺ったことがあります。話を聞く両陛下の様子を拝見して、ふだんから様々なことを二人で話し合われているのだろうと思いました。美智子皇后の『誕生日のおことば』からは、社会のことに対する関心の広さがわかります。しかも皇后は、世間で注目を集めていることではなく、むしろ国民が忘れがちなことを拾い上げて言及する。今年の誕生日には拉致被害者のことを書かれたし、昨年は国連軍縮担当の中満泉さん、そして’13年には明治期の市民憲法運動だった『五日市憲法草案』を取り上げるなど、その幅広さと知識に驚かされます。象徴天皇とは何か、そのスタイルを一から構築してきたのは間違いなく今上天皇であり、そして美智子皇后です」
天皇皇后両陛下は、夫婦で平成という時代を作ったのである。
PHOTO:宮内庁(1枚目写真)、登坂昭夫氏提供(2~3枚目写真)、時事通信