視線で気持ちを表現するALSの典子さんが「おしゃべり」なわけ
教壇を降りた久保田典子さんの「何があっても大丈夫」な日常
自分だけ なぜ自分だけと 波と語らふ
久保田典子さんの俳句作品だ。取材で会いに行く前は不安だった。典子さんは難病ALSの患者で、声は出せず、指も動かせない。自由に使える眼球の動きで、視線で入力するパソコンを使ってコミュニケーションをするという。はたして「取材」が可能なのだろうか…。
視線入力で「会話」が弾んだ
でも、そんな心配は杞憂だった。迎えてくれた典子さんは、痩せた体を特製の椅子に横たえてはいるが、肌はつやつやとして、ピンクのTシャツが可愛い。中学の先生をしていたというから、カッチリした雰囲気の女性をイメージしていたが、なんだか違う。
そう挨拶すると、
「派手好きだから」
と、PCのモニターにいきなり文字が出た。視線ですばやく入力したのだ。反応が速い。驚いているこちらを見て、悪戯っぽい笑顔になった。
入力するスピードは速く、やりとりはふつうに話しているのとそれほど変わらないくらいだ。
典子さんがALSと診断されたのは、2019年8月26日。2018年の11月ごろから「右手が痺れ」て、動きが悪くなった。
「初めは腱鞘炎だと思いました。それで、年明けに形成外科や整形外科に行ったけれど、全然よくならない。そのうち声が出にくくなって…。8月、学校の夏休みに検査入院して、ALSだと診断されました」
病名を告げられたとき、典子さんは、
「病気は選べませんから」
と、医師に返したのだという。
「それまでに自分なりにいろいろ調べて、ALSの可能性もあるなと思ってましたから」
ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足やのど、舌などの筋肉がだんだん痩せて力がなくなっていく病気。筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かしたり、運動を司る神経が障害を受け、その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなって、力が弱くなり、筋肉が痩せていく。
体の感覚や視力、聴力などは保たれるが、症状が進行すると、話すこと食べること、呼吸することさえ困難になってしまう。原因不明の病気で、一般的には、発病して3~5年で症状は全身に及ぶというが、個人差が大きく、10年以上かけてゆっくり進行することもあるという。
覚悟はしていたものの、病名を告げられたときはショックだった。それはそうだろう。
典子さんは10年前、洗礼を受けてクリスチャンになった。病気のことを聞いたクリスチャン仲間の一人はこう言う。
「そのとき、なぜか『大丈夫』と思ったんです。何が大丈夫かわからないけれど、絶対大丈夫だって思ったんです。だから、彼女にも『大丈夫、絶対大丈夫だから』と言っていました」
そう言われて、典子さんは
「何が大丈夫だ? と思いましたけど」
と、素早い視線入力で「言い返す」。会話が弾む。
「やる気になれば何でもできる」は、傲慢だった
典子さんは中学校の先生だった。
大学を卒業して、郷里・長野県の教員試験を受け、教員になった。3年後に結婚して退職。
「両親が教員で、教員の仕事がどんなに忙しいかわかっていました。家庭と両立させるのは私にはできないと思ったんです」
その後、一男一女に恵まれ、下のお子さんが中学生になったのを機に、今住んでいる神奈川県の試験を受け直して教壇に戻った。20年近くのブランクを経て、再受験。どれほどたいへんだったことだろう。
「人間、やる気になれば何でもできると、傲慢にも思っていたんです」
傲慢…? でも、受かったんですから。
「傲慢でした。今はそんな考えは捨てました。頑張ればなんとかなるとか、自分の力でなんとかしようというのはやめて、神さまの導きに従って生きるのがいいなと思っています」
今は、重度訪問介護の支援を受けて、複数の事業所のヘルパーの人たちがスケジュールを組み、典子さんの生活を安定させている。そのヘルパーさんのなかに、教会の仲間がいる。典子さんの発病を知って、その生活を支えようとヘルパーの資格をとったのだ。
年度末まで「先生」として過ごした
学校では、生徒たちにも助けられた。
8月に診断がでてからも、教壇に立った。だんだん腕が上がらなくなって、黒板に字を書くことができなくなった。板書をする代わりにiPadを使って、それをテレビ画面に映すなど、授業のやり方も変えなくてはいけなかったため、生徒たちにも病気のことを伝えていた。
足に力が入らず、学校の廊下で転ぶこともよくあった。そんなとき生徒たちが助けてくれたと言う。
「ちょっと不良っぽい子もいて、挨拶代わりに『死ね』なんて言う子もいました。でも、おしゃべりすれば普通の子。手がかかる子ほど可愛いんです」
滲み見る すべて善きお子 卒業式
ずっと教壇に立ち続けたいと願っていたけれど、諦めなければならないときが、思った以上に早くやってきた。病気の進行が、とても早かった。病名がわかってから1年も経たないうちに、歩くこともできなくなった。
2020年3月、年度末を最後に教壇から去った。
「私は悔しいと思いました。あれほど悔しいことはありません」
卒業式の日、スーツ姿の典子先生は車椅子で、生徒たちを見送った。コロナ対策で少し距離を取りながら、典子先生は生徒たちからたくさんの応援を受け取って教壇を降りた。
動けないけど、行動的すぎる毎日を
時空越え 馬上の風の音 聴き居りぬ
典子さんのフェイスブックを見ると、モンゴルの草原の写真がいくつも出てくる。
「馬に乗って、駈歩(かけあし)で草原を走りました。モンゴルの馬は小さめで、言うことをよくきいてくれる」
モンゴルだけではない、オランダ、ベルギー、カンボジアと海外に行き、マレーシアとブルネイではホームステイもしたと言う。そのころ、お子さんたちは?
「一緒に連れて行きました。マレーシアに行ったときは娘が小6で、息子が小4」
すごい。行動的なのだ。
「やりたいことがあると、止められない。じっとできない性格でした。本質的に子どもなんです。だから、中学生とも気が合うの(笑)」
「でも今は、ご覧のとおり、じっとしてますよ~」と言う。
が、ヘルパーの友人は、
「体はじっとしているけど、全然じっとしてないです。フェイスブックを見てもらえばわかると思いますけど」
典子さんのフェイスブックには、俳句作品や、日々の思いがぎっしり綴られている。
「口八丁手八丁、時にはずるく二枚舌、授業は長広舌だったかつての私はどこへやら…」
と書いているが、今だっておしゃべりは止まっていないのだ。
「視線入力を続けてると目が疲れるから、ちょっと休みなさいっていってもきかないんです。ずっとやってます。ちっともじっとしていない」と、友人は笑う。
紫陽花に向けていそいそ車椅子
富士も陽も期待で染める桜かな
発病してから本格的に始めた俳句にも、外の風景を詠んだ句がたくさんある。お天気がいい日には、車椅子で外に連れていってもらったりもする。
書きためた俳句と、かつて自身でシャッターを押した写真作品を組み合わせた「フォト俳句」を制作していることを知った教会の仲間と牧師先生が展覧会を計画し、10月31日から「てんこてん」と称して、個展を開く。
虫刺され 掻いてと頼んで くすぐられ
たいへんな病気の患者だけれど、典子さんの周りはいつも明るい。
「どんな状況でも逃れの道はあるよ~って言いたいです」
そして、
「八方塞がりなら『上』がある!」
とも。個展を開催するにあたって、クリスチャン仲間が実行委員会を立ち上げた。チラシのデザインを考えてくれたり、さまざまな準備をみんなが整えてくれたのだ。
「書ききれないほどの、善意と応援を頂いて、必要が満たされていく…素敵すぎる!」
典子さんは難病ALSの患者で身体の自由が効かない、声を出して話すこともできないんだけれど、それを打ち負かすほどのおしゃべりで満ちている。どんな状況でもきっと大丈夫。絶対大丈夫。「おしゃべり」な典子さんを見ていると、そんな気持ちになってくる。
*フォト俳句展「てんこてん」は、10月31日〜11月7日@横浜・清水ヶ丘教会で開催予定。
詳しくは公式ウェブサイトで https://happiness75.wixsite.com/website
- 取材・文:中川いづみ
ライター
東京都生まれ。フリーライターとして講談社、小学館、PHP研究所などの雑誌や書籍を手がける。携わった書籍は『近藤典子の片づく』寸法図鑑』(講談社)、『片付けが生んだ奇跡』(小学館)、『車いすのダンサー』(PHP研究所)など。