20歳の現役慶応大生が実父を刺殺…家族殺人「戦慄の動機」 | FRIDAYデジタル

20歳の現役慶応大生が実父を刺殺…家族殺人「戦慄の動機」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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順風な人生を歩んできた慶応大生は初めての挫折で大きな絶望を感じたのだろうか(写真はイメージです。画像:吉澤菜穂/アフロ)

慶應大学生には、昔も今もいわゆる「エリートお坊ちゃん」というイメージがつきまとう。特に付属からエスカレーター式に上がる生徒はそうだろう。

18年、そのエリート大学生が、自宅で父親を刺殺する事件を起こした。

彼はダンスサークルで活躍し、公認会計士を目指す20歳の大学生だった。人望もあり、事件後は友人や親族からの減刑を求める嘆願書が、50以上も寄せられるほどだった。

そんな彼に何があったのか。そこには彼が抱えていた心の病が深くかかわっていた――。

東京都内のマンションで、刈谷成之(事件当時20歳。以下、登場人物はすべて仮名)は長男として育った。生まれは97年、3歳下に弟が一人いた。

父親の正宗(同58歳)は慶應大学を卒業したエリートで、後に起業するだけあって人一倍仕事熱心だったようだ。多忙だったが、30代後半で生まれた長男ということもあって、成之を溺愛していた。

正宗の欠点の一つが酒癖の悪さだった。公判で妻が語ったところによれば、ストレスが溜まっている時は家の中で暴言を吐いたり、家族とぶつかったりすることが多々あったらしい。

それでも成之は家の外では友達とうまくやっていた。友人らに言わせれば、「マイペースだけど、明るくて人のことを考える性格」であり、「みんなの前でおどけてみせる人気者」だった。人付き合いも良かった。

成之は小学校の高学年から本格的に中学受験の勉強をスタートさせる。正宗も時間をつくっては勉強を教えたり、塾への送り迎えをしたりして協力した。努力は実り、難関の慶應義塾湘南藤沢中等部に合格。慶應大学出身だった正宗は、合格を心から喜んだそうだ。

学校では空手、外では英会話

中学入学後、成之は文武両道を絵に描いたような学生生活を送った。学校では空手部に所属して練習に打ち込む一方で、外では英会話教室に熱心に通った。また、ファッションにも興味を抱き、部屋をきれいにして、人と会う時はおしゃれに気をつかった。弟のことを大切にする一面もあり、誕生日にはプレゼントを贈っていた。

だが、思春期になると、父親の正宗とぶつかることが増えた。この頃の正宗は、起業して収入が不安定になったストレスから、酒を飲んで家族に悪態をつくことがしばしばだった。成之は、そんな父親に反発した。

母親は公判で次のようなことを話した。

「高校時代、夫と成之はよく衝突していました。夫は酔った勢いで子供たちに向かって『誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ』とか『俺の言うことを聞かなければ学費は払わないぞ』などと言っていました。反論を許さない性格だったので、成之が言い返すと胸ぐらをつかんで怒鳴ることもありました」

一度母親がケンカの仲裁に入ったところ、顔を殴られたことがあったという。酒が入ると、我を忘れるような一面があったのかもしれない。

そんな二人の関係が変わったのは、成之が高校2年の時だった。少し前から、成之は自分の部屋がほしいと訴えていたが、正宗に突っぱねられていた。ある日、二人は言い争いになり、正宗が成之を突き飛ばしたところ、逆に成之が父親を殴りつけた。

正宗はこれがショックだったらしい。数日後には「これからは成之の意志を尊重しよう」と言って自室を与えることにした。成之も認めてもらったと感じたのか、父親を「人生の先輩」として尊敬するようになった。

高校を卒業した成之は、慶應大学の経済学部へ進学することになった。入学前には、家族4人でハワイ旅行へ出かけ、門出を祝った。

大学入学後、成之はダンスサークルの活動に夢中になっていたが、正宗から将来に向けて資格を取った方がいいと助言され、公認会計士の資格取得を目指すことにした。2年生になると、勉強に集中するため、サークルを辞め資格習得のための予備校に通った。

中高時代からの友人は次のように述べる。

「中学2年から高3までずっと仲良くしていて、彼はおどけるのが上手な人気者でした。大学入学後は学部が別々になったんですが、しばらくしてから遊びに誘っても断られることが多くなりました。大学で本人に会ってもずっと下を向いていたので、どうしたのかなと心配していました」

「目つきが別人のように……」

勉強のことで頭がいっぱいで、周囲に目を配る余裕がなくなっていたのだろう。

2年生の6月、公認会計士に必要な日商簿記の試験があった。成之はここで勉強の成果を示そうとしたが、結果は不合格だった。エリート街道を進んできた彼にしてみれば、大きな挫折だったのだろう。この頃から、成之は言動に変調をきたすようになる。

公判で母親は次のように証言している。

「簿記の試験に落ちてから、成之は変りました。試験をあきらめると言って予備校を辞めてしまいました。それまではファッションに気をつかってコンビニへ行くにも着替えるほどだったのに、髪はボサボサで髭は伸び、家族とも必要最低限の会話しかせず、部屋に閉じこもっていました。私が一番気にかかったのは、目つきが別人のようになっていたことです」

成之は摂食障害のような症状も見せはじめた。突然夜中にどんぶり一杯の白米にマヨネーズやケチャップや醤油をかけて食べては、トイレに駆け込んで嘔吐することをくり返したのだ。

また、食事も、自分で「オムライスの達人になる」と言ってオムライスだけをつくって食べつづけるのだが、母親にしてみれば、それは到底オムライスと呼べる代物ではなかったそうだ。

奇行は他でも目立つようになる。トイレへ行く時も大音量でロックをかけつづけるくせに、リビングからテレビの音が聞こえるだけで「うるさい!」と怒鳴る。トイレのたびに、並べられた人形を必ず後ろ向きに置き換える。さらには、四六時中両手で口を押えるようになった。

母親はそんな成之を心配し、正宗に病院で診てもらった方がいいのではないかと相談した。正宗は答えた。

「成之は絶対に大丈夫。今は落ち込んでいるだけだ。きっと回復するから」

正宗は息子が精神を病んだとは認めたくなかったのかもしれない。母親もその言葉にすがるように「主人が言うなら」と安堵して病院へつれていくという話は立ち消えになった。

「空気が悪くなるだろ!」

年が明けて間もなく、成之は一人暮らしがしたいと言って、自分で見つけた物件を持ってきた。両親には、息子が心機一転したがっているように映った。

休日、両親は武蔵小杉にある物件を見に行った。大学からも近く、家賃も高額ではない。正宗も成之の変化に気づいていたので、生活環境を変えることに賛成し、「がんばれ」とつたえた。

だが、この2日後に事件が起こる。

その日の夕方、成之は最初に自宅に帰っていた。次に母親が帰宅した。成之は何も言わず、いつも通りオムライスを食べていた。

午後8時頃、高校生だった弟が部活の練習を終えて帰宅した。弟はけだるそうな様子だった。少し前に正宗から借りたゴルフ用のジャージをなくし、この日も正宗から「だらしない」「見つけないと許さない」などと言われており、顔を合わせるのが憂鬱だったのだ。

1時間ほどして、正宗が帰宅した。外でだいぶ酒を飲んだらしく、リビングに来るなり、ソファーで横になっている弟に悪態をつきはじめた。ジャージをなくした一件を批判したのだ。

予想していたことなので、弟は聞き流していたが、だんだんと正宗は怒りをエスカレートさせはじめた。母親はいつものことなので、黙って遠目から見守っていた。

だが、リビングの隣の部屋にいた成之は違ったらしい。音に過敏になっていたこともあり、いら立ちを募らせていた。やがて成之がドアを開けて正宗に怒鳴った。

「やめろよ! リビング全体の空気が悪くなるだろ!」

一瞬静まったが、すぐに正宗が言い返した。

「おまえだって家の空気を悪くしているだろ!」

夏に試験に落ちてから自室に引きこもり、奇行をくり返していることを指摘したのだ。成之は言葉を返されたことに戸惑ったようだった。

「俺は悪くない!」

そう叫び、成之は自室にもどっていった。

リビングではまたもや正宗の弟に対する罵声が響きだした。自室にいた成之はそれを聞いて興奮し、クローゼットからナイフを取り出して窓のカーテンを切りだした。

胸に広がる血のシミ

再び成之がドアを開けたのは、5分ほどしてからだ。彼はナイフを振り回して叫んだ。

「いい加減にしないと刺すぞ!」

正宗が驚いて「成之!」と恫喝した。その直後、成之は「死んじゃえ!」と叫んで正宗の左胸にナイフを突き立てた。正宗は動かなくなったと思ったら、ずるずると椅子から落ちていって床に仰向けに倒れ込んだ。

ソファーにいた弟があわてて駆けつけた。成之の手から、血だらけのナイフが落ちて転がる。正宗の胸にできた血のシミがみるみるうちに広がっていく。弟は近くにあった服を傷に押し当てて呼びかけたが、返事もできない様子だった。

母親はこの時の光景を次のように語る。

「主人は血を吐いていました。成之は傍で呆然と立ちすくんでいたように思います。私はその場で119番通報しました。動揺して『すぐ来てください!』『応急処置はどうすればいいんですか』とくり返していたら、次男は主人の胸を押さえたまま『お母さん、受話器を俺の耳に当てて』と言いました。私がそうすると、次男は電話越しに気道を確保するなど指示をもらっていました。その後、次男は『兄ちゃんも手伝って』と言って代わりに胸を押さえてもらってから、自分で心臓マッサージをしました」

救急車やパトカーが到着したのは、通報から約10分後のことだった。

正宗はすぐに救急車によって昭和大学病院に搬送されたが、午後11時29分、死亡が確認された。後日の死体解剖によって、深さ13cmに達した傷が肺動脈を切り、そこからあふれた血液が気道や肺に流れ込んだことによる窒息死だとされた。

これによって、成之は殺人罪で逮捕されることになった。

意味不明の証言

事件から1年あまりして、東京地裁で本件の公判が開かれた。

法廷に現れた成之の外見は、驚くくらいに変わり果てていた。事件直後にマスコミが流した美男子のそれではなく、黒の革ジャンにジーンズ、無精ひげを蓄え、長髪を雑に丸めて団子状にするという、ヒッピーのようないで立ちだった。

何より異様だったのが、手錠をつけられている時もずっと両手で口と鼻を覆い隠している点だった。まるで毒ガスを恐れるかのように、証言台に立つ時も、証言をする時も、ずっとそうやって眼だけをギョロギョロと動かしているのである。

さらに法廷での彼の証言は意味不明のものばかりだった。たとえば警察や検察に供述した殺害の動議は次のようなものだった。

・父が死にたくなったから殺した。

・強制的に結婚させられそうになったらからやった。

・僕の恋愛に干渉して自分の欲求を満たそうとしたが、できなかったので、弟に干渉した。

・俺に殺されたがっている。だから刺した。

・父は俺を利用して自殺しようとした。

・次の標的が弟に移ったので突発的に守った。

証人として出廷した精神科医は、彼を次のように診断した。

〈統合失調症〉

医師によれば、彼がずっと両手で口や鼻を押さえているのは、「心の不満が声になって漏れ出さないようにするため」だという。そういう強迫観念に駆られているのだ。

私はそれを聞き、妙に納得がいった。

殺された正宗も、母親も、次男も、試験に落ちてから成之の様子がおかしくなっていることに気がついていたが、まさか殺人事件を起こすほどではないと高をくくっていた。だが、彼の病状は、周りが思っていたよりはるかに悪化していた。

私は『近親殺人』という本で数々の家族間で起こる殺人事件を取材したが、同じようなことは少なからずある。家族だからこそ気づかない、あるいは深刻さから目をそらしたがる。それが病気の悪化を放置することになってしまうのだ。

裁判官は、次の判決を下した。

――懲役3年、執行猶予5年。

成之はどこまでその意味を理解しているのか、判決が下される間もじっと両手で口と鼻を押さえていた。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

  • 写真吉澤菜穂/アフロ

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