怪文書作成の維新議員が衆院選公示1か月前に「急転不出馬」の深層 | FRIDAYデジタル

怪文書作成の維新議員が衆院選公示1か月前に「急転不出馬」の深層

きょう14日に衆議院解散。党費肩代わり、怪文書作成…それでも森夏枝議員を国会議員として残した日本維新の会の体質

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2016年4月、衆院京都3区補欠選挙に出馬した森夏枝氏(左)と同氏への支持を訴える、当時おおさか維新の会の松井一郎代表(右、写真:共同通信)

今年5月、同じ党に所属する議員を誹謗中傷する文書(怪文書)を作成していたことが発覚した維新の会所属の森夏枝・衆議院議員が9月末、「自身の体調不良と家族の病気」を理由に衆院選への不出馬を表明した。

怪文書の作成がバレた直後の5月6日、京都維新の会の全体会議で森議員は謝罪したが、この秋に予定されていた衆院選への出馬には意欲を見せ、7月末には京都府内で出馬会見も開いていた。ただ、その会見で森議員は地元記者から厳しい質問責めに加え、“怒号”も浴びせられていた。

「人間性を疑いたくなる」

「次期衆院選挙には立候補いたしません。大きな理由は、私の体調不良の問題です。家族の病気も理由の一つです。(不出馬については)8月から考えておりました」

9月29日、京都府庁で行われた「不出馬表明会見」で森議員はこんな趣旨の挨拶をし、同じ場には、森氏の後任候補となる、京都府南部の大山崎町議、井上博明氏の姿もあったという。

森議員や党関係者によると、7月頃に森議員の父に病気が見つかり、精神的に不安定になり、「これで衆院選を戦えるのか」といった思いが強くなっていった。一緒に活動をしていた井上町議に「参議院への思いがある」ということも知り、森氏から後任候補として要請。それが、党にも認められた。

ただ、事情を知る地元の有権者の見方は少し違う。

「今までのことに加え、ご自身の体調のことも重なって疲れたのでしょうか。でも、その『今までのこと』の原因をたどっていくと、結局は森議員ご自身が自分で蒔いた種なんです」

愛媛県出身の森議員は、父が地元で市議をつとめていた関係で選挙に繰り返し出馬。2017年の初当選までに約6年かかった森議員だったが、昨年10月、事務所関係が地元党員延べ99人分の党費を肩代わりして党本部に支払っていたことが発覚。日本維新の会は事態を重く受け止め、1月15日から3カ月間、党員資格停止の処分とした。

さらに5月には、同じ党員の京都府議の上倉淑敬議員を誹謗中傷する文書を作成していたことを認め、京都維新の会の全体会議の場で謝罪した。ただ、記者会見を開くなどして、森議員の口から説明したことはこれまで一度もなかった。

秋の衆議院選挙へむけて日本維新の会から公認を受けていた森議員は、謝罪後も出馬の意欲を示し、準備をすすめていた。選挙を支えてもらう選挙対策部長も選んだ。選対部長は、選挙区で票数をとれる実力のある議員にお願いするのが通例で、京都3区の実力者は上倉府議。森議員が怪文書を作成して貶めた、まさに張本人だった。上倉府議はこう振り返る。

「6月、7月ぐらいに森議員のほうからお願いしますと言われました。選対部長になることは京都3区の(選挙対策)会議の中でも決まっていた話だったので引き受けましたが、1週間ぐらいしたら、森議員のほうから『選対部長の件はやっぱり頼める立場ではないので』と断りが入りまして…」

怪文書をバラまかれた上倉府議が森議員に対して、感情的に「支える気持ち」を維持できずに「やめさせてほしい」と辞退することはあり得るだろう。だが森議員のほうから断りが入ったことに、上倉議員は困惑するしかなかった。その後、森議員が上倉府議の後任の選対部長をお願いしたのが、井上氏だった。

森議員が自ら選挙態勢を立て直した後にのぞんだ7月末の出馬会見。ここで、なかなか記者会見を開いてこなかったことに対する地元メディアの不満が、一気に森議員にぶつけられたのだという。

特に、怪文書作成についての質問が集中したようだ。森議員は「すべてを話そうとすると上倉府議の家族を巻き込んでしまう」「個別に直接聞かれた場合は答えてきた」とはぐらかすような受け答えに終始。その態度に業を煮やしたある記者が、怒り気味にこんな趣旨の厳しい質問を森議員にぶつけた。

「ご自身が直接聞かれた場合には答えてきた、ということでしたけど、有権者一人一人にその機会があるわけではありません。そういうお話を聞くと(森議員の)人間性を疑いたくなる方もいるんじゃないかと思います」

森議員はすでに、自分の口から説明する以前に、事実が新聞や週刊誌等のメディアに公開されていること、自らの口からすべてを話をしたら当時関わっていた一般の方を巻き込んでしまうことがあることを、記者会見を開いてこなかった理由として明らかにしたが、これでは議員としての説明責任を果たしたとは言えない。

立候補者が有権者に自分をアピールするために駅に立って演説することを「駅立ち」というが、7月下旬まで駅立ちしていた森議員が、8月に入るとぴたっと姿を見せなくなったという。出馬会見の厳しい質問責めと不出馬は、無縁ではないだろう。

森議員が作成した怪文書の一部。当時、政務活動費の支出を疑問視された谷川俊規・元京都府議の記事が使われた。上倉府議の金銭に関する疑いを広めるためと思われるが、同府議に問題はなく、谷川氏は裁判で勝訴が確定。それでも文書の存在に憔悴している

党の事情を有権者に押し付けた

では不祥事を立て続けに起こし、説明責任を果たさないような議員がなぜ、衆議院議員になれたのだろうか。ある党員はこう明かす。

「2017年の衆議院議員選挙に至るまでの森議員の維新に対する過去の尽力、それに対する評価として比例(区)の1位だった、と聞いています」

森議員の「維新への過去の尽力」とはいったい何なのか。

2011年に愛媛県議会議員選挙に西条市区から初めて立候補して政治の世界に飛び込んだ森議員は、翌2012年、維新政治塾を卒業し、日本維新の会の公認を受けて愛媛3区から立候補(落選)。2年後の衆議院議員選挙も愛媛3区で準備していたが、告示直前に本来の地盤ではない愛媛4区に“国替え”を命じられて選挙に挑んだ(こちらも落選)。

「当時、愛媛4区に立候補した桜内文城議員はもともと日本維新の会所属でしたが、この選挙には次世代の党公認で出馬した。ただ、維新への挨拶もないまま、桜内議員が別の党から出た“裏切り行為”を許したくなかった維新の幹部が、桜内議員を当選させないため、森議員を刺客として送り込んだのです」(愛媛の地元記者)

さらに2016年にも衆議院議員京都3区の補欠選挙に出馬。この時は自民党の宮崎謙介議員の不倫発覚による議員辞職に伴う選挙だったが、森議員の地元、愛媛ではなく、当時は縁もゆかりもない京都で出馬した。

この補欠選挙でも落選してしまったが、2017年10月の衆議院選挙の直前、それまで比例代表近畿ブロックの単独1位だった小沢鋭仁氏が希望の党から公認を受けたため、維新から離党。森議員はその後任として選ばれ、初めて当選を果たした。

日本維新の会の代表もつとめる松井一郎・大阪市長は森議員について当時、「党の槍先となって厳しい選挙を戦ってきた人」と語り、期待感を持って国政に送り出していた。

つまり、党のために“犠牲”になってくれた森議員を重用した、ということだろう。森議員の選挙区にあたる、京都府内に在住の有権者はこう明かす。

「党の為に働いた人を大事にすることは、組織としては筋が通っているかもしれません。ただそれは党の事情であって有権者には関係ない。特に、国会議員の場合、すごくオフィシャルな立場なので、有権者のために働けないといけないと思いますが、少なくとも森議員にその資質があったとは思えません。

たまたまかもしれませんが、他党の国会議員さんは週末に京都で見ることはありましたが、森議員のお姿はこの4年間、ほとんど拝見しませんでしたから。党の事情でいわば、押し付けられたような党員のもとで生活する、というのは有権者にとっては迷惑ですよ」

9月下旬、地元の京都新聞が「森夏枝議員不出馬」の第一報を報じ、記事には事実を認めた馬場幹事長のコメントも掲載され、「理由はよくわからない」。この記事は一時、Yahooにも掲載され、取り方によっては無責任とも感じさせる馬場幹事長のコメントを批判する読者の書き込みに対し、7500以上もの「いいね」がついた。

森議員の土壇場での「不出馬騒動」は、結局は組織の内情を重視し、候補の「資質」を見極めきれなかった党にも責任があるのではないだろうか。

上倉府議のもとに届いた怪文書の封書。「うちの事務所にこんなものが届いた」と森事務所の関係者が持参したという。
森議員が購入したものと同じ「31年グリーティング切手82」の図柄。赤枠の図柄と上倉議員のもとに届いた切手の図柄がくしくも一致。
日本維新の会が毎月公表する国会議員の文書通信交通滞在費の領収書。3月4日、伏見郵便局で購入したことになっている。「(怪文書を)文書通信交通滞在費で郵送したのか」という質問に対し、森議員は「秘書に確認してもらいましたが、どの切手を使ったのか確認できない」と返答

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