死んだと思った…デーブ大久保「心筋梗塞の死の淵から生還」告白 | FRIDAYデジタル

死んだと思った…デーブ大久保「心筋梗塞の死の淵から生還」告白

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監督を務めた楽天のユニフォームを着た大久保氏。自身の経営する都内の飲食店前で撮影

ドン!

スゴい衝撃音だな。何がぶつかったんだろう。ううう……。苦しい、身体が動かない。そうか、この音はオレが倒れた時に起きたんだな。ああ、視界がどんどん狭まっていく。こうやって、人は死んでいくのか……。

これは、西武や巨人で活躍した野球解説者・デーブ大久保氏(54)の回想だ。大久保氏は10月13日にツイッターを更新し、8月に心筋梗塞で倒れたことを告白。「生死をさまよった」とつづった。心筋梗塞とは、心臓の筋肉である「心筋」に血液を送る「冠動脈」が閉塞し酸素不足に陥る病気のこと。吐き気や胸の強烈な痛みなどの症状をともない、突然死するケースも多い。以下は大久保氏が振り返る、「死の淵からの生還」実話だーー。

「突然、みぞおちにモノがひっかかったような強烈な痛みを感じたのは、8月29日の深夜です。不快感や苦しさは、どんどん増していく。『出したほうがいい』と感じ、ベッドから這うようにしてトイレに行き、口の中に指を入れたのですが吐けません。冷や汗が止まらず、『もう殺してくれ』と思うような苦しさです。耳鳴りもヒドい。いつの間にかトイレの前の廊下で転倒し、意識が遠のいていきます。

生まれて初めて死を感じました。まさか54歳で人生が終わるとは……。もうろうとした頭で考えたのは、死後の備えをしていなかった後悔です。『知人が来やすい斎場での葬式を決めておけば良かった。(大久保氏の地元・茨城県)大洗の墓の木碑はどうしよう』と」

起き上がれない状態が、1時間ほど続いただろうか。気がつくと、全身が汗だくだった。パジャマはビッショリと濡れ、フローリングには汗が水たまりのように広がっている。身体を吹こうとなんとかなんとか立ち上げり、風呂場に向かうが足がもつれ再び転倒した。

「私は都内で一人暮らしをしています。誰か助けを呼ばなければ本当に危ないと、近くに住んでいる同郷の後輩に電話したんです。携帯は近くに転がっていました。家の中でも、スマートフォンを持ち歩く習慣が幸いした。深夜にもかかわらず後輩は電話に出て、スグに来てくれました」

後輩が到着したころには、状態はいくぶん改善していた。意識も戻り、ゆっくりとなら話もできた。

「後輩に意識を失ったこと、転倒したことなどを話すと、『パニック障害じゃないですか』と言われました。症状が当てはまったんです。『それなら死ぬ心配はないか』と気持ちが少し和らぎ、そのまま休みました」

倒れた翌日にゴルフ

大久保氏が常に携帯している薬ニトロベン。血管を広げる効用があるという

翌日はゴルフの予定が入っていた。体調は良くなかったためキャンセルも考えたが、日ごろ世話になっている大切な人たちとのラウンド。土壇場でやめる訳にはいかない。胸の苦しさを感じつつ、車でゴルフ場へ向かった。

「一緒に回る人たちには、『具合が悪いので申し訳ないですがハーフで上がります』と伝えました。それでも後悔しましたね。終わるとどっと疲れが出て、クタクタ……。家に戻ると倒れるようにベッドに入り、翌朝までずっと寝ていました」

目覚めてしばらくしてから、弟に電話した。同じように胸の痛みを感じ、手術をした経験があるからだ。

「怒られましたよ。『それはパニック障害じゃない。スグに病院で診てもらいとダメだ。危ないよ』と。それで順天堂病院の親しい医師に連絡すると、『妻が(東京)溜池山王でクリニックをやっているから来てください』とのこと。翌日、行くことになりました」

当日の朝にも視野が狭まり、胸は激しい苦しみに襲われる。身の危険を感じクリニックを訪れると、心電図検査を受けた。だが、看護師たちの様子がおかしい。何度かやり直し、検査結果に驚いている。データを見た医師が、慌てた様子で大久保氏に言った。「スグに病院へ行ってください」と。

「順天堂病院の急患へ行きました。血液や酸素濃度などを調べると、最初は2人で対応していた医師が7~8人に増えた。慌ただしく動き回り、ただ事ではありません。ベッドに寝かされると、こう告げられました。『心筋梗塞の疑いがあります。しばらくベッドから下りられません。トイレもここで済ませてください』。

『入院するんですか。なにも準備していないので……』と訴えると、『そんなこと言っている場合じゃないんです。いつ亡くなってもおかしくない状態なんですよ!』とクギを刺されました。心臓の危険度を示す数値は、正常値上限の6~7倍だったとか。急きょ、翌日に手術を受けることが決まりました」

血圧を測ると数値は210だった。熱は38度以上。ICU(集中治療室)に連れていかれ、そこで一夜を明かした。

「夜8時を過ぎても夕飯が出ません。看護師に『ご飯はないんですか』と尋ねると、『身体の負担になるのでガマンしてください』とのことでした」

「死に直結します」

翌朝は6時に起床。手術は9時から始まる予定だったが、熱が下がらず新型コロナウイルス感染の疑いがあったため、11時過ぎにズレこんだ。PCR検査の結果は陰性だった。

「手術室に入る前、医師からは『検査結果は、尋常でない悪い数値です。手術をしてしっかり対応しないと死に直結します』と、キッパリと言われました。カテーテル(医療用の細い管)を通す腕を局部麻酔し、心臓を元気にする薬を投与。私は極度の緊張で、身動きができません。手術は1時間半ほどで終わりました」

手術は無事成功する。幸い血管は、完全には閉塞しておらず縮んだ状態だった。薬を呑んで安静にしていると、苦しさがなくなり術後の状態や、もろもろの検査数値も安定。徐々に快方に向かい3日間の入院後、退院となった。

「術後1ヵ月は、身体に負担がかかるためゴルフや飛行機への搭乗は禁止。風呂には入れずシャワーで済ませ、激しい運動も控えるように言われました。

心筋梗塞の最大の要因は、ストレスだそうです。私もこの半年、ある事がキッカケで強いストレスを感じていたんです。乱れていた生活習慣も改善しました。一日のタバコの本数は50~60本でしたが、病気になってからは1本も吸っていません。酒も毎晩、焼酎を中心に4合から5合飲んでいましたが、今はビール1杯程度です」

退院から2ヵ月がたち、徐々に手術前の通常の生活に戻している。だが、完全に治ったわけではない。疲れやすく、息切れが起き、気力がわかない日もあるという。

「ニトロベン(血管を拡張させる薬)は、常に携帯しています。医師からは、苦しいと感じたらスグに服用するように言われているんです。

父は私と同じ54歳の時、心筋梗塞で亡くなりました。天国から、救いの手をさしのべてくれたのかもしれません。意識を失い転倒した時、パニック障害だと決め込んでいなくて良かった。病院に行って手術を受けなければ、確実に命を落としていたでしょう。当時を振り返ると、冷や汗が出ます」

現役時代は、捕手として一球一球をおろそかにせずミットで受け止めていた。今は健康でいることのありがたみを噛みしめ、一日一日を大切に過ごしている。

  • 撮影西崎進也

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