近藤真彦が自宅を売却…妻に迫られた離婚と「ありし日の思い出」 | FRIDAYデジタル

近藤真彦が自宅を売却…妻に迫られた離婚と「ありし日の思い出」

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結婚直後に住んでいた3階建ての一軒家を売却していたことが報じられた近藤真彦
結婚直後に住んでいた3階建ての一軒家を売却していたことが報じられた近藤真彦

近藤真彦が結婚直後に住んでいた自宅を売却していたという。

近藤ファミリーは現在都心にあるマンションに住んでいるが、この家は結婚後に夫婦で住むために建てた3階建ての一軒家。『女性セブン』によれば、長年親しい知人に貸していたが今年の8月に売却されたという。

なぜ売りに出されたのか。芸能関係者によると、ひとつは昨年11 月の不倫報道以降、仕事が激減したことで困窮しているという説。そして、もうひとつは今もも不倫相手と“繋がっている”という話もあり、妻への財産分与のためである可能性もあるのでは…という。

近藤と家族の思い出が詰まったこの家は、結婚する前年の‘93年に建てられた。場所は東急東横線沿線の駅から近く、高級住宅地とまでは言えないが閑静な住宅地の一角。当時近所には桑田佳祐・原由子夫妻も住んでいた。

長年、芸能記者として活動してきた筆者も、人気絶頂だった近藤真彦の取材で駆け回っていたものだった。

思い出すのは近藤が結婚した年の師走も近づいたころの話だ。新妻のA子さんが居酒屋で働いているという情報が、私の元にもたらされた。

なんとA子さんはその店の“女将”だという。お店があった場所は東急東横線のガード沿いで新居から歩いて15分ほどのところだった。近藤は入籍会見で、

「一人の女性を養っていく責任を感じる。仕事にも気を入れなくちゃ」

と語っていた。それなのに新婚早々新妻が働きに出なくてはならないのはどうしたことなのか。ひょっとしたら趣味のカーレーシングにお金をつぎ込みすぎて、芸能活動だけでは立ち行かなくなったのか…などと考えながら自宅に近藤を訪ねてみると、2階の窓から身を乗り出して取材に答えてくれたのだった。

近藤の話では、A子さんがいる居酒屋というのは、元々は彼が通っていた知り合いの店であって、料理の勉強のために妻とその友人4、5人で作って商店街のオジサンたちに提供しているということだった。“妻は決して女将などではない”と。

後になって聞いた話だが、A子さんはお店で仕事しながら近藤のために料理の腕を磨いていたらしい。

ある日の夜、時間は午前1時半をまわった頃。酔客たちが去り、店を閉める時間に近藤がA子さんを迎えにきたことがあった。自宅から近いのだが、帰宅が夜遅くなるからだろうか、この日A子さんは車でお店に来ていたのだ。

そして近藤もバイクでやってきた。近藤がお店のシャッターを降ろした後に、彼女が運転する車の後を追う形で、ふたりは仲良くランデブー走行で帰っていく。新婚とはいえふたりの仲睦まじさが伝わってきたものだった。

あれから27年が過ぎた。近藤はふた周りも年下の女性と5年間にわたり不倫関係を続けていたことを報じられることになるとは想像できなかった。

「奥さんはとてもわきまえている人で表に出ることはなく、長年近藤さんを支えてきました。当たり前ですが、離婚も辞さないというほど激怒していたと聞きました。

息子さんも難しい年齢ですからね。父親として顔向けできないことをしでかしてしまい、母子の反発は激しかったようです。ですが話し合いを続け、とりあえず離婚は回避できたそうです」(女性誌記者)

収入の面でも今までに比べたら激減するだろうと見られている。今年の4月にジャニーズ事務所を電撃退所してからすでに半年近くが経過したが、

「事務所を退所したことで、役員待遇で支払われていた報酬はなくなったようです。レース活動に関してはスポンサーが離れていないので問題はないと思いますが、新型コロナの影響もあってスポンサーフィーも減額されていると聞きましたから、経済的に十分な余裕があるとは言えません。後ろ盾だったメリー喜多川さんも亡くなっていますし、苦しいんじゃないでしょうか」(同・芸能プロ関係者)

家族の、あの幸せな思い出が戻ることはあるのだろうか。

  • 取材・文佐々木博之

    宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。現在はコメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中

  • PHOTO結束武郎

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