眞子さまと小室圭さん「3年ぶりの再会」は静かな涙に包まれていた
10月18日午前9時過ぎ、3年ぶりに赤坂御用地に足を踏み入れた小室圭さんは、向かう車中で深い吐息をついていたという。

横浜の自宅で小室さんは早暁に起床し、ニューヨークで買い求めたネクタイを締め、宮内庁が用意した黒のワンボックスカーに乗り込んだ。
「おはようございます。よろしくお願いいたします」
複数の警察警備、宮内庁職員に向かい、そう言って頭を下げた。小室さんは、この日のために数回にわたりPCR検査を行い、車内で、再度検温もした。
「小室さんの乗ったワンボックスカーが赤坂御用地に到着したと知らせが入り、玉砂利を踏みしめる小室さんの足音を聞いて、眞子さまは涙ぐんでいました。小室さんを迎えた眞子さまは、小室さんに向かい一礼。小室さんは深々と頭を下げました。静かな再会でした」(宮内庁関係者)
対面には、秋篠宮家の住まいである「御仮寓所」ではなく、行事などに使う「赤坂東邸」が使用された。
「これは、感染症対策のためです。面会の時間もそのために、短時間でと心掛けておられました」(宮内庁関係者)
秋篠宮夫妻が来られるまで、小室さんは通された部屋で直立したまま、緊張の面持ちで待った。ほどなく秋篠宮は笑顔で部屋に現れ、その後ろについて紀子さまが入ってきた。紀子さまもまた、涙ぐんでいた。
「髪を整えられたのですね」
秋篠宮殿下はそう言いながら着席を促したという。ニューヨークで頑張った3年間をねぎらうような優しい声がけだった、とこの関係者は語る。
小室さんは、ニューヨークでの学業と生活、法律事務所への就職を報告。
「弁護士資格取得については、年内に明らかになりますが、合格出来ます」
と力強く話し、今後の仕事、生活の見通しが立ったことを伝えたそうだ。秋篠宮夫妻が心配する、長女眞子さまの生活環境についても説明を尽くし、最後に、母親のトラブルについてはもっとも時間をかけて状況を説明した、という。紀子さまは心配顔のまま、ひたすら頷きながら小室さんが話す顔をじっと見つめていたという。
「娘を嫁がせる母親の気持ちは、いつの時代でもどこの家庭でも、変わらないのですよ。ましてや、皇族の身分から皇籍離脱して民間人になるのですからご心配はひとしおでしょう。なにより、眞子さまが健気に待ち続けたこの3年間の日々のお姿をずっと見続けてきたわけですから。紀子さまは、これからも心配し続けるでしょう。
ご両親のお立場からすれば、眞子さまのお顔をちょっと見に行くなんてことは許されないのです。秋篠宮さまご一家は、平成の時代、上皇さま上皇后さまと頻繁にお食事をされ、ご静養先の那須や葉山でご一緒のお時間を過ごされました。それが上皇后さまのご教育方針だったのです。けれども眞子さまはアメリカに行ってしまう。これは本当にお辛いことだと思います」(元皇族)
小室さんの滞在は、4時間近くに及んだ。
「小室さんが秋篠宮さまと話されたあと、眞子さまと二人で渡米までの準備などを話し合ったようです。まだ、小室さんがニューヨークに戻る日取りは正式に決まっていません。おそらくお二人は、秋篠宮さまの誕生日会見を考慮しておられる。いずれにしても、11月下旬に渡米することになるのではないでしょうか」(宮内庁職員)
秋篠宮さまの誕生日は11月30日。記者会見は、通例では誕生日の数日前に収録される。発表原稿は、その10日ほど前に出来上がり、殿下はそれを幾日もかけて推敲するのだ。
今春、宮内庁が眞子さまの結婚を正式に発表した。そのとき、
「多くの国民が二人の結婚を納得し、喜んでいる状況ではないのではないかと思っています」
秋篠宮は、穏やかな物言いながら、厳しい発言をした。が、今は違う。
「秋篠宮さまはかつて、英国オックスフォード大学大学院動物学科に留学したとき、ホームシックになったご経験があります。今、父として、ひとりニューヨークで頑張り続けた小室さんと、眞子さまの忍耐を認めてあげたいというお気持ちになられている」(同)
小室さんが秋篠宮邸を訪れた翌日、眞子さまは宮中三殿の「天照大神」をまつる賢所、皇霊殿、神殿に拝礼した。今後、天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻を訪ね、あいさつする。
秋篠宮皇嗣殿下の誕生日会見は、若い二人を言祝(ことほ)ぐ、心温まる言葉が紡ぎ出されるだろう。結婚し、巣立ってゆく娘に対し、親として最後の責任をまっとうするのだ。小室さんと眞子さまは、全力で幸せにならなければならない。
取材・文:橋本隆