史上最高倍率を突破した元タカラジェンヌ「家族」「離婚」の葛藤 | FRIDAYデジタル

史上最高倍率を突破した元タカラジェンヌ「家族」「離婚」の葛藤

「東の東大、西の宝塚」永遠のフェアリーたちのセカンドキャリア

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撮影:菊地弘一

2006年までの11年間、男役スターとして活躍した月丘七央さんは、宝塚音楽学校史上最高倍率の48.7倍を突破して入学。在団1年目にCDデビュー、CM出演まで果たしたエリート中のエリートだ。

しかし退団後、すぐに結婚した夫と昨年離婚し、その直後に父が他界した。まぶしい笑顔の裏に隠されていた月丘さんの家族との苦悩や、“サードキャリア”への決意を赤裸々に語った

試験当日、天海祐希のモノマネをした

宝塚音楽学校に入る人はいわゆる恵まれた家庭、というイメージが強いと思います。でも実は私は育ての父とあまり馬が合わなかったんです。母が再婚後に生まれた妹と弟とは仲が良かったのですが、早く家を出たかったということも、寮があるタカラヅカに憧れた、ひとつの理由かもしれません」

九州は熊本生まれ。母が離婚したため、しばらくは母子家庭であったが、8歳のときに母がお見合いをして再婚し、大阪へ引っ越すことになった。その相手が昨年亡くなった父である。つまり、血のつながりはなく、育ての父というわけだ。

大阪に引っ越すまでは、まったくしゃべらないおとなしい子どもだったという。そんな性格を180度がらりと変えたのが、タカラヅカの大ファンだった、友人との出会いだった。遊んだ帰り道に、その友人が池田理代子先生の『ベルサイユのばら』の上下巻を月丘さんの自転車のかごに無理やり突っ込んだ。

「少女漫画はあまり読んだことがなくて、気が進まなかったのですが、読んでみたら、すぐに夢中になってボロボロ泣いて……すっかりハマってしまいました。そのあと、友人がおすすめしてくれたタカラヅカ版の『ベルサイユのばら』のDVDを借りて観ました。その舞台で演じていた天海祐希さんを観て、この人と同じ舞台に立ちたいと宝塚に入りたいと思ったのです」

タカラヅカを目指すことを両親に話すと猛反対されてしまう。大好きな天海さんが表紙を飾っていた雑誌『歌劇』で、受験スクールの広告を見つけて通うことに。反対する両親には月謝は断り、自分でアルバイトをして支払った。

「みんなが幼少期からやっている、バレエも声楽も習っていなかったですし、親からも〝そんなんで受かるわけないでしょ〟と言われていました。試験当日、やっぱりすごい人たちが集まってきていて、圧倒されたのですが、関西人として爪痕をのこさないと!と思って……いきなり『モノマネします!』と言って天海祐希さんのモノマネをしたんです。

全然似てないから、審査員の先生たちは失笑して、『はい、わかりました』と(笑)。自分でもまさか受かるとは思っていなかったのですが、1回で合格をいただきました。でも、なぜあんなモノマネをしたのか……(笑)」

自分に光が当たることへの戸惑い

月丘さんが在学中は、かなり校則が厳しかった。入浴時間が限られた中で、掃除も行うが水滴や髪の毛1本残してはいけないという規則が存在した。上級生に怒られてしまうと、寝る時間が削られるため、入浴を諦めて真水で髪を洗ったこともあったそうだ。あまりにも厳しい規則に、中には辛くなって辞めていった同期もいたが、月丘さんは辞めようとは思わなかった。いくら厳しくても、天海さんと同じ舞台に立ちたいと思っていたからだ。

研究生1年生(劇団入団後、研1)からもプライベートがなかったと振り返る。観に来てくださった方にお礼状を書いたり、上演作品の原作の映画を観たりと時間がない日々は続いた。

「研1のときに各組の82期生の中から1名ずつ選抜され、t.a.p(Takarazuka Angel Project) というグループが結成されました。ライオンのCFソングを歌い、CDもリリースして。

新設された宙組に集められたんです。私が選ばれて嬉しい反面、実力が伴っていないのに、どうして選ばれたんだろうと、嫌だったんです。CM出演は親も喜んでくれたけれど、舞台をやりたいと思っていたので複雑でした」

月丘さんがタカラヅカ入団前に初めて劇場で観た作品が、天海さんが出演していた『PACK』だった。宝塚版『エリザベート』で知られる劇作家で演出家の小池修一郎先生の作品である。月丘さんは小池作品が節目となるタカラヅカ人生であった。

「いちばん心に残っている作品は『エリザベート』です。私が黒天使役に大抜擢されたのです。黒天使といえばダンスがメイン。ダンスもはったりで入ったのに……(笑)。なぜ、選ばれたのか自分も周りの人も驚いてました。その役をやりたい人がたくさんいる中で、とてもプレッシャーを感じました」

輝いてしまう“華”のある人だ。だからこそ、何度もチャンスが巡ってきたが、その葛藤を表に出せないつらさとも戦っていた。

撮影:菊地弘一

退団の先にあった恋愛結婚

11年在団した月丘さんだが5年目あたりから、引き際について考えるようになったそうだ。当時、退団する人がいると、自分のそのときを見極めるかのように、よく話を聞くようにしていたという。

「みなさんそれぞれ、辞める理由は次にやりたいことがあったりとか、違っていたけれど、辞めるときの顔がとてもスッキリしているんですよね。そんな姿を見て、私は今やめても多分後悔すると思ったんです。惜しまれて辞めたい、周りの人に祝福されて自分が笑顔で去りたいと思って」

月丘さんは「次に小池先生の作品を演じられたら辞めよう」と決め、2006年7月、『NEVER SAY GOODBYE』をもって退団した。引き際を考え始めてから5年の歳月がかかったが、気持ちを整理するには十分な月日だったのだろう。

「タカラヅカというところは、離れるともう二度と戻れないという場所。でも、この作品で引退しようと決めたときには、遠距離恋愛をしていたパートナーとの結婚も視野に入っていたので、特に不安はありませんでした」

『このまま終わってしまうのかな』

退団後すぐに結婚して、名古屋で専業主婦になった。めまぐるしく忙しくしていたのに、ずっと家にいるということが苦痛に感じられた。働きたいと言って夫と喧嘩になったが、ほどなくして営業の仕事を始めることになる。思いのほか成績がよく、会社から必要とされる存在に。

月丘さんと元夫の間には子どもはいない。結婚したからと当たり前のように、妊活したこともあるが、あるときそこまで子どもがほしいわけじゃないと気がつき、夫婦で相談し、妊活を辞めて犬を飼うことにした。ただ、結婚後から少しずつ感じていた「ちょっと違うな」というズレをお互いに解消できず、昨年末、13年の結婚生活にピリオドを打った。

「出会ってから長かったので男性、女性というより親兄弟みたいな感覚になって。『このまま終わってしまうのかな』みたいな感情が出てきて…。私にもやりたい仕事も出てきたりして、いろんなことが重なって決断しました。現在は外資系の会員制サービスの会社に勤務しながら、今年の夏は13年ぶりに舞台に立ちました。会社の人に観に来てもらって、私の新たな一面として知ってもらえたのも楽しいですし、いまの時代、いろんなことができる方が強いですよね。今後はもっと新しいことにも挑戦していきたいと思います」

常に彼女はじっくりと考えて自らが納得する決断をしているからと迷いがないのだろう。ただひとつ、すっきりとはしないことがある。それは父の死である。嫌だと思っていた育ての父だったが、やはり大きな存在を亡くしたと心に大きな穴が開いているという。

「あまり恵まれているとはいえない家庭環境でしたが、私にとってタカラヅカは、かけがえのない人間関係を築けた場所。財産なんです。あの父がいなければ、タカラヅカにも出合っていないし、大好きな妹や弟たちも生まれて来なかったと思うと感謝しかありません。母も病気がちですが、もっと親孝行したいと思います」

一見強い女性のように映る月丘さん。このままひとりの人生を謳歌するのかと思いきや、そうではなかった。いい距離感でいられるパートナー探しもしたいと語る。

「私は決して強い人間ではないんですよ。ずっとひとりでいいとは思っていなくて。自分が体調を崩したときに、夜中でも気兼ねなくすぐ電話できるようなパートナーを見つける予定です。石油王が理想なんですけど、どこかにいませんか?(笑)」

どんなに厳しい状況でもユーモアを忘れずに前向きに生きる月丘さん。セカンドキャリアからサードキャリアの局面に入っても、宝塚時代に培ったたくましさで前に進んでいくのだろう。

8月、シンクロナイズドスイミング演劇 舞台「キラメキ」に出演(写真提供:Vanillaモデルマネジメント)
撮影:菊地弘一
撮影:菊地弘一
  • 取材・文上紙夏歡撮影菊地弘一

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