結婚した眞子さん「ひとりの人として」生きる自由に包まれて | FRIDAYデジタル

結婚した眞子さん「ひとりの人として」生きる自由に包まれて

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皇族として過ごした宮邸を出発する小室眞子さん。どうか自由に、ひとりの人として輝いてほしい 写真:共同通信
皇族として過ごした宮邸を出発する小室眞子さん。どうか自由に、ひとりの人として輝いてほしい 写真:共同通信

秋篠宮眞子内親王が、「小室眞子さん」になった。昨日まで「眞子さま」といっていたメディアが、婚姻届を出したとたんに「眞子さん」と表する。昨日も今日も、彼女は彼女であるにもかかわらず。

小室圭氏と知り合って9年、婚約内定から丸4年。結婚する内親王としてのすべての行事や一時金を振り捨てて、20代すべてを懸けた恋が10月26日、成就した。会見ではふたりで文書を交互に読み、当初予定していた口頭による質疑応答はとりやめになった。

眞子さんは今まで自分の気持ちを話す機会がなかったとして、「誤った情報が、なぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていく」という言葉を繰り返した。何をもってして誤った情報なのか、羅列するわけにはいかないとして文書でも詳細は述べなかったが、彼の母親の「金銭問題」に端を発して、彼の渡米および留学費用がどこから出ているのかとか、皇室を利用して入学したのではないかとか、さまざまな疑惑が生じた、すべてのことに対してだろう。

この4年間、眞子さんは世間からバッシングされ続けた。本来なら小室母に向けられる疑惑の目は息子の小室圭氏を叩くことに取って代わった。だが実際に小室氏は日本にいない。だから叩く手は眞子さんに向き、あげく「ああいう娘を育てた」と秋篠宮家にまで及んだ。

叩き続けている人たちは、途中でもはや何のために、どうして叩いているのかもわからなくなっていたのではないだろうか。叩くことが目的になっているようにさえ見えた。そのなかに、当事者のことを知っていて、なおかつことの子細を知りうる人がどれだけ含まれていたのかはわからない。

ねたみなのかそねみなのか、税金云々とまで言われる始末。税金の使い方というなら、政治家を監視したほうがよほどぐだぐだな使い方をしているのはすぐわかるはずなのに。

自由を求め続けた眞子さん

親や世間に反対されればされるほど、当人同士が燃えるのが「恋愛」だ。外敵に囲まれれば、ふたりの絆は強くなる。

会見で、結婚まで行き着いたのはすべて自分が主導したと眞子さんは告白した。小室氏はもともと海外留学を計画していたが、それを前倒しして「海外に拠点を作ってほしい」とお願いしたのだという。そうまでしても、眞子さんは皇室を離れたかったのだろうし、自由な生活を求めていたのだろう。

物心ついてから、常に「公務」を優先させられてきた自分の出自や育ち方を、大きくなるにつれて「人間らしくない」と思うようになっていたのではないだろうか。たまたま皇室に生まれてきてしまった、それなのに自分のことを後回しにしても「公」に身を捧げなければいけない運命を呪ったこともあるかもしれない。

天皇の弟の子であっても、女性が天皇になるわけでなくても、小さいころから「国民のために」生きなければならないのである。そんな人生、やってられるかと一般人なら思うのではないだろうか。「暮らしに困らないから皇族になりたい」という人がどれだけいるだろう。ちょっと屋台で一杯やることも、ふらりと映画や寄席に立ち寄ることもできない生活を「本気でやりたい。国民のために尽くしたい」と望む人がいるとは思えない。

戦後76年。この間、象徴天皇は国民の支持を頼みに存続してきた。それであるならば、もっと「人としてのナマの声」を国民に届けてきてもよかったのかもしれない。災害があると皇族方の慰問の情景はテレビ等で流されたが、いったいどういう会話があって、彼らが何を思ったのかは伝わってこない。記者たちがごく普通にインタビューができるような環境にシフトしていってもいいのではないか。そうすれば20代の女性皇族が何を考えているのか、天皇皇后が今、何をしたいと思っているのかがわかりやすくなる。支持を集めるには、そうした活動もあってしかるべきではないかと思う。

今回の件で、「わがままなことをして出ていく子だね」と言った高齢の人の声を聞いた。ひとりの男性と恋をして結婚していくのは、一般的にはよくあることで「ただのめでたいこと」なのに、皇族であるがゆえに「わがまま」になってしまう。人は皇室に何を求めているのだろうか。いまだに周囲が決めた男性と結婚するのが皇室の女性のありようだと決めつけているだけではないのか。その人に問うてみたが、明確な答えは返ってこない。

誰もが自分の意見ではなく、「金銭問題」「疑惑」という言葉に踊らされていただけではなかったのか。本当に法律的に何か問題があるなら、今後、明らかになっていくこともあるだろう。ただ、それは、あくまでも「小室母」の問題であり、小室圭氏本人の問題とはなりそうにないが。

「正しい結婚」って、なんですか?

眞子さんが彼を選んだのが「正しかったかどうか」など、誰にもわかりはしない。だが結婚とはそういうものだろう。その時点で決めたことは、のちに過ちであったとしたら正せばいいだけのこと。

たとえ皇族であっても親子の縁が切れるわけではない。娘に挨拶をされたときの紀子妃の泣きそうな顔、いつまでも車の中を覗き込んで手を振っていた秋篠宮のせつなそうな表情を忘れることはできそうにない。そして佳子妃が眞子さんの背中に回した両手の動きも。

彼らもまた、「公と私」の間で引き裂かれるような思いをしているのだろう。

眞子さんが突きつけたのは、「皇族に、ひとりの人間としての自由はないのか」ということと、「皇室はこのままでいいのか」ということ。政治的発言はできないとしても、皇族たちが自分たちの生活や考えを語ることは、もはやタブーではない。むしろ、そこを語ってこそ、新しい皇室となり得るのではないだろうか。さらには、女性天皇、女系天皇についても積極的に採択していくのが「今の時代の皇室」なのではないか。

日本家庭の象徴でもあるとされる皇室に男性優位である「家父長制度」がいまだ根づいているのは、どうにも釈然としない。イギリスのように「生まれた順」に天皇になればいいだけのことではないのか。皇室にそうした変化が起これば、日本において家父長制度の意識は一掃されやすくなる。そして、「類例をみない形」で皇室を飛び出した眞子さんには、アメリカという自由の国で、夫と対等な夫婦関係を築いてほしいものである。

  • 取材・文亀山早苗

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