監禁の恐怖知るジャーナリストが証言 安田純平氏が生還できたわけ | FRIDAYデジタル

監禁の恐怖知るジャーナリストが証言 安田純平氏が生還できたわけ

シリアで拘束されて3年4ヵ月

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10月25日に帰国し両親(後方)や妻の深結(みゆう)さんと再会しおにぎりをほおばる安田氏(深結さん提供)
10月25日に帰国し両親(後方)や妻の深結(みゆう)さんと再会しおにぎりをほおばる安田氏(深結さん提供)

「在英人権団体は、安田純平さんの生還に関しカタール政府が3億円の身代金を払ったと報じました。日本政府は否定していますが、カタールに便宜をはかり身代金を肩代わりしてもらった可能性はあります。同じような例に、’16年5月にイスラム系過激派組織『ヌスラ戦線』から解放されたスペイン人ジャーナリスト3人がいる。スペイン政府はトルコとカタールに協力を要請し、1人につき約4億円払ったと言われています。シリアで反政府派が弱体化している今、拘束するメリットがなくなったと武装勢力が感じ、安田さんを解放したのかもしれません」

こう語るのは、報道カメラマンの横田徹氏だ。

シリアで拘束されてから3年4ヵ月。ジャーナリストの安田純平氏(44)が解放され、10月25日に帰国した。安田氏との親交が深い横田氏はシリアを中心に活動し、過激派組織「イスラム国」(ⅠS)を初めて取材した日本人ジャーナリストでもある。横田氏が続ける。

「安田さん同様、私も拘束されそうになった経験があります。シリア北部で取材中の’13年9月、『アイシス(ⅠSの前身)』の司令官から『話がしたい』と連絡が入ったんです。会議室のような部屋に通されると、大勢の兵士がいて物々しい雰囲気。身の危険を感じましたが、しばらくすると『帰っていい』と解放されました。後で仲介役のコーディネーターに聞くと、『2000ドル(約22万円)であの日本人を売れと言われたが断った』そうです。彼が要求をのんでいれば、私もどうなっていたかわかりません」

’15年6月に、武装勢力に拘束された安田さんの生活は凄絶を極めた。高さ1.5m、幅1mの独房に押し込められ、「24時間身動きしても物音を立ててもいけない」と言われたという。守れないと、他の収容者が呼ばれて殴る蹴るの暴行を受ける。安田氏は食事で身体が動くことを恐れ、20日間にわたり絶食。骨と皮のような状態になり、一時は死を意識したとか。ただ「あなたたちが私を殺さないと信じている」と、明るい声で訴え続けた。

「過酷な長期生活に耐え抜けたのは、安田さんの精神力の強さゆえでしょう。私も取材先の東欧で、窓のない4畳ほどの地下室に監禁されたことがあります。たった1日でしたが、強烈な圧迫感や不安を感じました」(横田氏)

安田氏は’04年4月にも、イラクで武装勢力に拘束されたことがある。当時の心境を、安田氏は本誌にこう振り返っていた(’12年12月7日号)。

「拘束された時、とにかく大げさなリアクションをしました。『熱い!』とか『美味い!』とかね。向こうは殺気立っています。まず緊張感を解こうと思ったんです。ある元特攻隊員の記事を読んだんですが、『自分は遺書を書かなかった』と語っていました。どんな状況にあっても、死を受け入れたらダメなんです」

何があっても諦めない――。そんな強い意志があったからこそ、安田氏は生還できたのだろう。

’12年の本誌インタビューに対し拘束時の心境を語った安田氏
’12年の本誌インタビューに対し拘束時の心境を語った安田氏

撮影:船元康子

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