「ヤクザにも引かんかった」『天下一品』創業者が明かす壮絶50年 | FRIDAYデジタル

「ヤクザにも引かんかった」『天下一品』創業者が明かす壮絶50年

ちょうど半世紀前の11月10日、はじめてラーメンを売り始めた木村勉氏が、その半世紀の歩みを語った

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半世紀の激動を熱く語ったラーメンチェーン店「天下一品」の木村勉会長。86歳には見えない(撮影:加藤慶)
半世紀の激動を熱く語ったラーメンチェーン店「天下一品」の木村勉会長。86歳には見えない(撮影:加藤慶)

「……感無量ですな。うん。屋台を引っ張ってた時は、まさかここまでこられるとは夢にも思わないんやけどね。これも皆さんが協力してくれたおかげや思ってます」

眼下に広がる琵琶湖の眺望は天下人の証か。

天下一品が経営する滋賀県大津市にある「スパリゾート雄琴あがりゃんせ」。美術品や猛獣のはく製が居並ぶその会長室で、天下一品の創業者にして現・代表取締役会長、木村勉氏(86歳)がこってりな人生を回顧し目を細める。

初めての夜はわずか11杯しか売れなかった

50年前の今日。昭和46年11月10日は、勤めていた会社が倒産し、拾い集めた廃材から友人に屋台を作ってもらい、京都は銀閣寺周辺ではじめてラーメンを売った日だ。その夜に11杯しか売れなかったまだ名もなきラーメンは、あの夜から50年を経て“天下一品”という類なき一杯として、群雄割拠の戦国ラーメン界に御旗を打ち立てるまでになった。

「“天下一品”という名は本当にたまたま。京都には歌舞伎座の南座ありますわな。あっこの真ん中で屋台をよお広げとった。歌舞伎で『あの役者は“天下一品”やで』なんて言うやろ。ラーメンでもその名をつけたらお客さんも注目してくれはるかわからんなぁ……と、いきあたりばったりでつけたんですわ」

名は体を現す。創業時は屋台仲間から聞いて作った当時どこにでもありそうな醤油ベースのラーメンだったが、お客さんに“わざわざ来てでも食べたい”と思わせる唯一無二のラーメンを目指し、屋台を引きながら別の寸胴であらゆる食材の可能性を試した。柱に据えたのは鶏ガラ。それに大量の野菜だ。

「鶏ガラにこだわったのは、当時身体を壊して病院へ入院したときに医者が『家で食べるものは気を付けなさい。できたら魚か鶏や。そういうのが身体にいい』と言いはるわけや。それ聞いてじゃあもう鶏を中心にしよう、と決めた。牛や豚のほうが、スープの量もたくさん取れるし、インパクトを作るのも簡単やけど、毎日味見するもんやし、この鶏をがんばって使ってスープを作ろうかと。それが結果的に86歳まで毎日食べても健康でいられる身体にいいラーメンになったんやろね」

しかし、鶏ガラであの濃厚なスープにたどり着くまでの経緯は熾烈を極めた。当然のように材料費は嵩み、資金繰りをしながらも、約4年の歳月を要して天下一品の代名詞である「こってり」を執念で完成させる。以来、天下一品のラーメンは、その命であるこってりのレシピは限られた数人しか知らぬ門外不出の奥義としながら、今の今まで世に多くの人たちの胃袋を鷲掴みにしつつ、その味を貫き続けている。

「50年もの間、お客さんに通ってもらえるのはこの“こってり”のスープを続けてきたからや思うとります。なんでもそうや思いますけど、同じものを長いこと貫き続けるいうのは大変ですわな。目先のブームでころころ変わるもんやない。これと決めたら、絶対に揺るがへん。鶏ガラでいくと決めたら鶏ガラや。違うのは、ひとつのもんを貫くためには、やり遂げるまでやらんとアカンいうこと。これと決めたものができたら『お客さんに喜んでもらうにはどうすればいいか』を頼りに味を調整していくんやね。

お客さんが残さはったらスープを飲ませてもろたり、食べた人からの『味が濃いわ』『油が少ないわ』いろんな意見をもらって、毎日味見しながら『今日の味はこれでええのんか?』という自分の感性を総合しながら完成させていく。

はじめて店を持った北白川の本店がオープンしたとき、400人ぐらいの人が来てくれはった。もう、夢ですわ。夢が現実になった。この50年で一番うれしかった時かもしれへん。そのよろこびと、これからがんばらなアカンという思いで、今日までやってこれた。233(2021年11月現在)あるお店、ひとつひとつ。オープンする度にお客さんがようけ来てくれはるやん……もうこれ以上にうれしいことはないやろね」

京都市内、北白川本店の3つの釜で炊きだされていたスープは、90年代になると滋賀県の瀬田にスープ製造のすべてをまかなう工場が完成。全国に供給できるシステムを完成させると、これを機に全国に直営店・フランチャイズ店が展開していく。

それでも、天下一品はいたずらに出店数を増やすことは許さず、FC店でも新規オープンのたびに現地の店に飛んでは自らの分身のように愛着を持って指導をした。店がどれだけ増えようとも、ヒマを見つければバイクに乗ってひょいと現れ、レンゲでスープを味見しては厳しい意見を言って去っていく。

「人に意地悪は言わんけど、仕事になるとわし意地悪でっせ」

“こってり”の味は、今も続く天下一品、黄門さまの味見行脚が守っているとも言っていい。

「もうそんなんね、店をただ増やすぐらいのことは簡単ですわ。お店もどんなに増やそうとも300店舗までしか出さないと決めとるんです。なぜって、わたしにとっての“成功”はラーメンの味ですわな。味。“おいしいこってりを作ってお客さんに出す”いうのがわたしの仕事であり人生の目的。そうなると、お店を出したい言うてくる人もぎょうさん断ってきた。

『金はあんねやさかい、店出したらええんや』いう人はまずあきまへん。やっぱりマジメに、自分が店に立ってしっかりとお客さんにおいしい一杯を出すとがんばれる人やないとね。それに、そういう人らがお店を持ってやってくれとるんやから、店の間隔も100m、200mしか離れとらんかったら迷惑掛かるやん。せやからどこもかしこにも出店するような適当なことは許可しないねん」

一度食べたらヤミつきになるような、鶏ガラベースの濃いスープが特徴(撮影:村瀬秀信)
一度食べたらヤミつきになるような、鶏ガラベースの濃いスープが特徴(撮影:村瀬秀信)

松方弘樹、大村崑、SUGIZO…も「こってり」にハマった

ファミリーに入るまでの敷居は高く、入ってしまえば徹底的に守る。こってりの規律は血よりも濃ゆくスープより深し。人との縁を大切にしてきた50年。その思想は2005年に幹部社員の猛反対を押し切って雄琴にオープンしたという天下一品のスパリゾート施設「あがりゃんせ」にも色濃く反映されている。

行列に並んでいる時に木村会長に出くわして、ここの招待券を渡された人もいるだろう。“お客様への感謝の思いを還元する場所”として天然源泉を2本採掘して作られたこの温浴施設は、大衆演劇場も、デラックスリクライニングチェアも関西最大級の岩盤浴もある天下一品ファンの竜宮城。現在は湖の一部を削りグランピング施設をつくっているというが、屋台から身を起こし、琵琶湖の形をも変えてしまう様はまさに天下人。ちなみに食事処はイタリアン・焼肉・和食のみで、天下一品が併設されていないのは、施設の両隣にある堅田店、唐崎店を慮ってのことだとか。

「やっぱりね。自分だけの力じゃどうにもならんやん。わたしが屋台を引いていた時から、人とのつながりが重なり合って今があるんや思います。天下一品が大きくなってから、いろんな鶏屋さんが『買うてくれ』『安くしまっせ』言うて入り込もうとしてきますわな。それでもわたしは業者は変えまへん。美味しいこってりを作るために、一緒になって大きくなっていったところもあるしな。潰れてしもうた業者さん以外は、基本的に変えたらアカン。今は息子に社長を譲ってますけど、そこだけは変わらへん。

わたしは会長になってからほぼ毎日この『あがりゃんせ』におりますけど、ここにおるといろんなお客さんの声が聞こえるんですわ。あそこの店のスープは薄いだぬるいだ。70歳超えた人が『屋台のころからしょっちゅう食べにいってまっせ』とか言う人もおる。この前なんぞ、昔、京都で警察官をやっていたという方が風呂入りに来はって『会長さんな、昔銀閣寺のところで屋台を出しとったやろ。邪魔しに来たヤクザにどつかれて血だらけになっとったとき、わしが止めに入ったんや。

病院に連れて行こう思たけど、金がないからいかへんてきかんねん』って言うとった。わたしは屋台引いてたころから、何度袋叩きに会おうとも一度としてヤクザには引かんかったんや。『こいつは殺さな言うこときかん』言うて来なくなってな。

しばらくしたら、別のもんが来はった。ラーメンを食べにやけどな。普通の人も、警察官も。

京都では松方弘樹さんや大村崑さんも、CMやってくれとるSUGIZOさんも、みんなこってりのファンになってくれてな、本当にたくさんの人のおかげでいまがある。感謝感謝の50年ですわ」

天下一品は2018年に社長に就任した木村一仁氏の代となり、カップラーメンの発売や海外展開など次の50年に向けて歩みはじめている。一方で、ご隠居様となった木村会長は毎日どこかの店舗でにんにくをひとさじいれたこってりを一杯食べ、あがりゃんせでお客さんの声に耳を傾け続けている。

「社長は海外に目を向けとるけどな。おまえが行くんのはいいけども、お父さんは行かへんぞ、と。わたしは年やし、そんなしんどいことかなわんわ。なぜって、外国はひとつ違うたら鉄砲があるやん。わしは京都でヤクザに殴られるんならなんぼでも我慢できるけど、ピストルはあかん(笑)。やっぱり大事なものは人であり、従業員は宝や。やるからにはしっかりと守ってやらんと。そして50年続いたこのこってりの味を、100年、200年と続けて行ってくれたらな……そうであってほしい。そうであってほしいな。

わたしはもう年やけど、情熱はまだ消えてへん。生涯こってり。生まれ変わってもラーメン屋や」

明日もお待ちしております。

※11月10日は天下一品創業記念イベント
営業開始から営業終了までラーメン一杯につき
ラーメン(並)無料券をプレゼント
https://www.tenkaippin.co.jp/50th/index.php

京都府京都市にある昭和46年創業の総本店(撮影:村瀬秀信)
京都府京都市にある昭和46年創業の総本店(撮影:村瀬秀信)
総本店の中に一歩入ると、若かった頃の木村会長の写真も貼ってある(撮影:村瀬秀信)
総本店の中に一歩入ると、若かった頃の木村会長の写真も貼ってある(撮影:村瀬秀信)
全国に200店舗以上ある「天下一品」。この50年でここまで広がると木村会長は想像できたのだろうか(撮影:村瀬秀信)
全国に200店舗以上ある「天下一品」。この50年でここまで広がると木村会長は想像できたのだろうか(撮影:村瀬秀信)
ラーメンの器の中にも、お客様への思いを込めている(撮影:村瀬秀信)
ラーメンの器の中にも、お客様への思いを込めている(撮影:村瀬秀信)
  • 取材・文村瀬秀信撮影加藤慶

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