未来の世界王者になる男・重岡銀次朗 小5で誓った「生涯不敗」 | FRIDAYデジタル

未来の世界王者になる男・重岡銀次朗 小5で誓った「生涯不敗」

まだまだ日本には怪物がいる!高校5冠、プロ6戦全勝5KO

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「『負けを肥(こ)やしに強くなった』と語る選手がいますが、理解できないですね。僕は常に『絶対に勝たなきゃいけない』という大きなプレッシャーと戦いながら、ここまでやって来ました」

鋭い眼光に気持ちの強さが表れている。爆発するようなパワーと冷静さを兼ね備えているのが銀次朗の強み
鋭い眼光に気持ちの強さが表れている。爆発するようなパワーと冷静さを兼ね備えているのが銀次朗の強み

WBC世界5位、WBOで6位にランクされる重岡銀次朗(22)は「無敗」を自らに課してキャリアを駆け上ってきた。

世界タイトル挑戦に集中するため、2度防衛したWBOアジアパシフィックミニマム級タイトルを8月に返上。目下の戦績は6戦全勝5KOだ。銀次朗が所属するワタナベボクシングジム・渡辺均(ひとし)会長(71)は「間違いなく世界王者になる逸材」だと太鼓判を押す。

「これまでに4人の世界王者を送り出しましたが、銀次朗の能力は彼らと比較してもまったく引けを取りません。ボクシングを始めたころから負けを知らないなんて、常識では考えられないですよね。どこまで上り詰めるか、楽しみです」

身長153㎝の小兵ながら、KO率83%が示すようにパンチは重い。冷静に相手を観察し、自分のボクシングを貫く技術と度胸が魅力だ。銀次朗は語る。

「幼稚園の年長のころから、2つ年上の兄貴と一緒に空手道場に通っていました。でも、僕はこの通り小さいですから、体格で勝る相手に負けてばかりいました。当時、テレビで見た長谷川穂積さん(40)が恰好良かったこともあって、小学4年生の終わりからボクシングも並行して始めました」

階級制であるボクシングは、小柄な銀次朗に適していた。

「パンチの出し方、よけ方、ステップなど、空手で身に付けたことがボクシングで生きました。小学5年生で出場したU-15の大会で、全国優勝を飾ることができたのです。まさか、という感じでしたが、僕はそこで『今後、負けることは許されない』と自分に誓いました。言わば、あの日から僕は、世界一になるための練習をやっているのです」

中学に進んでも部活動には参加せずに、ジムでボクシングを続けた。そして、兄の後を追うように故郷、熊本の開新高校に進学する。

生涯無敗を誓った銀次朗だが、実は入学から数ヵ月後に催されたインターハイ熊本県予選の決勝でキャリア唯一の黒星を喫している。対戦相手は兄、優大だった。「兄弟に生死を懸けた戦いをやらせるわけにはいかない」と判断したボクシング部の顧問が、試合開始のゴングと同時にコーナーからタオルを投入したのだ。

「顧問の配慮ですから仕方ありません。それに高校1年のころはまだ心のどこかで『そのうち負けるのではないか』と思っていましたから。ところが、春の選抜大会で全国優勝することができた。実績を積むほど、勝つことが当たり前になります。負けは許されないと、背負うものがどんどん、大きくなりました。結局、左手首の骨折で出場できなかった高3の国体以外、すべての大会で優勝しました」

高校5冠王者として、鳴り物入りでプロ入り。兄は拓殖大学に進学し、五輪を目指したが、銀次朗はプロに拘(こだわ)った。

「プロは華やかですし、あのころもいまも、世界のベルトしか僕の眼中にはない」

ワタナベボクシングジムを選んだのは、元WBA/IBFライトフライ級チャンピオンの田口良一(34)、現WBAライトフライ級スーパー王者の京口紘人(27)、前日本ミニマム級王者の谷口将隆(27)と、軽量級のトップ選手が在籍し、彼らに揉(も)まれることが成長に繋がると考えたからだ。

「上京して5ヵ月後くらいに京口さんとスパーリングをやらせていただいたんです。3~4ラウンドでしたが、レベルの差を痛感しました。序盤はわざと攻めさせておいて、徐々に京口さんの距離、リズムになって捕まえられてしまいました。自分の長所を消され、スタミナが無いことも思い知らされました。京口さんとはトータルで、30ラウンドくらいのスパーリングをしていると思います。毎回、物凄く勉強になりますね」

そのスパーを観ていた渡辺会長は銀次朗の成功を確信する。

「たしかに京口が押していましたが、銀次朗のパンチの当て勘、距離の取り方には目を見張りました。アマチュアでの輝かしい戦績は伊達じゃない。ストイックな選手で、ボクシングに対する姿勢も申し分ない。世界を獲らせてやらねば、と心底思いました」

’19年7月、デビューから4戦目でWBOアジアパシフィックミニマム級タイトルを獲得。初回KO勝ちだった。同年大晦日には5ラウンドで挑戦者を沈め、初防衛に成功した。この一戦で渡辺会長は銀次朗の底力を目の当たりにする。

「あえてパンチのある選手との試合を組みました。1ラウンドにカウンターの左ショートでダウンを奪い、上々の滑り出しだったのですが、第3ラウンドに左ストレートを喰らい、腰を落としたんです。ダメージを負ったうえ、さらに左を浴びて銀次朗は劣勢に立たされました。それでも、4回に足を使って距離を取り、ボディで相手を弱らせて試合を組み立て直したんですよ。

そして、5ラウンドに得意の左ストレートでノックアウト。クレバーさを見せました。連勝している選手でも、あっという間に崩れるのがボクシングです。ピンチになっても落ち着いて対処できる。それだけ引き出しが多い選手なんですね。自分の出し方を銀次朗はよく理解しています」

渡辺会長はすぐさま、上のステージを用意しようとしたが、新型コロナウイルスが世界を覆い、銀次朗も19ヵ月のブランクを余儀なくされた。

「試合が決まりかけても、すぐに流れてしまう。そんなことが3~4回ありました。キャンセルと聞かされた時は、毎回放心状態になって、何も手につかなくなる。テレビに目をやっても、何も入って来ない。このままボクシングが出来なくなってしまうのかな……と不安でモチベーションも落ちました」(銀次朗)

耐える時期を経て、去る7月14日に無敗の挑戦者を2ラウンドで一蹴し、世界戦に標準を絞った。

「間隔を空けずにリングに上がりたいです。いまは足で相手の攻撃を捌(さば)くことに加え、上半身の動きでパンチを躱(かわ)す練習をしています。必ず、世界のベルトを巻いてみせます」(同)

陣営としては、世界タイトル前哨戦で弾みをつけ、’22年中に王座に挑む青写真を描いている。負け知らずの男の記録はどこまで伸びるか。

練習終わりに駅近くで。リングを降りれば、いまどきのオシャレな若者だ。空き時間は蕎麦屋でアルバイト
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兄・優大(24)と。11月12日、弟が持っていたWBOアジアパシフィックミニマム級タイトルに挑戦する
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『FRIDAY』2021年11月19日号より

  • 取材・文林 壮一
  • 撮影山口裕朗

林 壮一

ノンフィクション作家

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

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