20代をかけた恋を実らせた眞子さんに送りたい「祝福のエール」 | FRIDAYデジタル

20代をかけた恋を実らせた眞子さんに送りたい「祝福のエール」

求め続けてきた自由を手にしたことを祝福~亀山早苗

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米国に出発する秋篠宮ご夫妻の長女眞子さんと「夫」の小室圭さん。羽田空港は喧騒に包まれた。いよいよ新しい人生が始まる 写真:共同通信
米国に出発する秋篠宮ご夫妻の長女眞子さんと「夫」の小室圭さん。羽田空港は喧騒に包まれた。いよいよ新しい人生が始まる 写真:共同通信

小室眞子さんと圭さん夫妻が11月14日、ついにニューヨークに降り立った。午前11時過ぎのジョン・F・ケネディ空港に姿を現した眞子さんは長い髪をまとめもせず、足早に歩いていく。飛行機の中で少しは休んだのだろうか、後頭部の髪が少し乱れているが、気にするそぶりもない。そして陽がさんさんと降り注ぐ空港の出口間際で、羽田空港から旅立った際には見せなかった笑みを浮かべた。車に乗り込む前には、さらに明るい笑顔で関係者にお辞儀を繰り返した。

口角を上げただけのアルカイックスマイルではなく、目がにこやかになっていた。ニューヨークの日差しの中で、彼女は何を感じていたのだろう。この4年間の苦労が報われたと思ったのだろうか、それともこの先の人生に思いを馳せたのか。

「これで晴れて自由の身になれた!」

彼女はそう思っただろうか。

長い年月だった。婚約内定から丸4年経っている。26歳だったふたりは30歳の大台に乗った。

内定時にはすでに交際5年が経過していたのだから、ふたりは20代をこの恋に賭けてきたのだ。婚約内定会見から3ヶ月後、圭さんの母親と元婚約者との金銭トラブルが報じられ、ふたりの予定は狂っていく。

具体的な動きがないまま2年が経過、事態が変わったのは、眞子さんが20年11月に出した文書からだった。

「結婚は自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」という文章に彼女の思いと、どうあってもこの結婚は遂行するという覚悟が秘められている。それを受けて、秋篠宮殿下が結婚は「両性の合意」のみに基づくとする憲法の規定に触れ、「結婚することを認める」との考えを示した。皇族の行事である「納采の儀」などはおこなえないが、結婚は認めざるを得ないというところに着地したのだろう。

秋篠宮殿下は「決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」とも述べている。父としての思いと、国民の支持だけを基盤に存続している皇室の一員としての、いわば「世間体」のような思いが混在していた。秋篠宮もつらかっただろう。苦渋の決断だったのかもしれない。

一方の眞子さんは、その「父親としての言葉」を受けて結婚への道を突き進む。今年9月に、ふたりが年内にも結婚する予定だとマスコミ各社が報じた。そして10月に入って宮内庁が結婚を正式発表。さまざまなことが水面下でどれほど調整されたかが伝わってくる。

同時に、眞子さんが複雑性PTSDであることも公表された。

結婚することが報じられてから、ふたりに対するバッシングは最大限に強まっていた。金銭問題を抱えて(これは母親の問題であるのだが)結婚すること、そこに投じられる税金のこと、あげくは秋篠宮殿下夫妻の子育てにまで言及、一部国民の暴力的なコメントがネットを駆け巡った。

好きな男を全力で守った

そんな嵐のなか、ふたりは26日に婚姻届を提出した。「眞子内親王」は晴れて小室眞子さんとなり、会見では、ふたりの思いを真摯に語った。文書を読み合う掛け合いのような語りに、幼稚だと非難もあった。それでも眞子さんは繰り返したのだ。圭さんが自分にとってかけがえのない人であること、結婚が自分たちには必要な選択であったことを。

圭さんがアメリカ留学を前倒ししたのは自分の希望であったこと、金銭問題に関しても自分の意図した方向で動いてもらったと告白した。圭さんを全力でかばいたい、守りたいと必死になっている眞子さんの熱意が見えた。

20代のすべてを賭けた恋。自分がどんなに悪者になっても、とにかく結婚したかったのだ、彼女は。そして皇室を出てアメリカに身を置きたかったのだろう。自分の顔を知らない人ばかりの中で生きていきたかったのではないだろうか。

結婚後、ふたりには早速、困難が降りかかった。圭さんがニューヨーク州の司法試験に不合格だったこと、母方の祖父の死。メディアも国民も、彼女たちの一挙手一投足に注目している。祖父の葬儀、里帰りなどで外出せざるを得ない眞子さんに、国民の目が注がれる。

それでも結婚して3週間弱、ふたりなりに努力を重ねたのではないだろうか。渡米の2日前、一連の騒動の発端となった金銭問題を、圭さんが母の元婚約者に会って解決の方向性を決めた。これだけは終わらせておきたいという気持ちだったのかもしれない。

渡米前日、眞子さんは赤坂御用地に戻って長い時間を家族で過ごしている。父を亡くした母を慰めもしたかもしれない。親子の情までなくなっていたわけではなかったのだ。最後には佳子内親王とまたハグを交わしただろうか。このとき、眞子さんのいでたちは、V襟のニットにロールアップしたワイドジーンズ。一般人となった覚悟だと報じたメディアもあるが、逆に「一般人となった自由な私」を見せたかったのではないだろうか。

腕まくりをして颯爽と歩く「人生」を

出国時、羽田空港での眞子さんは、紺色ニットのセーターに黒色ワイドパンツ、ローヒールの靴。そのニットの袖はまくられていた。髪は完全におろしている。艶のあるきれいなストレートヘアをなびかせて颯爽と歩いていた。

そしてニューヨークに着いたときの、吹っ切れたような笑顔。この先、まだまださまざまなことを言われるかもしれない。アメリカでは元皇族だからといって注目されることはないと思っているだろうが、ひょっとしたら日本のメディアが潜んでいるかもしれないし、日本から頼まれたパパラッチがいるかもしれない。思うように生きていけないこともあるだろうし、夫婦関係にヒビが入ることもあるだろう。

それでも彼女は自由の国で生きていく。10年近く心の中で温め続け、沸騰したこともあるだろう情熱をひとつの形に終結させて、ここから人生の再スタートを切るのだ。粘り強く「そのとき」が来るのを待ち、ただひたすら自分の意志を貫いたことには心を動かされる。ニットの袖をまくって、無駄な笑顔を振りまくこともなく颯爽と歩く彼女の姿が脳裏から離れない。

これからは笑いたいときに笑い、笑いたくないときには笑わなくていいのだ。滅私奉公をする必要はない。自分のために生きていっていい。ひとりの人間が、求め続けた自由を手にしたことを心から祝福したい。

  • 取材・文亀山早苗写真共同通信

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