『ぼけますから、よろしくお願いします。』信友直子監督が凄い!

「認知症」と「老老介護」を悲劇にしないために、私達にできること

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辛いのに、なぜか心が温まる。現実と向き合う勇気を与えてくれるーー今月、公開された1本のドキュメンタリー映画が、静かな感動の輪を広げている。

認知症を発症した母と、それを自力で支えようとする父の、いわゆる老老介護の日々を追った『ぼけますから、よろしくお願いします。』を撮ったのは、本作が初監督作品となる映像作家の信友直子さん。ほかでもない、映画に登場する母と父のひとり娘だ。

誰もができれば目を逸らしたい、老いの現実や家族の諍いにあえてピントを合わせ、撮り続けた信友さんの心に去来したものとは? 娘として、映像作家として、涙の先に掴んだ「覚悟」を語った。

インタビューを行った、封切りの映画館「ポレポレ東中野」の前で。公開2日目だったが、日曜の昼間の回は、開演前に長い行列ができるほど大盛況だった

病気になってからの人生だって、「楽しんだ者勝ち」

「邪魔になるけえ死にたい! もう死ぬる!」「死ねぇ!」

両親が繰り広げるこんな愁嘆場を眼前にして、あなたは果たして平静でいられるだろうか。

娘としてその場に立ち会い、映像作家としてそのすべてを記録した人がいる。テレビ界で数々のドキュメンタリー番組を手がけている信友直子さん。スクリーンデビュー作となった映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の主人公は、広島県呉市に暮らす98歳の父・良則さんと、89歳の母・文子さんだ。

「もともとは、2000年に自分用のビデオカメラを買って、うれしくて何かを撮りたい! ということで、自分の家族の撮影を始めたんです。まったくのプライベートビデオのつもりで」

都会で働く独身のひとり娘と、故郷で老いていく両親。日本中どこにでもある平凡な一家の風景に、ある日、さざ波が立つ。4年前の2014年、当時85歳の文子さんが、認知症と診断されたのだ。それにいち早く気づいたのは、帰省して撮影していた信友さん。カメラを通して見た現実を、当初は「認めたくなかった」と振り返る。

「でも、ディレクターとして若年性認知症の人たちを取材した経験があり、認知症の初期症状については知識があったので、これは絶対にそうだなと。一刻も早く病院に連れていって、治療を開始したほうがいいと思いました」

そうして始まった、闘病と老老介護の日々。明るく気丈な母・文子さんは、これまで一途に夫を助け、娘を育ててきた一家の太陽のような存在だったが、日々の行動があやふやになり、気分に浮き沈みが現れる。そうして起こったのが、冒頭に記した緊迫の状況である。「私はどんどんバカになってきよる」と泣きわめく母の姿を見て、「一緒に泣いた」と信友さん。それでも、カメラを回し続けた。

「もちろん、娘としては非常に辛いし、撮っていていいんだろうか? と思う瞬間も多々ありました。でも、認知症になったからといって撮影をやめてしまったら、母のこれまでの人生や、人格を否定することになってしまうような気がして」

ドキュメンタリー番組の名物ディレクターとして、数々の話題作を世に出してきた信友監督。45歳の時、乳がんを患った自身を題材に撮った「ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記」は海外の2つの映像フェスティバルで見事受賞した

認知症を発症するまでに撮り溜めたホームビデオの中には、忘れがたい母の姿があった。撮影を始めて7年目の2007年、信友さんは乳がんを患い、手術、化学療法を受けたのだが、その日々を記録した映像には、落ち込みがちな娘を支える文子さんの献身的な姿が映っている。抗がん剤の副作用で髪が抜けた信友さんが「(この姿)かわいそうなことない?」と母に尋ねると、文子さんはためらうことなく「かわいい」と答えるのだ。

「私が病室を離れている間に友人が回していたビデオにも、見舞いに来た友人に向かい、『わがままな娘で、本当にごめんなさいね』と話している母がいたりして……私、号泣したんですよ。この母の愛を、何かの形にしたいと思ったのも、その時でした」

記録を残すのが、私の使命——一時は仕事を辞めて実家へ戻ることも考えた信友さんだが、娘の自立を重んじてきた父・良則さんの「あんたはあんたの道を進んだらええわい」という言葉に励まされ、東京と呉を行き来しながら両親を見守り、撮影を続けた。そうした日々の中、映像作家であったことが、信友さんに思わぬ力を与えていることにも気づかされたという。

「『お母さん、ぼけちゃった』『お父さん、こんなに年寄りになっちゃって』と思い詰めると、今の状況はかなり悲惨ですよね。でも、チャップリンも『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ』と言っているように、カメラを通して少し引いた目で見ると、ちょっとぼけたおばあちゃんと耳の遠いおじいちゃんの、微笑ましい日常のやり取りに見える場面もたくさんあったんです」

たとえばある日、洗濯をしようと取り掛かった文子さんが失調をきたし、汚れ物の中に横たわり、眠ってしまう。しばらくして良則さんがそれに気づくのだが、良則さんは「おうおう、どうしたんじゃ」「まだ洗濯しとらんのか」と声をかけつつ、文子さんをひょいとまたいで、そのままトイレに行ってしまうのだ。

「普通だったら『何寝てるんだ!』って怒るところじゃないですか。でも、これが夫婦の日常。わしは用事をするからゆっくり洗濯しとれ、と相手を尊重しているのが、わが父ながら偉いなぁと思いました。こんなふうに、間にカメラがあることは、私にとって大きな救い。二人が生きるか死ぬかの喧嘩をしている場面は、辛かったけれども、ディレクターとしてはめっちゃ『おいしい』場面でもあったりするんですよね(笑)。娘としては失格かもしれませんが、撮っていたからこそ正視できた部分はあったと思います」

上映の合い間には、女優・小山明子さんとのトークショーが。病に伏した夫・故大島渚監督を、女優を休業して介護し、5年前に見送った。信友監督に、「こんな娘がいればよかった……」と。ちなみに、この映画のプロデューサーは、息子である大島新氏

無口で本ばかり読んでいた夫は自ら家事を引き受け、細やかに妻の世話を焼く。病によって理性から解放された母は、ときに夫にわがままを言って甘え、夫はそれをまんざらでもなさそうに受け止める。記録されたのは、病の進行ではなく、病を得てなお歩み続ける夫婦の絆の深化。認知症という病を現実的に受け止め生きていく姿勢と可能性が、温かく手渡される作品だ。

「認知症を恐れる人は多いですが、今は高齢者の6、7人に1人が罹る病気で、誰の親も、また自分自身もなる可能性がある。だから、闇雲に怯えるのではなくて、なってしまったらそのことを潔く認めて、そこからどうやって生活を楽しむかを考えたほうがいいと思うんです。人生は、楽しんだ者勝ちですから」

大切なのは「家族だけで何とかしようとして、内に抱え込まないこと」だと、信友さん。タイトルの『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、いみじくも文子さんが発病してからのある年の正月の挨拶として、信友さんに発した言葉だ。

「うちの場合は番組を作ることで認知症をカミングアウトすることになったわけですが、近所の人に知ってもらうことで、すごく生きやすくなりました。そして、助けてくれた人には『ありがとう』と感謝を伝える。そういうことがきちんとできさえすれば、世間は優しく受け止めてくれるはずです」

文子さんは公開直前の9月末に脳梗塞を発症し、現在は入院中。しかし、自宅へ戻るためのリハビリを重ねており、良則さんは毎日、手押し車で病院へ向かい、その洗濯物を受け取るなど介護を重ねつつ、娘の映画のチラシを周囲に手渡しているという。

「映画公開が決まって、いちばん喜んでくれたのは父なんです」

信友さんの笑顔は、誇り高い両親のそれにとてもよく似ていた。

 信友直子 1961年広島県呉市生まれ。東京大学文学部卒業後、メーカー勤務を経て映像制作会社に入社。2010年よりフリー。『NONFIX』『ザ・ノンフィクション』などのテレビドキュメンタリー番組で、北朝鮮拉致問題、ひきこもりなど多くの社会問題に向き合う。09年、自身の闘病を記録した『おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』がニューヨークフエスティバル銀賞、ギャラクシー賞奨励賞などに輝く。本作『ぼけますから、よろしくお願いします。』が初の劇場公開作。

『ぼけますから、よろしくお願いします。』
監督/信友直子
製作・配給/ネツゲン フジテレビ 関西テレビ
東京・ポレポレ東中野で公開中。11/17(土)より大阪・シネマート心斎橋、京都・京都シネマ、広島・呉ポポロシアター、横川シネマ、11/24より愛知・名古屋シネマテーク・兵庫・元町映画館、広島・シネマ尾道ほか、全国拡大公開予定。

公式サイトはコチラ

取材・文:大谷道子 撮影:田中祐介

Photo Gallary4

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