凄腕トレジャーハンターが「武田信玄が隠した金塊」を探索! | FRIDAYデジタル

凄腕トレジャーハンターが「武田信玄が隠した金塊」を探索!

令和の時代にも「一攫千金ロマン」はまだ残されていた 日本各地の埋蔵金伝説マップ付き

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川辺の探索をしながら、鋭い眼差しで金属探知機の音に耳をすませる八重野氏。埋蔵金探索歴は、今年で47年
川辺の探索をしながら、鋭い眼差しで金属探知機の音に耳をすませる八重野氏。埋蔵金探索歴は、今年で47年

キュイーン……キュイーン……渓谷に金属探知機の機械音がこだまする。

11月某日、FRIDAY記者(32)はトレジャーハンター・八重野充弘(やえのみつひろ)氏(74)とともに一心不乱に草をかき分けていた。

東京から車で約3時間。山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋は、武田信玄が保有していた黒川金山があり、防御の要所だったと言われている。この地には信玄が軍資金を隠していたという伝説が残る。それは現在の金額で数億円分の金塊だという。

「ここには30年ほど前から来ています。当時、探索に連れてきていた中学生の息子も今は40歳を過ぎました」

おぼつかない足取りの記者を横目に、探索道具を持ちながら、渓谷の急斜面を器用に下っていく八重野氏。橋下の川辺に降りるとようやく埋蔵金の探索作業が始まる。右手に持った金属探知機の先を砂利(じゃり)の上に滑らせていく。

「掘りやすい砂利は逆に言えば埋めやすい場所でもあるので入念に探します。また、埋蔵金は必ずしも地面に埋まっているとは限りません。川辺に横穴があれば隙間にマイクロスコープを入れ、奥が空洞になっているかを確認します」

時には膝下まで川に浸(つ)かりながら、気になるポイントを探す。

「埋蔵金を埋めたのは神様ではなく人。なら人間が探し出せないわけがない。埋蔵金探しは昔の人との知恵比べですよ」

探索の最中、そう語る八重野氏の目は真剣そのものだった。だが、半日かけても、結局手掛かりはつかめず。薄暗くなる渓谷を前に探索は打ち切られた。

八重野氏は、もともと出版社で編集者をしており、脱サラして埋蔵金ハンターへと転身した。’78年には会員24名ほどの『日本トレジャーハンティング・クラブ』を立ち上げたが、若い頃は埋蔵金の存在に懐疑的だった。

「’74年、雑誌編集者時代に天草四郎の秘宝を取材したんです。当時はそんなものはあるはずがないと思っていました。しかし、徐々に残存する可能性が見えてきて、自分で見つけたいと思うようになった。金目当てというよりは、皆をビックリさせたいという気持ちです」

日本には数千ヵ所に埋蔵金伝説があるという。数々の埋蔵金を探索してきた八重野氏は「99%は作り話にすぎない」と語る。残りの1%を見分ける秘訣を聞いた。

「ストーリーに5W1Hが成り立つか。誰がいつどこに何をなぜどのような方法で隠したかという物語が破綻(はたん)しているものは可能性が低い。自分が納得できるものを基準にして探しています」

自らの分析力と推理力、長年の勘を頼りに埋蔵金探しを進める。なかでも徳川埋蔵金にはとくに力を入れて挑んだ。

「僕には埋蔵金発掘の師と仰ぐ方がいて、その方が『徳川埋蔵金のありかとしてとっておきの場所がある』と教えてくれたんです。一緒に群馬県内のとある宿場町で’09年から2年間調査しました。あるとき、70歳を過ぎた師匠から『跡継ぎは君だな』と言われ、僕が探索を引き継いだんです」

調査の中で、徳川埋蔵金の新たな可能性を感じたという。

「埋蔵場所は赤城山だとずっと言われてましたが、本当は別の場所に埋められているというのが僕の見立てです。実際に、幕末には赤城山を通り越して、北のほうの街道筋に荷物が運ばれてきたという言い伝えがあるんです」

徳川埋蔵金の発掘では、これまでかなり大がかりな調査を行っていたが、近年は自らの手で掘ることが多いという。

「昔の人は機械で穴を掘って埋めたわけじゃないので、そんな深いところに埋めているわけがない。日本で見つかっているものは、大体深さ50㎝台、一番深かったもので1.5mぐらいに埋まっていました。ですから、機械なんて使う必要がないし、自分の手で掘るのが醍醐味ですよ」

凄腕ハンターの挑戦はまだまだ続く。

武田信玄は「甲州金」という重さ15gの金貨を作り、軍事的要所に軍資金として一定額を埋蔵していたと言われる
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’71年に甲州市のブドウ園で発見された「甲州金」。山梨県立博物館が所有者から1億円で買い取った
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’11年8月、金山跡の坑道内で徳川埋蔵金を探索した際の写真。1万5000両の小判を求め、2年ほど掘り続けた
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この8ヵ所にお宝が!?

全国各地に埋蔵金伝説は残されており、今も掘り続ける人がいる。なぜここまで埋蔵金ブームが盛り上がったのか。昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師の山岸良二氏は、その理由を次のように考察する。

「埋蔵金伝説が後を絶たないのは『実際にあればいいな』と願う人々の気持ちが強いためです。そして、実際に埋蔵金が発見される度に熱狂的なブームが起こります。有名なものだと’56年に行われた銀座のセレクトショップ『小松ストアー』の改築工事の際、積み出された土砂の中から小判200枚以上が発見されたことですね。それらの小判は、ショップのオーナーが所有権を放棄し、埋蔵文化財として東京国立博物館に寄贈しました」

今回は、山岸氏が日本各地でとくに注目すべき埋蔵金伝説が残る8ヵ所を厳選。漫画『ゴールデンカムイ』の題材にもなった「アイヌ埋蔵金」や、徳川家がこの財産を手に入れるために養子を送ったとされる「結城家埋蔵金」などを『日本各地の埋蔵金伝説マップ』(下)にまとめた。

「現代では私有地を掘る際、土地の所有者への許可取りは必須。そういった理由で埋蔵金探しは難しさを伴いますが、裏を返せば日本にはまだ眠ったままの埋蔵金がたくさんあるということです」(同前)

「一攫千金ロマン」も、案外遠い夢ではないのかも!?

『FRIDAY』2021年12月17日号より

  • PHOTO鬼怒川 毅(1枚目)

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