生後3ヵ月乳児が風俗店で虐待死…未成年里親の「呆れた言い分」 | FRIDAYデジタル

生後3ヵ月乳児が風俗店で虐待死…未成年里親の「呆れた言い分」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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渋谷の繁華街。華やかな世界のウラではさまざまな事件が起きている(画像:アフロ)

その女の子が生まれてから3ヵ月の間に、4人の女性が彼女の母親になろうとした。1人はその子を産み、1人はその子を養子として引き取ろうとし、2人が育てようとした。

だが、渋谷がハロウィンでにぎわっていた夜、生後3ヵ月のその子は道玄坂にある、通称「風俗ビル」で目を見開いた遺体となって発見された。遺体は口が開き、手足は不自然なほど真っ直ぐに伸びきっていた。

「毒親」や「親ガチャ」という言葉が日常的につかわれるようになった今、次のような考えが広まりつつある。

――親が子を育てられなければ、育てられる人が親の代わりになればいい。

里親や施設の職員が子供を育てることを示している。

だが、育てられない親が子供を引き渡すことや、育てられる親を見つけ出すのは容易なことではない。そのことを、この事件を通じて考えてみたい。

高校を卒業してすぐ家出

この女児の実母は、近藤保奈美(仮名、事件当時19歳)だった。長身の体にタトゥーを入れた、いわゆるギャル風の女性だ。

彼女は長野県で塾講師の父親と、元銀行員の母親のもとに長女として生まれた。両親はともに教育に厳しく、勉強や習い事を押し付けた。弟は成績優秀だったが、姉の保奈美はどちらも苦手だったことから、ぶつかることも多かった。こうしたこともあって、高校へ進学後は家に寄りつかず、地元の不良仲間と夜遊びをすることが増えた。

家出をしたのは、高校を卒業してすぐだった。介護関係会社の求人に応募したものの、面接をすっぽかし、親には何も言わずに行方をくらましたのだ。向かった先は、東京の歓楽街だった。夜の街に入り浸り、親からもらった体を否定するように次々とタトゥーを入れていった。

妊娠が発覚したのは、翌年のことだ。受診した病院からは、未成年であるため中絶には親の同意が必要だと告げられたものの、家出中なので書類を用意できない。どうしようかと困惑しているうちに、臨月を迎えてしまった。

保奈美はやむなく赤ん坊を産んで特別養子に出すことを決断する。それで、インターネットで特別養子縁組のサポート団体「Babyぽけっと」を見つけ出して、藁をもつかむ思いで連絡した。

茨城県にあるBabyぽけっとの事務所に到着し、改めてクリニックで検査を受けたところ、すでに子宮口が開きはじめていたばかりか、梅毒の感染まで判明した。生まれてきたのは、2468グラムの小さな女児。「唯乃」と名づけられた。

その後、彼女は病院で特別養子縁組の手続きをすることになった。引き渡しの書類へ署名しようとした時、保奈美が急に手を止めた。Babyぽけっとの代表の岡田卓子が尋ねた。

「どうした? やっぱり育てたくなったの?」

保奈美はうなずいて泣きだし、「育てたいです」と答えた。

生んだ本人が育てたいと言う以上は拒否することはできない。岡田は長野の実家に帰って、家族の支援を受けて育児をするのならばとの約束で、彼女の意見を受け入れることにした。

赤ちゃんを抱いて渋谷の歓楽街へ

数日後、保奈美は茨城県から長野県の実家に帰り、梅毒の治療を受けながら、育児をはじめた。保奈美の祖父は回顧する。

「いきなり赤ちゃんをつれて帰ってきたんだよ。親父が誰かと聞いても、泣くだけで答えねえ。何が何だかさっぱりわからねえけど、できちゃったのは、しかたねえから、みんなで育てようってことになったんだ。あの子(保奈美)は、赤ちゃんをかわいがってたよ。撮ったたくさんの写真を見せてくれたこともあった」

彼女にしてみれば、両親に許しを求めて実家に帰るのは苦渋の決断だったはずだ。それでもそうしたのは、唯乃を愛しんでいたからだろう。

だが、保奈美が育児に専念する日々は長くつづかなかった。わずか1ヵ月後、家庭内で母親とぶつかり、唯乃を抱いて家を飛び出し、事件の舞台となる渋谷の歓楽街へと向かうのである。

渋谷の道玄坂に、有名な「風俗ビル」がある。11階建て68戸のマンションに、デリヘルなど無店舗型の風俗店の事務所がひしめいている。

601号室は、オープンを間近に控えたJKリフレ店だった。部屋には飯田香波(仮名)と堀北彩名(仮名)が暮らしていた。

2人は共に17歳で、家出同然で個人売春をして食いつないでいた。2人は18歳になったら合法的に働けることから、JKリフレ店のオープニングスタッフとなり、店に住まわしてもらっていたのである。同じビルに暮らす店長の沖田剛(仮名)は、2人の携帯電話のICチップを取り上げて逃げられないようにしていた。

JKリフレ店がオープンして間もなく、店長の剛が保奈美と生後2ヵ月の唯乃をつれてやってきた。剛は同じく長野の出身で、保奈美とは愛人関係にあったらしい。剛は、香波と彩名に言った。

「母親は働かなきゃならないんだけど、この赤ちゃんを預けるところがないんだ。おまえたち、3日だけ世話してくれないか」

保奈美は東京に来たものの貯金がまったくなく、風俗で働いて稼がなければならなかった。だが、それには唯乃が邪魔になる。それで剛に相談したところ、剛が一方的に香波と彩名に子守をさせようと決めたのだ。

オムツの説明書きを読みながら……

香波と彩名からすれば、なんで自分たちが、という思いだっただろう。だが、店長の命令を無下に断るわけにいかず、3日間だけなら、という条件で引き受けた。

この日から、香波と彩名は粉ミルクやオムツの説明書きを読みながら、唯乃の世話をした。

だが、出産経験もない彼女らにとって、それは簡単なことではない。1日に何度もオムツ交換をしたり、ミルクをつくったりしなければならない上、夜泣きでろくに眠ることすらできない。

2人は何とか3日間を乗り越え、保奈美に唯乃を引き渡そうとした。だが、期限になっても、保奈美は「託児所が見つからない」と言って一向に引き取りに来る気配がなく、剛からも引き続き世話するように言われた。店に居候している2人には断ることはできなかった。

この状況に、香波と彩名が不満を募らせるのは当然だ。なぜ自分たちがこんな厄介事を押し付けられなければならないのか。彼女たちは不満を晴らすように、危険ドラッグで遊びはじめた。ジョイントにして吸ったり、鼻から吸引したりしたというが、そうすれば嫌なことをすべて忘れられたのだろう。

だが、1ヵ月半後の10月初旬、この生活が突如揺らぐことになる。剛が警察に逮捕されたのである。ビルには、香波と彩名そして唯乃の3人が取り残された。

香波と彩名は瞬く間に生活に困窮するようになり、LINEで度々保奈美に金を持ってくるようにつたえた。だが、保奈美は2人と顔を合わせようとせず、ポストにわずかばかりの金を入れるか、オムツや粉ミルクをドアノブにかけるかするだけだった。

2人は仕方なく自分たちで働くことにする。18歳になっていた香波は近所の風俗店に勤め、17歳の彩名は出会いカフェで個人売春をした。2人が働いている間、唯乃は部屋に閉じ込められた。

後の公判で香波は当時の心境を語る。

「もう面倒みるの嫌だねって2人で話してました。保奈美さんは『もう面倒みなくていいよ』って言ったり、『やっぱ面倒みて』って言ったりしてました。帰るって言っても、帰ってこないし。いい加減な人でした」

2人はいら立ちを募らせ、唯乃を虐待するようになる。それは危険ドラッグの勢いも借りて凄惨なものとなった。

「このままだと殺しちゃう」

最初は気晴らしで殴ったり蹴ったりするだけだったのだが、やがて首を絞める、口の中にハンカチや指を突っ込む、水風呂に沈めるといった残酷な行為へとエスカレートしていった。しかも、2人は店にあったチェキ(インスタントカメラ)で、もだえ苦しんで泣く唯乃を面白半分に撮影した。

1020日、そんな虐待の最中に、唯乃の呼吸が止まったことがあった。彩名が慌てて人口呼吸をしたことで息を吹き返したが、これを機に2人はこう話し合った。

「このままだとイライラして殺しちゃう。もう面倒をみるのはやめよう」

1030日には、料金未払いで部屋の電気が止められた。こうしたこともあって、香波と彩名は唯乃を部屋に置き去りにしてほとんど帰らなくなった。

11月1日から2日にかけて、渋谷の町はハロウィンでにぎわっていた。2人はそれぞれメイドとバニーガールのコスプレ衣装を着て町中で遊んだ後、香波は風俗店へ仕事に行き、彩名は買春客とクラブで遊んでいた。

香波が風俗店の仕事を終えて久々にビルの部屋に帰宅したのは、午前6時46分だった。ドアを開けると、マットレスに彩名が寝ていて、その足元に唯乃が目を半開きにしたまま固まっていた。香波は唯乃の死を察して、「彩名が殺したんだ」と思った。

彼女は彩名を起こして言った。

「ねえ、チビが死んでるよ!」

彩名は寝ぼけ眼で「あー、はいはい、わかった、わかった」と答えた後、「死んだか」とつぶやいた。香波がどういうことかと尋ねたが、彩名は「いや、なんでもない」と言葉を濁した。

「ねえ、彩名、あんたチビを殺したの?」

「殺してないよ」

香波はそれ以上深掘りせず、事態をうまく収めることにした。まず2人は虐待の証拠隠滅のためにチェキで撮った写真をコンビニのゴミ箱に捨てに行った。

そしてしばらくコンビニでカップラーメンを買ってきて食べたり、煙草を吸ったりなどして、午後10時にようやく119番通報した。到着した救急車によって唯乃は病院に運ばれ、死亡が確認された。

その後、警察がビルの現場検証に訪れた。すぐに事件性を感じ取ったのだろう。周辺を捜査し、コンビニのゴミ箱から虐待を裏付ける証拠写真を押収。これをもとに警察は2人を少年院送致にしただけでなく、翌年は彩名1人を殺人容疑で再逮捕。事件の重大性から刑事裁判として裁かれることになったのである。

事件から3年が経った2017年1月。彩名の裁判員裁判が東京地裁で約3週間にわたって行われた。

検察側は彩名が午前2時過ぎに帰宅してから唯乃を絞殺したと考えていた。唯乃の首にひもで絞められたような痕が残っていたこと、事件の翌日に彩名が香波をつれて地元の男友達2人とラブホテルに行き、「赤ちゃんを殺しちゃった」という話をしていたこと、そして他殺以外に死因が見当たらないことなどから殺害を主張し、懲役7年を求刑した。

一方、彩名と弁護側は、検察の主張を全面的に否認し、自然死だったと主張した。すぐに119番通報しなかったのは、携帯電話の充電が切れていて、電気が止められた室内では充電ができなかったためだったと語った。

判決の日に「ポッキー買いに行きたい!」

彩名の主張が真実かどうかは疑わしい。だが同時に、警察の裏付けも不十分であることは否めなかった。裁判官が出した判決は次の通りだった。

――無罪。

唯乃はビルに置き去りにされ、自然に息を引き取ったとされたのである。

ちなみに、唯乃を育児放棄した保奈美は何の罪にも問われていない。その後、彼女は長野へもどり、DJをやっている。

彩名の初公判の日は男友達2人と酒を飲んでいる写真をツイートし、判決の日は「今すぐポッキー買いに行きたい!でも寒い」と書き込んでいた。まるで事件のことなど忘れたといわんばかりである。

この事件を取材した私は、やるせなさを感じずにいられなかった。

冒頭に述べたように、唯乃が生まれてから3ヵ月の間に、4人の女性が「母」になろうとした。実母の保奈美、特別養子としてもらおうとした養親、そして香波と彩名だ。それだけ人がそろっていても、唯乃の命を助けることができなかった。

この闇の中で光を見つけるのなら、特別養子縁組支援を行うBabyぽけっとの岡田卓子だろうか。彼女は事件が自身の考え方を大きく変えたと語っていた。

「あの事件は、私に子供を育てられない母親が存在するということを教えてくれました。愛していないんじゃない。育てられないんです。だからこそ、特別養子縁組をサポートする団体を運営している以上、きちんとそういう母親たちから子供を預かり、育てることのできる夫婦に引き渡すことの大切さを感じました。二度とああいう子を生みたくないんです」

岡田は、教訓にすべく唯乃の写真を大切に取っている。唯乃が生きた痕跡は、ここくらいにしか見つけられない。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

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