駅から徒歩3時間……、秩父山にあるワンオペ「宿坊」を訪ねて | FRIDAYデジタル

駅から徒歩3時間……、秩父山にあるワンオペ「宿坊」を訪ねて

住職はオーナー兼、シェフ兼、清掃係兼、ドライバー

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坐禅堂での浅見住職。堂の下は切れ込んだ山の傾斜になっている
坐禅堂での浅見住職。堂の下は切れ込んだ山の傾斜になっている

写真を見て、どの県を思い浮かべるだろう。
和歌山? 富山? 鳥取? 東北のどこか?
いやいやいや、ここ太陽寺(たいようじ)は首都圏の埼玉県、秩父山中標高800mの地にある。

最寄りの秩父鉄道三峰口駅から徒歩ですと、そうですねぇ~3時間ぐらいですかね。宿泊者から連絡があれば、さすがに車でお迎えに行っています

太陽寺住職兼オーナー兼シェフ兼清掃係兼ドライバー……つまり「ワンオペ」の浅見宗達氏(54)はこう話す。

ここ太陽寺の開山は後嵯峨天皇の皇子・高峰顕日(こうほうけんにち)こと仏国禅師(ぶっこくぜんじ)。後嵯峨天皇は、息子二人(後深草天皇と亀山天皇)を即位させることで南北朝の争いの火種を作った人物である。

京都の政争の激しさから逃れるため、開山様(仏国禅師)は16歳で出家され、鎌倉建長寺に下ります。それでも時に権力闘争の道具にされそうになったり、暗殺の危険にも晒されて、逃れ逃れて来たのがこの地だったと伝わっています。この地にお寺を建てる計画があったわけではなく、追手のかからない深奥の地がここだった、というわけなのです

人間関係に疲れ果てた開山様は、来る日も来る日も座禅を組む。従者の一人が「仏像もないし、ほとけの教えを衆生(民衆)に教えるはずが、ここには誰もいないじゃありませんか」と訊くと、「渓声即是広長舌。山色豈非清浄心(川の音はお釈迦様の説法に聞こえ、山の峰はそのお体に見えてくるではないか)」と語ったという。見事な深山幽谷だけが目の前に広がっているのは、700年後の今も昔も変わらない。

1757年(宝暦7年)に建てられた本堂
1757年(宝暦7年)に建てられた本堂

だが、追手もあきらめるほどの深山幽谷、ということはつまりは誰も来ないということ。従者が「意味あるの、こんなド田舎にいて!」と嘆いた通り、じつは太陽寺は何度となく「無住」、つまり空き家となった。時代が下って、江戸幕府が武蔵国(武州)を天領として治めた宝暦7(1757)年、荒れ果てた太陽寺の本堂が再建され、今に伝わるが、それでも明治の廃仏毀釈で再び寺は荒廃していった。

じつを言いますと、私が住職として入った15年前までも、無住の寺だったんです。こんな山奥ですから檀家もありません。ということは、私は無収入でして。祖父が住職を務めていたという縁でサラリーマンを辞めて移り住みましたが、これは困った、と

浅見住職が考えたのが、仏国禅師と同じ見事な自然を人々に体験してもらう、つまりは宿坊だった。

宿坊を始めたのは十年前。最初の2~3年は誰もこんな山奥で泊まれるなんて知りませんから、サラリーマン時代の貯蓄を切り崩して細々とした経営でした。ですが、数年前からヨーロッパのお客様がいらっしゃるようになりまして。私はよく知りませんが、ここでの宿坊体験を書いたブログが注目を集めたとかで、現在でも2割が外国人客です。最近ではアメリカやオーストラリアの方も増えています

現在、年間500人が宿泊するという宿坊は一泊二食9000円で完全予約制。
太陽寺に至る林道は大型バスが入れないため、旅行会社のツアーなどは実施されていない。自力で予約し、自家用車もしくは浅見住職の送迎でようやく太陽寺にたどりついたのちは、夕方4時から写経、読経、法話と続き、住職が一人でこしらえた精進料理の夕食がふるまわれる。大規模な宿坊の多くは寺の本堂とは別棟を建てて宿泊客を収容しているが、ここは本堂と同じ棟の一室で布団を敷いて宿泊する。

周囲には道の駅もコンビニもない。寺に至る林道には、時折「熊出没注意」の表示が現れる以外、なにもない。もちろんケータイはつながらない。

布団の積まれた一室。宿泊予約が重なると相部屋になることも
布団の積まれた一室。宿泊予約が重なると相部屋になることも

700年前と同じ自然こそが、ここの御馳走。霧にけぶる秩父の山々、渓流の音、ときに聞こえる獣の声。秋になれば紅葉で山が燃えるように照り映えます。そして寺の山門付近から見える朝日の見事さといったら……。宿泊された方には早朝、朝日の出る時刻にあわせて、私とともに10分ほど山道を歩いていただきます

朝日を眺めた後、朝の読経、座禅、朝食。作務は強制ではないが、進んで自らの床を整える人が多いという。

当寺には、開山様の御姿を模したといわれる巨大な天狗面が伝わっています。当時、高貴な親王として生まれることは必ずしも栄達に恵まれることを意味せず、むしろ政争の道具として人に利用され、時に命を狙われることを意味しました。恐ろしくも哀しげなそのお顔を見ていると、開山様が俗世に悩まれ、それでもなお生き抜くことを選ばれた強い意志を感じます。後にこの山を下りた開山様は多くの弟子を育て、足利尊氏の師となった夢窓疎石など幾多の名僧を輩出されたのです

煩悩まみれの日々は開山様も同じ。人間不信に陥った方にぜひおすすめしたい。もちろん予約は「1名から可」である。

太陽寺/埼玉県秩父市大滝459 TEL:0494-54-0296
西武鉄道またはJR秩父駅より車で1時間弱(タクシーで4000円前後)。自家用車使用の場合、寺に至る林道は一車線で崖に面した箇所も複数あり、運転に自信の無い人にはオススメできない。宿泊予約時に申し出れば、三峰口駅まで送迎がある。

取材・文・撮影 花房麗子

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