「見立真一はセブ島にいる」関東連合元幹部が生前語った衝撃情報 | FRIDAYデジタル

「見立真一はセブ島にいる」関東連合元幹部が生前語った衝撃情報

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13年に本誌の取材を受けた際の柴田氏
13年に本誌の取材を受けた際の柴田氏

<今年11月下旬、関東連合の元幹部で「工藤明男」名義で執筆活動も行っていた柴田大輔氏が亡くなった。生前、幅広い交友関係のあった柴田氏だが、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏のもとにも、「あるメッセージ」と相談が寄せられていたという。水谷氏のもとに寄せられていたメッセージとは――。>

「一度お打ち合わせをしたいのですが」

関東連合元幹部の柴田大輔氏が11月下旬、42歳の若さで亡くなった。その一報を知り、真っ先に私の頭に浮かんだのは、その直前にツイッターのダイレクトメッセージで交わした、次のようなやり取りだった。

「お時間のタイミングが合えば一度直接お打ち合わせをしたいのですが……」(原文ママ、以下同)

私に届いたメッセージの送り主は「工藤明男」。2013年に『いびつな絆 関東連合の真実』という本を上梓して話題になったあの人物だが、本名は前述の柴田大輔氏である。東京生まれで、10代の頃から暴走族グループに所属。関東連合の幹部としては、幼なじみの見立真一容疑者(42)らとともに、六本木などの夜の街で勢力を伸ばし、2010年に起きた朝青龍事件や市川海老蔵事件では、示談に向けて水面下で動いた。

そんな関東連合と私は関わりを持ったことがない。一体、何の「打ち合わせ」だろうか。工藤氏はこう答えた。

「拙著の題材となった事件、いわゆる『六本木クラブ襲撃事件』の主犯で現在も国際指名手配中の見立真一が、逃亡先としているのがフィリピンのセブ島と言われております」

六本木クラブ襲撃とは2012年9月、クラブで仲間と飲んでいた飲食店経営者・藤本亮介さん(当時31)が、車2台に分乗して店にやってきた十数名の男たちに襲われ、金属バットで撲殺された事件のことだ。しかも、人違いで藤本さんを殺めてしまったのである。

工藤氏の著書『いびつな絆』によると、工藤氏はこの事件には関わっていないが、発生当夜に見立容疑者と会い、「とりあえずぶん殴っておいた」と事件に関与したことを打ち明けられている。その後、見立容疑者はフィリピンへ逃亡したが、工藤氏によれば、セブ島に潜伏している可能性があるというのだ。

セブ島はフィリピン中部に位置し、ダイビングスポットとしても世界的に有名な観光地で、在留邦人は約3000人に上る。工藤氏からのメッセージにはこう綴られていた。

「真相は不明なのですが、警察含めて認識としてはセブ島から移動していないということのようです」

工藤氏は事件直後しばらく、逃亡中の見立容疑者とコンタクトを取っていた。しかし、事件の対応をめぐる見解の相違から関東連合で内部分裂が生じ、工藤氏は見立容疑者に不信感を募らせていく。その様子を著書のなかで、

〈私自身、先に出頭した2人を支援したとして、「裏切り者を支援する奴も裏切り者だ」と言われて見立君と対立する〉

と説明している。ところが私への返信では、こんな心境を明かした。

「私自身は、拙著出版以降、関東連合のメンバーや見立真一とは二度と関わりたく無いと思っておりますので、フィリピンへは生涯渡航しなくても良いかと思っておりました。しかし、最近少し心境の変化がございまして、元々フィクションを書き上げる上で、見立真一物語は避けて通れないと考えるようになりました」

逃亡を続けている見立真一容疑者。柴田氏とは幼なじみだった
逃亡を続けている見立真一容疑者。柴田氏とは幼なじみだった

そして新型コロナウイルスによる影響がなければ、フィリピンでの取材を検討しているとのことだった。

私はかつてフィリピンに住み、ライターとして国際逃亡犯を含めた在留邦人社会の取材を続けていたことから、見立容疑者の動向は気になっていた。そうした経緯から、工藤氏は私に接触をしてきたのだ。

見立容疑者は国外逃亡前、共犯者にこう言い切っていた。

「俺は一生逃げるし、逃げ切れる自信がある。もう日本に未練はない」

国外に逃亡後は、「1億円を集める」と豪語し、関東連合のメンバーとその関係者の間にはカンパ要請が回ってきたという。工藤氏は私への返信の中で、こんな事情も明かしている。

「お金は2億円ほど逃亡当初に本人の手元に渡っているはずなので、お金には不自由はないと思いますが、果たしてそれで生涯逃げ切れるものなのか? 他の国、例えば内妻の故郷であるペルーなどに密入国出来ないものなのか? タイ、カンボジアなどの、国への密入国は可能なものか? 等々、お伺いしたいことは沢山ございます」

フィリピン現地メディア『日刊まにら新聞』の報道によると、見立容疑者は、事件発生から1週間後の’12年9月9日、中国の首都北京からマニラ空港に到着した。その5日後に韓国の首都ソウルへ向かい、約2ヵ月後の11月上旬、今度はインドネシアの首都ジャカルタからマニラ空港へ到着した。

日本の外務省からは旅券返納命令が出され、翌’13年1月下旬に旅券は失効しているため、見立容疑者は不法滞在状態である。

もし空路で第3国へ密入国するとしたら、在フィリピン日本国大使館で他人名義の旅券を発行してもらわなければならない。そんなことは可能なのだろうか。日本の捜査関係者が語る。

「旅券の発給時にはなりすましを見破るために様々なチェックがなされます。だからマニラにいる時点で全くの新規発給はあり得ないです。見立容疑者ほどの有名人なら、なおのこと不可能です」

ただし、見立容疑者の顔写真を印刷したフィリピン人名義の旅券を入手し、第3国へ渡る可能性も考えられるという。だが、それには名義人の出生証明書が必要で、見立容疑者がそこまで現地に食い込めているかどうか。

工藤氏の言うように、本当に2億円が見立容疑者の手に渡っているのであれば、現地事情に詳しい人物にフィリピン人名義の旅券を手配してもらうことは可能かもしれない。第3国へ移動していないとしても、それだけの大金があれば、日本より物価の安いフィリピンなら生き延びられるだろう。

こうした私の見解をまとめ、工藤氏に返信したところ、

「頂きました情報とご意見をもとに、私の方でも再度考察して、ご迷惑でなければ改めてご連絡をさせて頂ければと思っております」

とまたしても丁寧な返事が届いた。またいつか連絡が来ると思っていたのだが、まさか亡くなっていたとは…。

〈何の罪もない人を殺して海外へ逃亡し、「捕まるまで一生逃げてやる」と、なお生に執着する心境は何なのだろうか。それほどまでに、海外の不慣れな生活よりも刑務所の中での生活が嫌だというのだろうか。いつ捕まるかもわからないまま、怯えながら送る海外生活に、いったいどのような生きる目的を見出せるというのだろうか?〉(『いびつな絆』より)

そう問い掛ける工藤氏の死は、異国の地で見立容疑者の耳に届いているだろうか。

  • 取材・文水谷竹秀(ノンフィクションライター)

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