NHK関連会社役員まで昇進した宝塚OGが音楽の道に進んだ理由 | FRIDAYデジタル

NHK関連会社役員まで昇進した宝塚OGが音楽の道に進んだ理由

アイルランド伝承歌の歌い手として活躍中の奈加靖子さんの第2の人生

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
愛用のアイリッシュハープを優しく抱える奈加靖子さん(撮影:吉場正和)

歌手・アイリッシュハープ奏者の奈加靖子さんは1984年、3度目の挑戦で宝塚音楽学校に入学し、念願がかなった。72期生の同期には現在まで女優として活躍する元トップスターの紫吹淳、1学年下に天海祐希がいた。

ところが奈加さんはわずか2年半で宝塚の舞台から降りる。そこから人生がドラマチックに動き出した。退団後、NHK番組を作る映像制作会社にアルバイトで入社、持ち前のバイタリティでこの会社の役員にまで昇進。それでも歌いたい気持ちが消えない。ギネスビール発祥の地でもあるアイルランド在日大使館から、同国国歌の独唱と、民謡を伝えることを公認される日本で唯一無二の存在へと異色の転身を果たしていた。

受験のきっかけは音楽学校の時間割

宝塚音楽学校の受験競争率は毎年20倍近い。奈加さんは3度目の挑戦で合格した。

初挑戦は中学3年時だった。

「入学願書とともに入っていた、音楽学校の1週間の時間割を見て、私、ここに行く!と即決しました」

学校といえば「国語・数学・英語」に「社会科」という様々な科目が思い浮かぶ。ところが「宝塚は違いました。週の初めこそオリエンテーションがありましたが、ダンスや日舞、歌唱レッスンなどがぎっしり。毎日、私がやりたいことばかりでした」。

当時は、親元から離れて寄宿舎生活を送る。多くのレッスンはその道では一線級の先生からレッスンを受ける。日常の生活指導のほとんどが音楽学校の「先輩」からの指導だ。礼儀作法から学校の清掃の方法など、実に事細か。もちろんその指導に対して「異議」はありえない。先輩からの指導こそ宝塚の〝伝統〟を代々伝える瞬間でもある。

「厳しいなんて全く思いませんでした。あれだけの舞台をやっていくためには不可欠なことと、思っていました」

『初対面の人にも臆せず、ドアを開けられる』
『ほう・れん・そう(報告、連絡、相談)ができる』
『綺麗な敬語を嫌味なく使える』

一糸乱れぬ公演を続けるために、必要な厳しい規律の中で日常生活を送ることによって、社会人になっても通用する作法が自然に身に着いたのだ。

きらびやかで眩しすぎた『宝塚の世界』

奈加さんは歌劇団で100年以上の伝統がある「ダンスの花組」の娘役としてデビュー。

「宗田(そうだ)靖子という芸名でした。本名で舞台に上がっている娘役がいるって、ファンの皆様から話題になりました(笑)」

同期には月組のトップスターに登りつめた紫吹淳、1学年後輩にはあの天海祐希がいた。劇団の在団年数は平均10年近く、奈加さんはわずか2年半で退団した。

「大好きなんですよ、宝塚は。(紫吹と天海の2人は)音楽学校時代から素敵でした。もう際立っていてオーラがすごかったんです。ただ、私には眩しすぎました。自分にはフィットしていないかなとは思いました。

在団期間としては短かったかもしれませんが、私は世の中に出て行く時に必要なことを宝塚でしっかり教わりました。感謝しても仕切れません、好きなことができた、あんなに幸せだった時期はもうないかもしれません」

実は奈加さんは、音楽学校に入学した際、学校側との面接で2度目の受験で「合格」していたことを知らされた。奈加さんがそのまま入学していたら、眩しすぎた2人のトップスターは後輩だった。そうならなかったのは理由がある。

奈加さんの入学以前に宝塚音楽学校に在籍し、その後、芸能界で活躍した有名歌手がいる。宝塚歌劇団は彼女をスターとして育てたかったが、音楽学校を卒業した後、「これから」というタイミングで退団した。当時の事情を知る芸能記者はこう明かす。「宝塚にとっては『スターとして育てたい』と思っていたタイミングでの退団だったので、不義理をされた、と受け取ったのかもしれません。その時、その歌手の所属先からの受験生は慎重に見極めよう、といった不文律ができたとしても、不思議ではありません」

もし1年早く入学できていれば、「私には眩しすぎた」紫吹淳や天海祐希に対する見え方が違っていたかもしれない。運命とは、つくづくわからないものだ。

宝塚歌劇団時代をほうふつとさせるポーズ(撮影:吉場正和)

第2の人生で“お茶汲み”から“会社役員”へ

「セカンドキャリアで社会復帰がなかなかできない」と悩む宝塚OGも多いようだが、奈加さんは畑違いの分野の仕事場でも力を発揮した。

最初の転身はNHKのTV番組を専門に作る制作会社だった。世界と日本の歴史や終戦の特集、政治経済、絶滅動物などの映像や専門家のコメントを世界中から集めた。

「世の中に出たら知らないことだらけ。恥ずかしいなぁと思わされた出来事ばかりでした」

それでも、厳しい規律の中で過ごした宝塚で培われたタフさが発揮された。当時はバブル経済の絶頂期、帰宅が12時過ぎることは当たり前だったが、仕事場で信頼を積み上げ、業界では宝塚OGとして「歌って踊れる制作デスク」として有名な一人になった。お茶汲みからスタートしたアルバイトのはずが、「うちの役員になってほしい」と30代にはこの会社の役員までに上り詰めた。

順調なセカンドキャリアを歩みながらも、30代後半になると、「このままじゃいけない」という思いが忍び込んで来るようになった。それは、10歳の頃に聞いたアイルランド民謡「Londonderry Air(ロンドンデリーの歌)が耳から離れなかったからだ。「ダニーボーイ(Danny Boy)」と同じメロディで、今ではこちらの歌詞が有名だが、第一世界大戦の前年1913年に発表された楽曲で戦争に行く子供を思う、父や母の切ない思いが込められ、心に突き刺さるメロディーだった。

「英語の意味もわからなかった。でも、子供心に〝この歌を手放してはいけない〟というメッセージを受け取りました」

アイルランド民謡には楽譜がない。それぞれの世代で伝承を重ね続けている音楽で、同じ曲でも人によって歌い方がまるで違う、という特色がある。アイルランドの音楽に魅せられた奈加さんは、都内自由が丘のアイリッシュパブでも歌い始めた。そんなことを続けていると、店にいたアイルランド人から「君の歌を聴くとふるさとを思い出す」という究極の褒めことばをもらった。そうすると、さらなる欲が出てきた。

「本物を聞かなきゃいけない。同じ空気を吸って、同じものを食べて、同じ風に吹かれる。それが大事だと。そこで英語もしゃべれませんでしたが、アイルランドに行きました。38歳の時、私にとって初の海外渡航がアイルランドでしたけど、私に向けて〝おかえりなさい〟という空気が充満していました」

アイルランド民謡との「再会」から歌手デビューへ

歌の世界にのめりこんだ奈加さんは、本気で歌を歌いたい、と考え、自作のデモテープを作り、10社以上、飛び込みで営業をかけると、オファーをくれる会社に巡り合い、メジャーデビューを果たした。41歳のときだった。

「歌いたいから『弾き語りを…』と思い、ピアノかギターと思いましたが年齢的
に厳しかった(苦笑)。そこで出会ったのがアイリッシュハープでした」

アイルランドの国に流れる素朴さ、他者に対する献身的な国民性などを体ごと感じ、伝えたいという奈加さんの誠実さが乗り移った歌声は、人づてに伝わった。伊勢神宮奉納を主催していた「Irish-Network-Japan」から「伊勢神宮音楽奉納の際に奈加さんに是非歌ってほしい」と、アイルランドと日本の国歌斉唱のオファーが届いた。日本ではこれまでただ一人、奈加さんだけだという。2015年、最初に歌ったときに、その歌声にアイルランド大使も感銘を受け、その後、2018年まで3年連続で大役をつとめあげた。

「800年わたる植民地時代から独立した際に出来た国歌を私なんかに歌わせていただける。2007年にメジャーデビューをさせていただき、その後、2013年に初めてアイルランド大使の前でハープの弾き語りを披露させていただくようになってから、みなさんが『arigato(ありがとう)』と言って下さいます。なので、誠実に歌っていくことで積み重ねていきたい。

10歳の頃に聞いていたメロディーが私を連れてきてくれました。これはもう自分の意志じゃない。アイルランドの歌を歌うと必ず手を差し伸べてくれる人が現れる」とアイリッシュハープを抱いて、その歌に託されたメッセージを伝える吟遊詩人のようだ。

今も声優学校で歌を教える仕事をしながら、長い間の念願だったアイルランド民謡のソングブック『緑の国の物語』(愛育出版)を発刊した。

「アイルランドの歌やお国柄そのものを伝えることが一番の目的です。宝塚に在団中は、目の前の結果に気持ちが行きがちでした。『どうしてこんな演技ができないんだろう』『次の舞台はどんな配役になるのだろうか』と。でも、今は5年先、10年先に形になっていれば幸せと思えるようになりました。わらしべ長者のような人生が理想かな」

2年以上続くコロナ禍の中で、明日がどうなっているのかさえ見えにくい時代になった。宝塚音楽学校での生活は最初、結果的に回り道をしたのかもしれないが、退団後のセカンドキャリアでも人が羨む地位にのぼりつめた。ただ、それでも〝やりたい〟と思っていたことに対して正直に向き合い、誠実に積み重ねてきた。そのスタイルは誰にもできることだ。思いついたら、まずやってみるーー。それをやるか、やらないか、そして、その扉を開けるのは自分の気持ち次第なのだから。

アイルランドは三つ葉のクローバー「シャムロック」が大地を覆う。同国への敬意をこめて、奈加さんは緑の衣装でインタビューに応じた(撮影:吉場正和)
  • 撮影吉場正和

Photo Gallery3

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事