わずか6年で海外移籍?「サッカー界の桜木花道」のスゴイ野望 | FRIDAYデジタル

わずか6年で海外移籍?「サッカー界の桜木花道」のスゴイ野望

29日全国高校サッカー選手権1回戦に登場予定の福島・尚志高校チェイス・アンリを見よ

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国際大会でヘディングを競るチェイス・アンリ(中央)。ジャンプしただけで頭2つほど抜けているのがわかる(撮影:長濱耕樹)
国際大会でヘディングを競るチェイス・アンリ(中央)。ジャンプしただけで頭2つほど抜けているのがわかる(撮影:長濱耕樹)

100回目の記念大会を迎える全国高校サッカー選手権大会。年末年始の風物詩となっているこの大会で、一際大きな注目を集める選手がいる。福島県代表・尚志高校のDFチェイス・アンリだ。

”5段階飛び級”でU22日本代表として出場

まだ17歳ながら、5つ年長のU-22日本代表にも飛び級で選ばれており、先に行われたAFC U-23アジアカップ予選にも出場。元日本代表の“元祖ボンバーヘッド”中澤佑二氏や現日本代表主将の吉田麻也が背負っていた、代表センターバックの伝統ナンバー「22」を託されて勇躍してみせた。

大会初戦となるカンボジア戦で先発フル出場すると、Jリーグや大学サッカーでプレーする先輩たちにも物怖じすることなく堂々とプレー。自慢の高さを活かしてあわやゴールというチャンスも作り出すなど、強烈なインパクトを残した。

「いや、めちゃくちゃ緊張しましたよ!」

本人はそう言って笑いつつ、「あそこはビビってましたね」「それはすっかり忘れてました!」などと取材対応で屈託ない応対も見せて、殆どが初対面だった記者陣を笑顔にさせまくっていたのも印象的。この愛されキャラぶりも、彼の持つもう一つの魅力である。

その経歴はちょっと前例が思い浮かばないようなもの。外見と名前から察せられるとおり、父親は日本人ではなく、アメリカ人である。神奈川県横須賀市で日本人の母との間に生まれ、幼くしてアメリカへ移住した。このため、幼少期の日本での記憶はほとんどないと言う。それが中学入学を前にして、日本へと帰ってきた。

そしてこのとき、チェイス・アンリはまだサッカー選手ではなかった。

「遊びではやっていましたけど、本気でやってはいなかったです。バスケットボールはよくやっていましたけども」

高校1年生だった彼を初めて取材したとき、そう言ってちょっと照れくさそうに笑っていたのを覚えている。ただ、遊びでやったサッカーが楽しくて、入学した中学校ではサッカー部を選択。意気揚々と練習に臨んだが、周りはサッカー経験者ばかり。「間違いなく自分が一番ヘタでした」と、まずは初心者である自分との差に絶望したと言う。

傑出した身体能力に関しては当時から片鱗があったようだが、同じように初心者として部活を始める(彼はバスケだが)『SLAM DUNK』桜木花道よりハードモードだったのは、言葉の壁だ。

アメリカで過ごし、家でも英語を主に使ってきたため、言葉にも不自由する中で、しかも初心者である。「最初は本当に苦労した」と言い、今も「英語のほうがスムーズに言葉が出る」と笑うが、しかし持ち前の前向きなメンタリティーと、彼を教えた指導者たちが揃って口にする「吸収力の高さ」を発揮して徐々に開花していく。

全国的な有名選手になったといったことはなかったが、神奈川県内では密かな注目選手になっていった。福島の尚志高校から声が掛かったのは福島県の中学生チームが関東遠征を行った際に目にとまるという縁がたまたま繋がったためで、本人も尚志のことを「よく知らなかった」と言うが、「早く親から離れて自立したかった」という思いもあって県外への挑戦を決断した。

日本の各地から精鋭が集まる強豪校はサッカー歴3年のチェイスにとって、またしても「一番自分がヘタクソ」という状態を経験することだったが、尚志の指導者たちはそのポテンシャルを高く評価。キックの技術一つから指導し直しつつ、試合にも使って鍛え抜いた。

撮影:川端暁彦
撮影:川端暁彦

チェイス・アンリの驚異の成長を促した「ある能力」

ベテランの小室雅弘コーチは1年生のチェイスを観て「こいつを日本代表にするぞ」と言っていたというが、その眼力の正しさは徐々に証明されていく。小室コーチはその資質を「『ハイハイ』言うだけじゃなくて、分からないことがあればすぐ聞きに来る。素直に話を聞いてくる。でも別に言いなりになるのではなく、自分で試して良いと思ったものを採り入れていくことができる子なんだ」と語っている。

こうした成長力の高さはより高いレベルの選手たちが集まる年代別の日本代表チームでも発揮され、「代表合宿に行くたびに良くなって戻って来る」と仲村浩二監督を驚かせた。本人も「最初は『レベルが高すぎて付いていけない!』って感じだったけど、段々やれるようになった」と言う。そして徐々に呼ばれる代表のカテゴリーが上がり、今年10月にはついに5つ年長のU-22日本代表に選ばれるまでになった。

元より「夢は世界一のサッカー選手になること」と語る本人の海外志向は強い。今年は複数回にわたってオランダやドイツのクラブへ練習参加。帰国後には隔離期間が必要なため、部活に支障が出ることもあるが、仲村監督は「本人のためになるなら」と容認。

また代表参加で大事な公式戦を欠場することがあっても、「今年は最初から彼がいなくてもやれるようにしようと思ってやっている。その分、他の選手が頑張ればいいんですよ」と度量広く容認し、サポートし続けた。練習参加した結果の評判は上々で、本人も「やってきたことが通用した」と自信を深めた。来年はJリーグを飛び越えて直接欧州の舞台に乗り込むこととなりそうだ。

187cm・80kgの堂々たる体躯に加え、本人がこだわりを持つ“ボンバーヘッド”のヘアスタイルは、ピッチに立てば一際目を惹くもの。あまりサッカーを観戦したことがない方は「誰が誰なのか分からない」という状態になるものだが、この男を見逃すことはないだろう。立ち姿もそうだし、誰よりも高く跳び、驚くべき加速力で抜け出したFWに追い付いてしまう姿を観れば、特別なアスリートであることも分かる。

そしてコーナーキックやフリーキックのチャンスでゴール前に上がってくれば、得点の期待感は十二分。小室コーチが「高校生レベルなら、その場で跳んだだけで勝てちゃうんだよね」と笑うように、圧倒的な高さで場内を沸かせてくれることだろう。

読者の皆さんで、もし特に応援する高校もなく、でも高校サッカー選手権を観てみたいなと思う方がいるなら、尚志高校の会場を選ぶというのは一案だろう。後々まで語れるような、そんな目撃者になれるかもしれないからだ。

記念すべき100回大会でこの笑顔を見られるのだろうか(撮影:川端暁彦)
記念すべき100回大会でこの笑顔を見られるのだろうか(撮影:川端暁彦)
  • 取材・文川端暁彦

    1979年生まれ。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始める。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『サッカーキング』『Footballista』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』『ギズモード』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯優勝プラン』(ソルメディア)

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