SMAPの名曲をいくつも生み出した「ある作詞家の死」 | FRIDAYデジタル

SMAPの名曲をいくつも生み出した「ある作詞家の死」

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2016年に発売された「解散ベスト盤」(AFLO)

令和3年12月からちょうど30年前の平成3年(1991年)も、いよいよ12月となりました。いわゆる「バブル崩壊」は、ゆっくりと深刻化していきますが、この段階ではまだ、景気について、また楽観的な予測が多かったといいます。

楽観的な気分の象徴として、この年の5月に開業したジュリアナ東京があります。「バブル崩壊」どころか「バブル景気」そのものの象徴として、よく語られるジュリアナは、80年代ではなく、この年の開業なのです。

ちなみに、この年の新語・流行語大賞は、チャーリー浜「…じゃあ〜りませんか」なのですから、まだちょっと呑気な気分の時代でした。

そんな「ジュリアナじゃあ〜りませんか」な1年を締めくくる12月に、ひっそりと発売されたのが、SMAPのセカンドシングル『正義の味方はあてにならない』です。

懐かしい縦長のシングルCDを手にとってみると、まだまだ子ども時代の面影を残した6人(当時)が微笑んでいます。後列真ん中にいる香取慎吾くん(当時14歳)などは、あまりにあどけなく可愛い。

平成という時代、つまりバブル崩壊後の「失われた30年」を背負うアイドルとなるSMAP。そのことに異論を持つ人は少ないと思うのですが、のちに、そんな巨大な存在となる6人組のデビューは、意外なほどに地味だったのです。

この年の9月に『Can’t Stop!! -LOVING-』でデビューしましたが、売上は15万枚(オリコン)に留まり、のちの大活躍を考えると、意外なほどに少ない数字と言えるでしょう。

SMAPが跳ねるのは2年後、93年11月の『$10』(テン・ダラーズ)の31.7万枚。続く翌94年の『Hey Heyおおきに毎度あり』が40.1万枚でさらに伸び、そして同年の『がんばりましょう』で70万枚を超え、一躍、時代の顔となるのですが。

話を戻して、では『正義の味方はあてにならない』とは、どんな曲だったのか。

――歌の主人公は学級委員のようで、前半は学園ソングなのだが、後半になると、パパとママが出て来るホームコメディみたいになる。(中略)しかし、前作より二万枚ほど少ない12万9460枚に留まり、一位どころかトップテンにぎりぎりの十位が最高だった。(中川右介『SMAPと平成』-朝日新書-)

この説明を読むだけでも、まだまだ焦点が絞りきれていない曲だったことが分かります。原稿を書くために、あらためて何度か聴いてみたのですが、正直、この説明以上のものを感じることは難しいと思いました。

『SMAPと平成』によれば、ジャニー喜多川は当時、SMAPを「平成のクレージーキャッツ」にしたいと考えていたようです。だから、この曲についても、「パパとママが出て来るホームコメディ」のようなコミカル路線を選択したのでしょう。

『がんばりましょう』と『正義の味方はあてにならない』の関係

ただ、ここで思い出されたいのは、SMAPを時代の顔に押し上げた『がんばりましょう』のことです。さらに言えば、『がんばりましょう』の素晴らしい歌詞のこと。

「♪かっこ悪い 朝だってがんばりましょう」

翌95年、SMAPが時代の顔となったことは、この年に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きたことと無関係ではないと考えます。『がんばりましょう』で歌われた、この疲労感、諦観が、95年という時代の中で強烈なリアリティを持った。だからSMAPが時代を制した。

また『がんばりましょう』の歌詞にも、(私含む)当時の若者の感覚と握手する、強烈なリアリティがぷんぷんしました。

「♪東京タワーで昔 見かけたみやげ物に はりついてた言葉は 『努力』と『根性』」

そう考えると、『正義の味方はあてにならない』の中に、このような歌詞があることが、がぜん意味を持ってくるのです。

「♪ぜーきんも土地も家賃も ぜんぜん安くはならないと ママわめく」

この歌詞を「コミカル路線」というよりも『がんばりましょう』への萌芽としての「リアリティ路線」だと捉えてみる。

現実と無縁の夢物語ではなく、バブル崩壊後のどんよりとした日常のリアリティを、請け負い背負っていくという新しいアイドル像への第一歩としての『正義の味方はあてにならない』――。

『がんばりましょう』と『正義の味方はあてにならない』、また『たぶんオーライ』(94年)は、すべて同じ、ある1人の作詞家の手によるものです。

その作詞家の名は――小倉めぐみ。

――SMAPの「がんばりましょう」などを手がけた作詞家の小倉(おぐら)めぐみさんが、9月14日に亡くなっていたことがわかった。61歳だった。
小倉さんはアイドルの楽曲の作詞が多数あり、SMAPはほかに「君は君だよ」「たぶんオーライ」など。南野陽子さんでは、映画主題歌で1987年にヒットした「はいからさんが通る」や、「楽園のDoor」なども手がけた(『朝日新聞DIGITAL』2021年10月12日)

作詞家・小倉めぐみが今年9月に亡くなったことについての報道は、大体こんな感じで淡々としたものでした。それでも私たちは、あの激動の1995年に、アイドルの曲でありながら、疲労感と諦観というリアリティを撒き散らした『がんばりましょう』の歌詞を、決して忘れることはないでしょう。

さぁ、もうすぐ2022年(令和4年)がやってきます。ということは、ちょうど30年前の今ごろは、もうすぐ1992年(平成4年)がやってくるというタイミング。まさに「正義の味方はあてにならない」という感じの、羅針盤を失った時代に、日本全体が向かっていくのです。

 

  • 取材・文スージー鈴木写真AFLO

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