三原じゅん子「子供を見るだけで苦しくて」子宮頸部腺がんで政界へ | FRIDAYデジタル

三原じゅん子「子供を見るだけで苦しくて」子宮頸部腺がんで政界へ

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入院中の三原

2021年11月26日、厚生労働省は子宮頸がんを予防する「HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン」の積極的勧奨を再開することを通知した。2013年に中断されてから8年、HPVワクチン接種の再会に向けて尽力したのが内閣府大臣補佐官、参議院議議員の三原じゅん子氏(57)である。彼女自身が子宮頸部腺がんを乗り越えた経験から、予防の重要さを誰よりも感じていたのだ。

「きっかけは、2008年に受けた人間ドックでした。当時、私は芸能界にいて日々の仕事に追われていて、しっかりした検査を受けたことがなくて……それが初めての人間ドックでした。せっかくの機会だったので、オプションでしたけど子宮頸がんの検査もお願いしました」

軽い気持ちで受けた人間ドックだったが、一本の電話が三原氏の日常を一変さえた。

「人間ドックを受けた病院からで『再検査を受けて下さい』と。後日、病院へ行くと大学病院で再検査をしてくださいと紹介状を渡され、『なんで?』という気持ちでしたが、言われるがままに大学病院で再検査を受けました」

再検査で「高度異形成」と診断され、がんの一歩手前であると告げられた。

「高度異形成と聞いて、最初はそれほど深刻に考えてはいませんでした。がんじゃないんだという認識でしたので。ただ、医師から『念のため子宮頸部円錐切除術を受けて組織を調べましょう』と言われ、その通りにしました。ところが組織検査の結果、『子宮頸部腺がん』と宣告されました。高度異形成と聞いていても、まさか自分ががんの宣告を受けるとは思いもしませんでしたから、頭の中が真っ白になりました。『私は死ぬんだろうか』という不安にも襲われました」

子宮頸部腺がんは、放射線治療や抗がん剤の効果が出にくいケースもあり、転移も起きやすいなど予後が悪いがんである。子宮頸部腺がんについて詳しい説明を受け、さらにショックを受けた。

「医師からは、子宮全てと子宮周囲の卵巣、リンパをなるべく早く摘出した方がいいと言われました。子供を持つことを諦めなければいけない。なんとか子宮を取らずに済む方法はないかと悩みましたが、当時は子宮頸がんや子宮頸部腺がんに関する情報も少なく、どうしたらいいのか考える術自体がありませんでした……」

子宮頸部腺がんの治療を早急に行うべきだったが、納得いかぬまま子宮を摘出することを決断することはできなかった。三原氏はセカンドオピニオンを求めた。

「かすかな希望を持っていたのですが、医師の意見は同じでした。それどころか『命があるだけありがたいと思ってください』とけんもほろろに言われ、とてもそんな言葉を患者に吐く医師に命を委ねることはできませんでした」

信頼できる医師に任せたいと考えていた三原氏はサードオピニオンも求めた。同時に知人などの協力を得て、子宮頸部腺がんを経験したがんサバイバーたちにも話を聞いた。

「同じがんを経験した方、数名に話を聞けたのですが、卵巣やリンパ節を切除すると、更年期症状がひどく出たり、リンパ節を切除するとリンパ浮腫といって足が倍以上にも浮腫んだり排尿障害が出ると聞いて、頭を抱えました。当時、私は女優でしたから、役者の仕事を続けるのも難しくなると考えました」

4番目に訪れた山王病院でようやく、信頼できる医師に出会えた。

「フォースオピニオンをいただいた医師に私の気持ちを素直に伝えると、役者を続けられる方法を親身になって考えてくださった。定期検診をしっかり受けることを条件に、卵巣とリンパ節を残して子宮だけを切除することになりました」

ここ数年、がんを公表する芸能人は増えたが、当時は一般的ではなかった。女優として病気はマイナス。仕事に穴をあけるリスクがあると判断され、レギュラーの仕事は取れなくなり、病気のイメージがあるからCMも出られなくなる。三原氏は公表をさけたが、週刊誌にがんであることをスッパ抜かれた。だが、これが三原氏にとって転機となった。

「私は多くのがんサバイバーの皆さんから情報をいただいたおかげで、がんを乗り越えることができました。感謝するとともに、私にも何かできないかと考えた。それで、がん支援を行うNPO法人の皆様のお手伝いを始めたのですが、そのなかで『行政の力が必要だ』と痛感する場面が何度もあり、ならば私が変えていこうと政治家になることを決意しました」

愛犬と

こうして、三原氏は2010年、参院選挙で初当選を果たした。政治家となり、子供や女性の命を守るために奔走したが、数年間は葛藤の連続だった。

「子宮を全摘したことは私にとって非常に辛い現実でした。数年間は子供を直視することができなかったですね……苦しかった。ただ、それもいつしか、『自分と同じような経験をしている女性を支援したい』という思いに変わっていきました。子供を諦めた私は、子供ができない辛さがよくわかります。だからこそ、同じ苦しみを抱える皆さんに寄り添いたい。

副大臣時代には不妊予防支援パッケージ を作り、ライフステージに応じた女性の健康推進に力を注ぎました。不妊治療をする女性から『30歳をすぎたら、不妊症が増加するなんて知らなかったです』という声が聞かれます。不妊症についてを学ぶ環境を作ることも課題だと考えています」

三原氏の政治家としての実績の一つが、がん対策基本法の推進とがん登録推進法の制定である。現在、力を注いでいるのが子供たちの未来を守るための政策だ。

「不妊治療、児童虐待防止、がん対策は、これからも精一杯取り組んでいきます。日本は小児がんケアが遅れています。AYA世代(思春期・若年青年世代)のがんの問題にもついても新たな取り組みを始めました。若年がんに抗がん剤や放射線治療を行うことで将来、子供を持つことを諦めることを余儀なくされるというケースもあります。

しかし、治療前に卵子、精子を冷凍保存し、がんを乗り越えて、大人になってから人工授精で妊娠出産ができるようにする。そういったシステムを医師と国と協力し取り組みを始めました。日本国民の二人に1人ががんになる時代です。がん患者となっても当たり前の生活を守っていくことが私の使命だと思っています」

  • 取材・文吉澤恵理

    薬剤師/医療ジャーナリスト

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