「餃子の王将射殺事件」社長が生前にしていた意味深な相談内容 | FRIDAYデジタル

「餃子の王将射殺事件」社長が生前にしていた意味深な相談内容

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大東社長が生前にしていた「意味深」な相談内容

事件の1年前にFRIDAYのインタビューを受けていた大東社長。経営難から立て直した敏腕社長として知られていた
事件の1年前にFRIDAYのインタビューを受けていた大東社長。経営難から立て直した敏腕社長として知られていた

王将社長射殺事件から8年、捜査は完全に暗礁に乗り上げている。

当時社長だった大東(おおひがし)隆行氏(享年72)は’13年12月19日の朝、京都市内の本社前で至近距離から拳銃で4発撃たれ亡くなった。現場近くで見つかったタバコの吸い殻から福岡県を拠点とする暴力団「工藤會」組員のDNAが検出されたが、いまだ事件と結びつける有力な証拠は得られていない。

「警察はこれまでに延べ24万3000人を動員して捜査を続けており、膨大な数の暴力団関係者から事情聴取をしています。しかし結局、誰も有力な情報は持っていなかった。京都府警と福岡県警が不仲で、密接な協力関係を築けていないことも捜査がうまく行かない原因です」(京都府警捜査関係者)

警察は実行犯と同時に、大東氏殺害を依頼した「黒幕」の捜査も進めていた。そのなかで浮上したのが、大東氏の義兄で王将創業者の加藤朝雄氏と昵懇(じっこん)だった実業家・A氏である。’16年3月、王将の第三者委員会は、93ページの調査報告書を発表。

A氏と王将の間に、合計260億円もの不透明な取引があり、そのうち、170億円が未回収と記されていた。王将と金銭トラブルになっていたA氏が、「工藤會」に大東氏暗殺を依頼したという筋書きを警察は描いたわけだ。しかし実は、この「A氏黒幕説」もすでに頓挫しているという。A氏と懇意の関係者が証言する。

「事件発生から5ヵ月後の’14年4月初めにA氏は京都府警捜査1課から事情聴取を受け、’16年1月には殺人容疑で家宅捜索までされています。しかしその後、『A氏は事件とは無関係』と結論づけています。私はA氏と警察の会話を目の前で聞いたので、間違いありません。A氏は、王将との金銭トラブルについても『まったくのデタラメだ』と主張しています」

では、真犯人はどこに。

「A氏は大東社長とはお中元やお歳暮も送り合うほどの仲だった。事件との関係は不明ですが、A氏は生前に大東氏から、『王将内部でゴタゴタがある』と相談されていたそうです」(同前)

遺族のためにも、警察には何とか解決の糸口を見つけてもらいたい。

大東氏が襲撃された『王将』本社脇の駐車場。犯行当日は雨で足跡などの証拠を採取するのが困難な状況だった
大東氏が襲撃された『王将』本社脇の駐車場。犯行当日は雨で足跡などの証拠を採取するのが困難な状況だった

被害者遺族が「懸賞金100万円」を懸けたワケ

茨城県つくば市 ’17年12月30日〜’18年1月1日発生

事件の現場となった、小林さん夫妻が住んでいた家。現在、家の前には情報提供を求める看板が設置されている
事件の現場となった、小林さん夫妻が住んでいた家。現在、家の前には情報提供を求める看板が設置されている

「最近も月に数件は情報提供がありますが、現在のところ有力な情報はありません」(茨城県警つくば署捜査本部)

’17年12月30日から’18年1月1日にかけて、茨城県つくば市の、周囲を雑木林に囲まれた民家で、老夫婦が殺害される事件が発生した。

「亡くなった小林孝一さん(当時77)と揚子さん(当時67)は、以前は自宅の1階でカラオケ店をやっていたんです。店はずいぶん前に閉めましたが、奥さんが電話で営業したりして、けっこう流行(はや)っていた。まわりに農家が多いなか、あの夫婦は垢(あか)ぬけた感じの目立つ存在でしたね」(近隣住民)

孝一さんと揚子さんはともに再婚で、正月に連絡がつかないことを不審に思った揚子さんの息子らが自宅を訪ねたところ、居住スペースの2階で殺害されている二人を発見したのである。

「現場となった部屋の壁は血だらけで、布団の下には血だまりがありました。孝一さんの遺体には額にハンマーで殴られたような痕(あと)があり、後頭部が割れて鼻を潰(つぶ)されており、揚子さんについても、顔が半分潰れていたそうです」(親族)

室内に荒らされた形跡はなく、財布や貴金属類も盗(と)られていなかったという。そのため捜査本部は、怨恨による可能性も視野に入れて捜査を行ってきた。

「うちは農作物の収穫に、外国人の研修生が携わっているんですけど、『DNAを採ってもいいですか』と捜査員がやってきました」(近隣農家)

現在は懸賞金100万円の「私的懸賞金対象事件」として、現場の自宅前に情報提供を求める立て看板が設置され、茨城県警のホームページでも紹介されている。

「両家の親族6人がお金を出し合って、懸賞金を出すことにしました。ただ、あれから4年が経ち、解決は難しいのかなという気もしています」(前出・親族)

膠着(こうちゃく)した状況の打開が望まれる。(取材・文:ノンフィクションライター・小野一光)

元町議緊縛殺害事件 奇怪な状態で窒息死 犯行内容からわかった「犯人像」

熊本県 熊本市 ’21年5月24日発生

JAグループ熊本のHPより。組合長に地域特産のカスミソウを手渡す中村さん。JAの部会長なども務めた
JAグループ熊本のHPより。組合長に地域特産のカスミソウを手渡す中村さん。JAの部会長なども務めた

「人の往来がなく、防犯カメラも少ない地域なので、犯行や犯人に繋がる映像や証言が思うように集まらないのでしょう。それが、捜査が長引いている理由になっているのではないでしょうか」(犯罪ジャーナリスト・小川泰平氏)

事件は’21年5月24日の朝、熊本市郊外のゴルフ場や自然公園に囲まれた地区で起きた。元町議の中村尊徳(たかのり)さん(当時74)が自宅の寝室で両手両足を紐(ひも)で縛られ、口と鼻に粘着テープを貼られた状態で窒息死しているのが発見されたのだ。

「遺体発見時、自宅玄関には外側から鍵がささったままになっており、4㎞ほど離れた場所で中村さんの軽トラックが乗り捨てられているのが発見されました。犯人が逃走に使用したと見られています。現場からは金庫が持ち出されていたこともわかっています」(全国紙記者)

事件当日、別室で寝ていた中村さんの妻は物音には気づかなかったという。

「犯人は中村さんを拘束し、金庫を持ち出すなど犯行に時間をかけている。奥さんも自宅にいたのに、大胆な犯行です。事前に現場の状況を把握していたとみるのが自然で、顔見知りの犯行の可能性が高い。残された玄関のドアの鍵が合い鍵だとしたら、犯人は合い鍵を作る機会があった人間でしょうね」(前出・小川氏)

また、現場に複数の足跡があったことなどから、複数犯の可能性もある。

「金庫の大きさにもよりますが、複数人で運び出して軽トラックで持ち去ったと考えるのが自然です。4㎞先で軽トラが発見されたのも、そこで仲間と合流して、違う車に乗り換えたのでは」(同前)

県警はこれまでに延べ1万3000人以上の捜査員を投入し、関係者に徹底的な聞き込みを行ってきた。犯人が捕まるのも時間の問題かもしれない。

道志村キャンプ場女児失踪事件 美咲ちゃんの母が明かす「200件の情報提供」

山梨県 南都留郡道志村 ’19年9月21日発生

裁判の傍聴を終え、取材に答える母・とも子さん。毎年、年末年始は自ら街頭に立ち、ビラ配りを行っている
裁判の傍聴を終え、取材に答える母・とも子さん。毎年、年末年始は自ら街頭に立ち、ビラ配りを行っている

「被告にどこまで私の言葉が伝わっているのかは疑問です。被告は罪を認めず、反省もしていなかった。判決に納得がいかないと弁護士に詰め寄っていたそうです。でも、今回の判決で、ようやく一区切りつきます」

そう話すのは、’19年9月に山梨のキャンプ場で行方不明になった小倉美咲ちゃん(9)の母・とも子さん(38)だ。’21年12月17日、千葉地裁で美咲ちゃんの事件を巡り自身のブログに「親が関与した人身売買」などと書き込んだ男に対する、名誉毀損(きそん)裁判の判決が下された。とも子さんも地裁を訪れ、男には懲役1年6ヵ月、執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。

事件発生から2年。警察への情報提供の数は減っているものの、今でもとも子さんのSNSやHPには、情報提供が途切れないという。

「情報の確かさへの不安から警察へ電話するのを躊躇(ちゅうちょ)される方も多いのでしょう。’20年10月にHPを開設してから、似た子を見かけた等、200件ほどの情報提供をいただいています。違ってもいいので送って貰えれば嬉しいです。いただいた情報はすぐに警察と共有していますし、警察には情報提供があった場所付近の防犯カメラの映像も確認して頂いています。また、近隣店舗へチラシを配るなどの活動も続けています」(とも子さん)

過去の誘拐事件では、犯人が連れ去った子供と共に各地を転々としていたケースもある。とも子さんは、今も美咲ちゃんが日本のどこかで暮らしていると考えており、警察も同様の見方をしている。

「私たちは美咲が絶対に家に戻ってきて笑顔で生活できると信じているし、必ず見つけるからもう少し頑張ってねと伝えたいです」(同前)

一刻も早い親子の再会を願うばかりだ。

世田谷一家殺害事件 発生から21年、真相解明を阻む「法の壁」とは

東京都 世田谷区 ’00年12月30日発生

’21年12月中旬に撮影した犯行現場となった家。一時期は解体の話もあったが、今も上祖師谷の一角に立っている
’21年12月中旬に撮影した犯行現場となった家。一時期は解体の話もあったが、今も上祖師谷の一角に立っている
’99年4月にみきおさんの父・良行さんが撮影。長女・にいなちゃん(前列右)の7歳の誕生祝いをする一家
’99年4月にみきおさんの父・良行さんが撮影。長女・にいなちゃん(前列右)の7歳の誕生祝いをする一家

東京・世田谷区の閑静な住宅街。ここで、宮澤みきおさん(当時44)ら一家4人が何者かに殺害されてから21年がたつ。

「’21年10月には週刊誌『FLASH』で、当時、世田谷区内の焼き肉店で働いていた男性を対象として、警察が捜査を進めていると報じられました。しかし、捜査本部はその男を重要視しておらず、多くの聞き込み捜査のうちの一つとみられ
ます」(全国紙記者)

これまで警察は計28万人超の捜査員を投入。のべ5900万件の指紋、130万件のDNA情報を収集し、調べてきた。捜査関係者が、現在の捜査の内情を明かす。

「現場には、凶器の包丁など数ヵ所に犯人と思(おぼ)しき人物のDNAが残されていました。DNA鑑定の精度の向上とともに、聞き込みとDNAの収集により力を入れています。しらみ潰(つぶ)しに聞き込み調査を進め、その中で協力いただいた方には遺伝子情報の提供もお願いして、一つずつ現場のものと照合しています」

事件から時間が経ち、捜査員の数は限られているものの、地道な捜査が今も続けられている。しかし、そこには「法の壁」が立ちはだかっているのだという。

「アメリカでは、採取した遺伝子情報から再現度の高い似顔絵を作成し、犯人逮捕に繋がった例がこれまでで20数件もあります。ただ、日本では遺伝子に関わる部分は『究極の個人情報』と考えられ、DNA捜査に活用されていません。遺伝子情報の活用を日本も取り入れるべきです」(警視庁成城署元署長・土田猛氏)

’21年12月18日には、現場近くで『宙(そら)の会』の集会が開かれ、殺されたみきおさんの母・節子さん(90)が、幅広いDNA捜査実現のため、法整備の推進を訴えた。

時効なき未解決事件。警察と遺族の闘いは続く――。

資産家夫婦放火殺人事件 関係者が次々死亡! 「資産100億円」を狙ったのは誰だ

東京都 板橋区 ’09年5月25日発生

邸宅は鬱蒼(うっそう)と木が生い茂っていた。事件後、家は競売にかけられ、いまは約30軒の建て売り住宅になっている
邸宅は鬱蒼(うっそう)と木が生い茂っていた。事件後、家は競売にかけられ、いまは約30軒の建て売り住宅になっている
瀬田さん夫妻。犯人は邸宅に侵入し、夫妻を鈍器で殴るなどして殺害。その後、邸宅に火を放った
瀬田さん夫妻。犯人は邸宅に侵入し、夫妻を鈍器で殴るなどして殺害。その後、邸宅に火を放った

「近隣では瀬田さんが資産家だというのは有名な話でした。あちこちで飲み歩き、『銀行は信用できないから、自宅に現金を置いている』と話していたそうです。奥さんも『家で札束につまずいて足をねんざした』なんて話していました」

そう話すのは都内の不動産会社社長のAさん。「板橋資産家夫婦放火殺人事件」の発生の際、警察から犯人と疑われた一人だ。事件で犠牲になったのは、不動産賃貸業を営んでいた瀬田英一さん(当時74)と妻の千枝子さん(同69)。板橋一帯の豪農の家系で、資産は100億円とも言われた。瀬田さんは交友関係が広く、警察は多くの関係者を調べており、Aさんもその一人だった。Aさんが語る。

「瀬田さんと知り合いだったため、事件から2〜3ヵ月は警察にマークされていましたね。ただ瀬田さんが通っていた店の多くもなくなり、警察がいまも捜査を続けているのかはわかりません。当時、瀬田さんの家に出入りしていた建設関係の男性がいました。彼は事件後、異様にカネ回りがよくなり、警察にしばらく勾留されたこともあった。しかし、その男性も1〜2年ほど前に亡くなってしまったんです」

容疑者として「日中合同窃盗団」説もあった。しかし、そのグループの全貌を知るキーマンの男性も、実は5年ほど前にバイク事故で亡くなったという。事件解決まで、もう時間は残されていない。

高1女子全裸撲殺事件 元校長が胸に秘め続けている「真犯人」とは

京都府 舞鶴市 ’08年5月7日発生

美穂さんの遺体は自宅から約7㎞離れた川沿いの雑木林の中で発見された。写真は遺体発見現場の現在の様子
美穂さんの遺体は自宅から約7㎞離れた川沿いの雑木林の中で発見された。写真は遺体発見現場の現在の様子
美穂さんの交友関係は広くはなく、捜査は難航しないとみられたが……
美穂さんの交友関係は広くはなく、捜査は難航しないとみられたが……

「いまも毎年5月には現場に献花に行っています。事件は解決していないので、何も報告することはできませんが……」

そう語るのは、京都府立東舞鶴高校の元校長の北川鯉平さん。’08年、同校の浮島分校1年生だった小杉美穂さん(当時15)が、全裸遺体で発見された。頭部を執拗(しつよう)に殴打された形跡があり、極めて残虐な事件として地域住民を震撼させた。

「’09年4月に府警は60代の男性Aを逮捕しました。殺人と強制わいせつ致死罪に問われましたが、’14年7月に最高裁で無罪が確定。Aは複数回の服役経験があり、この舞鶴の事件で無罪判決を得たわずか4ヵ月後にも殺人未遂容疑で逮捕されています。’16年に服役中の医療刑務所で獄死しました」(京都府警担当記者)

前出・北川さんが話す。

「私はいまも犯人はAだと思っています。東舞鶴はほとんど事件など起きないところなのですが、彼が住んでいた時期、傷害事件や下着泥棒など何件もの事件が起きています。Aが逮捕されてからはピタッと事件が止(や)みました。それでも無罪判決になった。当時はまだ防犯カメラの精度が低いなど、最後まで確証が得られなかった。残念でなりません」

Aの無罪確定後、捜査はどうなっているのか。前出・記者が話す。

「現在、捜査本部はないに等しい状態です。真犯人に関する新たな情報が出てこない限り、捜査が再開されることはないでしょう」

遺族らの無念が晴れる日はくるのか。

加古川・小2女児刺殺事件 窓口役を務めた「事件のキーマン」が亡くなっていた

兵庫県 加古川市 ’07年10月16日発生

刺殺された柚希ちゃん。動物好きで、活発なかわいい子だったという。胸部の傷は心臓にまで達していた
刺殺された柚希ちゃん。動物好きで、活発なかわいい子だったという。胸部の傷は心臓にまで達していた
犯行現場となった自宅前の事件直後の写真。自宅前の道路は幅4mと見通しはいいが、逃走経路も不明のまま
犯行現場となった自宅前の事件直後の写真。自宅前の道路は幅4mと見通しはいいが、逃走経路も不明のまま

瀬戸内海に臨む、兵庫県加古川市別府(べふ)町。’21年12月中旬、FRIDAY記者はこの町を訪れた。ここで小学2年生の女児が刺殺されるという痛ましい事件が起きたのは、いまから14年あまり前のことだ。

「犠牲になったのは、鵜瀬柚希(うのせゆずき)ちゃん(当時7)。夕方6時頃、柚希ちゃんが近くの公園から自宅に帰ってきたところ、家の前で何者かに胸と腹部を刃物で刺されました。搬送される際、まだ意識があった柚希ちゃんは、犯人について『大人の人』『男』と話したそうです。捜査が長引いた最大の原因は、当時現場付近には街灯が少なく、人通りもほとんどなかったため、有力な目撃証言が得られなかったことです」(全国紙記者)

FRIDAY記者が現場を訪れると、事件当時とは違って街灯が増え、道路も綺麗に整備されていた。現場から目と鼻の先の場所には大きな公園や保育園もできていた。柚希ちゃんの家は事件後、しばらくそのままの状態だったというが、いまは取り壊されてアパートになっている。柚希ちゃん一家は、事件後に皆この町を去ったという。

事件当時、地域の情報を吸い上げ、警察やメディアとの窓口を務めていたのが町内会の副会長だった。自宅を訪ねると、その副会長の奥さんが対応してくれた。

「主人は’20年3月に亡くなりました。当時はひっきりなしに警察の方が来て、『こんな色の車を見ませんでしたか』なんて聞かれていました。年々、警察の方がいらっしゃる頻度が減って、ここ何年かは姿を見ませんね。主人はずっとこの事件の解決を願っていました。亡くなる直前にも『あれは残念やった』と言っていたんです」

別府町の住民の間でも、徐々に事件の記憶の風化が始まっているという。

六本木クラブ襲撃事件 「見立はセブ島にいる」関東連合元幹部からの有力情報

東京都 港区 ’12年9月2日発生

フィリピンにいるとされる見立容疑者だが、第三国へ逃亡した可能性もある
フィリピンにいるとされる見立容疑者だが、第三国へ逃亡した可能性もある
工藤明男氏から届いたメッセージ。工藤氏と見立容疑者は幼なじみで、その性格については熟知しているという
工藤明男氏から届いたメッセージ。工藤氏と見立容疑者は幼なじみで、その性格については熟知しているという

関東連合による六本木クラブ襲撃事件から間もなく10年。主犯格で現在も海外に逃亡中とされる見立(みたて)真一容疑者(42)の消息を伝えるメッセージが’21年冬、ツイッターを通して私のもとに届いた。

「国際指名手配中の見立真一が、逃亡先としているのがフィリピンのセブ島と言われております。真相は不明なのですが、警察含めて認識としてはセブ島から移動していないということのようです」

送り主は「工藤明男」。本名は柴田大輔で、関東連合の元幹部だ。’13年に『いびつな絆 関東連合の真実』(宝島社)を上梓して話題になったあの人物である。逃亡後もコンタクトを取っていたという工藤氏は、こんな事情も教えてくれた。

「お金は2億円ほど逃亡当初に本人の手元に渡っているはずなので、お金には不自由はないと思いますが、果たしてそれで生涯逃げ切れるものなのか? 他の国、例えば内妻の故郷であるペルーなどに密入国出来ないものなのか?」

フィリピン現地の報道によると、見立容疑者は、事件発生から1週間後、北京からマニラ空港へ。その5日後に韓国のソウルへ向かい、約2ヵ月後の11月上旬、今度はインドネシアのジャカルタからマニラ空港へ到着した。見立容疑者の捜索に当たったというフィリピン入国管理局の元捜査員は、こう明かす。

「これまでセブ島のほか、(東ネグロス州の)ドゥマゲティ市、そして(マニラ近郊の)ブラカン州をそれぞれ数回ずつ訪れた。だが、見つけられなかった」

奇しくも「セブ島」は一致しているが、その情報を提供してくれた工藤氏は’21年11月下旬に他界した。果たして見立容疑者は今も、フィリピンに潜伏中なのか。(取材・文/ノンフィクションライター・水谷竹秀)

『FRIDAY』2022年1月7・14日号より

  • PHOTO谷口 哲(王将・大東氏)

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