一念発起…!AV男優がポーカープレーヤーとして見る夢 | FRIDAYデジタル

一念発起…!AV男優がポーカープレーヤーとして見る夢

1月7日、日本最大のポーカートーナメント「JOPT」に出場予定のAV男優、志戸哲也氏がポーカーの勝負に快感を覚える本当の理由

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撮影:渡辺知寿(撮影の時だけマスクを外してもらいました)
撮影:渡辺知寿(撮影の時だけマスクを外してもらいました)

いま、首都圏を中心とする日本では、20代から30代の世代を中心にポーカーブームが起きている。

キーワードはオンラインとアミューズメントカジノだ。

例えば前者では、2021年は現役の京都大学の学生が、海外のオンラインポーカーサイトでポットリミットオマハ(ポーカーの一種類)のトーナメントに挑戦。参加費は400ドル(約46,000円)で、見事世界の頂点に立った時には14万50ドル(約1,600万円)の賞金を獲得している。

そして、急増するポーカープレーヤーがライブでのポーカーを楽しむ場所として、アミューズメントカジノが続々と新規開店している。

今回ご紹介するのは、東京都港区新橋で昨年10月にオープンした『化け猫ポーカー倶楽部』である。このお店の共同オーナーである、著名ポーカープレーヤー、志戸哲也さんに話を伺った。

ラスベガスで初めてプレーし、瞬く間に虜に

志戸さんは国内外のポーカートーナメントで多くの優勝、入賞実績がある名プレーヤーの一人である。

海外ではもちろん、実際にリアルマネーで参加費を払い、リアルマネーをかけてトーナメントを戦う。

一方、日本国内では、法律の規制上リアルな賞金をかけるトーナメントは禁止されている。主要トーナメントの多くにおいて、大会のプライズとして「海外遠征の補助費」を盛り込んだプロ契約を提供するのがスタンダードとなっている。国内のアミューズメントカジノが人気な理由として、最大級の人気を誇るジャパンオープンポーカーツアー(JOPT)などとタイアップし、主要国内大会の出場権をかけたサテライト(予選)を定期開催していることが挙げられる。化け猫ポーカー倶楽部でもJOPTとのタイアップがスタート予定である。

志戸さんのインタビューのために店を訪れて驚いたことがある。

開店の17時を過ぎると、平日にもかかわらず仕事を早く上がったとみられるスーツ姿の勤め人がリングゲーム(お金をかけず、チップを増やすことを目的とした仮想キャッシュゲーム)に興じているのだ。

今では「キャッシュゲームはやらず、トーナメントに専念している」という志戸さんだが、ポーカーと出会ったのは、およそ4年前。ラスベガスのカジノを訪れた際にふと紛れ込んだキャッシュゲームが原点となった。

「ラスベガスで旅行していて、カジノに行ったら何か面白そうだなって。で、人の好いおじさんに声をかけられてルールも分からないまま座ってキャッシュゲームをプレーして。日本円にして、いきなり200万ほど持っていかれました。それがポーカーとの最初の出会いです」

ポーカーには一瞬で心をつかまれた志戸さんが、次に向かったのはマカオだった。アジアのトップシーンのテーブルで、後に化猫ポーカー倶楽部をともに経営することになる、飲食店経営者との運命的な出会いがここではあった。

その後、志戸さんはキャッシュゲームからトーナメントに特化するプレーヤーへと変貌していく。

現在では、多くのポーカープレーヤーがAIを駆使した学習ソフトウェアや、動画サイト、あるいは講師料を払ってプロプレーヤーからコーチングを受けたりするなどして、理論的かつ数学的にポーカーを学んでいる。

ところが志戸さんの進化スタイルはその真逆ともいうべき「直感型」だ。

「ポーカー関連の本は一切読んだことがないんです。僕はマニュアルというものをそもそも読まないんです。ビデオカメラ一つとっても、まずは使ってみて試行錯誤して使うようになれる。ポーカーが上手い人は二種類いると思うんです。最近の子で多いのが、いわゆる勉強型。いろんな知識をネットや動画、コーチングソフトで吸収して伸びていくタイプ。もう一つが、経営者の方に多いと思うんですけど、人生経験で培った人や状況を“読む力”をポーカーテーブルに活用するタイプ。僕はどちらかというと後者ですかね」

志戸さんはポーカーに惹かれる理由として「テレビを含めて嘘っぽい世界ってあるじゃないですか。でもポーカーという世界には結果に対して嘘がないんです。そこにすごく惹かれました」という。そして、「ポーカーは、生き方に反映されている」とも熱く語ってくれた。

トップ営業マンからAV男優――時代の最先端を駆け抜ける

確かに志戸さんのこれまでの半生は、真っ正直でストレートそのものとも言えるだろう。

2006年、AV男優としてデビューした志戸さんは25歳まで自身のルーツである大阪府を中心とする関西を拠点にしていた。

「10代の頃は、高校を中退して水道工事の肉体労働を経て、カラオケ屋でバイトしていました。そこから何か定職につかなければと思い、サラリーマンになったんです。当時、(株式会社)光通信(現在東証1部)がすごく伸びている時期で、携帯ショップが次々と全国に出来ていて。最終的には京都を中心に7店舗を任されるマネージャーにまで昇進しました」

その後、インターネットのプロバイダーの営業に転職する。そこでも順調な成績を収める。好成績により月の給与が100万円を超えることもあったという。

そこから26歳で様々な挫折が重なり、心機一転、人生をやり直す場所として選んだのが、東京だった。

全財産は2万円弱。それで東京までの片道切符を買い、手元に残ったのはわずか数千円。徒手空拳での上京は、ポーカーにたとえるなら、わずかに残ったチップをオールインするような心境だったに違いない。

「東京駅から、どういうわけか新宿に向かったんですよね。で、今でいうネカフェ(ネットカフェ)難民になって。最初は携帯版売のショップ店員とか、日雇いの仕事とかをして。そのうち、ネットで『誰か泊めて』と声かけしたら、地方出身の裕福な家庭で育った早稲田大学の男子学生がそれに応じてくれて、彼の部屋にもぐりこんだんです。そしてある日、ネットサーフィンしていたらAV男優募集の告知を見つけました。AV男優は男の夢。東京でしか撮影はない。一度チャレンジしてみようと、興味本位で応募しました」

ひと出演1,000円の「汁男優」からスタートして、そこから2、3年をかけていわゆる女優との「絡み」を任せられるのが通常のステップアップである。だが、志戸さんはわずか半年で絡みを任せられるようになる。出演料も3~5万円に上がった。毎日のように撮影に励み、キャリア10年で絡んだ女優を含めると延べ5000人を抱いた計算になるという。

20代から30代にかけて、まさに時代の最先端を走ってきた志戸さんだったが、30代に入ってキャリアを変える出来事が起きた。

「業界の鉄則として、女優の子にプライベートで手を出したらダメとなっているんですよね。でも、僕は仲良くなった子とそういう関係になって。そうしたら、関係者とその子が、僕から金を獲ろうとした。何百万とね」

こういうケースに陥った際、それでも払う男優が後を絶たないという。

「払うのを断ったら、仕事を干されてしまうんですよ。だからみんな払ってしまう。でも僕は嫌でしたね。別に強要したわけでも、暴力をふるったわけでもない。なのに、あんな風に脅されて金払うなんて、今さらカッコ悪いと思って。で、雇われ男優はやめて自分のレーベル(VONDシリーズ)を立ち上げたんです」

現在、VONDシリーズは次のリリースなどの準備に向けてサイト等を休止中であるが、素人の女優を公募してマンツーマンで絡むシリーズは好評を博していた。

「AVの撮影って、挨拶が前戯と言われるくらい、撮影前が大事なんですよ。僕はこれまで、目の前の女性をどうやって喜ばせようか、本当に気持ちよくなってもらおうかと思って努力してきました。分かるんですよ、嘘の演技って。ああ、この子は演技で気持ち良いって言っているなとか、ああ、これは本当に気持ちが入っているな、とか。だからじゃないけど、ポーカーのブラフを見破るのはそんなに難しいことじゃない」

志戸さんは「先人に一切習わず、先人を超えていく」ことをプレーヤーとしての目標に掲げている。「一つの道を究めたわけではない」と謙遜するが、各年代で時代の先端を走り、オリジナルな人生を歩んできたは間違いない。

そんな彼だからこそ、「この化猫ポーカークラブに来たら、ポーカーが上手くなる。そんな店にしたいと思っています」という言葉には期待したい。この店には、凡百の店では学ぶことのできない「志戸哲也の人生フィロソフィー」というべきものが、詰まっているはずなのだ。

AV男優として売れていた頃(撮影:志戸哲也氏)
AV男優として売れていた頃(撮影:志戸哲也氏)
ポーカーへの熱い思いを語る志戸氏(撮影:渡辺知寿、撮影時だけマスクを外してもらいました)
ポーカーへの熱い思いを語る志戸氏(撮影:渡辺知寿、撮影時だけマスクを外してもらいました)
共同経営するお店に並ぶ志戸氏が獲得したトロフィーの数々(撮影:渡辺知寿)
共同経営するお店に並ぶ志戸氏が獲得したトロフィーの数々(撮影:渡辺知寿)
1月7日から出場するJOPTで過去に獲得したトロフィー(写真提供:志戸哲也氏)
1月7日から出場するJOPTで過去に獲得したトロフィー(写真提供:志戸哲也氏)
  • 取材・文鈴木英寿

    実業家・経営者、スポーツジャーナリスト。1975年生まれ、宮城県出身。東京理科大卒。音楽雑誌記者、スポーツ雑誌記者を経て2005年にスポーツジャーナリストとして独立。複数のJリーグクラブの経営幹部を経て現在はフットサル施設運営や複数のベンチャー企業への出資・経営指南なども手掛ける。著書に『修造部長』(松岡修造監修、宝島社)、訳書に『プレミアリーグの戦術と戦略』(ベスト新書)など。

  • 撮影渡辺知寿

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