「一番重い刑を…」実娘に子供を産ませた父親の非道と言い訳の数々 | FRIDAYデジタル

「一番重い刑を…」実娘に子供を産ませた父親の非道と言い訳の数々

8年前、当時中学生の娘に2人の子供を産ませた父親は無罪を主張するが…

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写真:アフロ
写真:アフロ

実の娘と性交したとして児童福祉法違反の罪に問われている男(氏名年齢非公開)の公判が現在、東京地裁で続いている。

捜査のきっかけは児童相談所からの情報提供

起訴状によれば被告は2013年6月下旬から8月中旬にかけて、自分の娘・Aさん(当時15)が18歳未満と知りながら自宅で性交したとされる。2017年の刑法改正により監護者性交等罪が新設される前の出来事となる。

なぜ2013年の事案が、令和のいま、起訴に持ち込まれたのか。それは公判に証人出廷した刑事らの証言により、ある程度明らかになった。被告は実の娘に、自分との子を2人も産ませていたのだ。その子らが保護されている児童相談所からの情報提供を受けて捜査が始まったのだという。

ところが被告は否認した。21年9月に開かれた初公判の罪状認否では、書面を手に持ち、長時間、主に警察や検察に対する不満を訴えた。

「まずあの、今、起訴状ですね、それが犯行場所の住所が、記載されている住所と、起訴状記載の住所が違います!で、え〜っと、またですね、犯行日時や場所等を、検察官は証拠から可能な範囲で特定するとしていますが……他県の警察が扱う同一の犯罪と本件を別にするため意図的に、証拠と違う住所を記載したのでは……また東京都は公訴犯罪事実を放置していた……子供たちの人権を著しく侵害している……」

この長く難解な認否を弁護人は「違法捜査に基づく公訴権の濫用だ」と要約し、捜査機関による手続きに違法な点があるため無罪であると主張した。

とはいえ証拠によれば、被告が実娘のAさんに、自分の子を2人産ませたことは間違いないようだ。捜査では、被告とAさん、そして児童相談所に保護されている2人の子についてDNA型鑑定が行われており、その結果によると、2人の子と被告が親子である確率はそれぞれ約99.999%だという。いっぽうの被告は、この鑑定における警察の手続きに不備があり、DNA型鑑定の結果が証拠能力を持たないと主張している。

捜査手続きに違法な点があったか否かが争点となったこの公判では、刑事や科学捜査研究所の職員らが証人として出廷し、当時の様子を証言した。被告は、公判のたびに毎回、調書や捜査報告書などの書類を大きな袋に入れて持ち込み、長いテーブルの上にそれらを広げ、証人らの話に耳を傾けていた。

そのうえ被告は審理のたび、裁判手続きについて30分ほど裁判長に“意見”を述べた。例えば、被害者である被告の娘・Aさんが証人尋問にあたり、弁護士の付き添いをつけると発表された際は次のように反対した。

「長女の尋問に、弁護士が付き添うことは、著しく不相当で、え〜、人権擁護の観点から……弁護士が国家権力を濫用し尋問内容に影響が生じる……」

果ては自分の味方であるはずの弁護人にすら、不信感を抱き、不満を述べた。

「書証の改竄や捏造、証拠を見せない等、信用できない!」

被告席の後ろに座る2人の弁護人はうつむいていた。法廷の誰も信じられないという被告の姿勢により、尋問は、被告自らが行うこともあった。

公判では、彼のそれまでのAさんに対する非道な行いが次々と明らかになっていった。まず、Aさんが2014年に被告の子供を出産したとき担当した産科医は、当時の様子を次のように証言した。

「病院では年間だいたい、1000例ほどの出産があります。私自身は年間およそ200〜300と、多くのお産を担当しますが、Aさんは妊婦検診が未受診だったこと、そして若年だったことなど、かなり特殊でした。なかでも、通常、出産には妊婦さんの母親が付き添うところを、父親が一緒だったこと、その後のAさんの様子が通常と違うところがあり、特に記憶に残っています」

公判で実娘が語った「父に対する思い」

Aさんは妊娠・出産当時中学3年生だった。妊婦検診を受けていなかったため、母子手帳も持っておらず、出産時に正確な週数が分からなかった。そのため出産前の超音波検査や、出産後の胎児の身体測定などから出産時の週数を判断した結果、正期産でなく、31週での早産だったことがわかったという。

早産となった原因について産科医は「医学的に色々な可能性があり断定は難しい」としながらも、ひとつの可能性として、次のように述べた。

「妊娠中の性行為が考えられます。Aさんの場合にその可能性があると述べる理由として、31週で陣痛が起こった原因として『絨毛膜羊膜炎』を発症していました。これは、妊娠中に膣内に射精が繰り返された可能性があります」

争われている起訴事実は2013年のAさんとの性交であるが、実際はその後も、妊娠しているAさんに対して性交を繰り返していた可能性を、医師から指摘された格好となる。

さらに公判では、被害者であるAさん本人も証人出廷したが、Aさんは「解離性障害」により、被告との性交を全く記憶していなかった。症状としては、強いストレスにさらされるような経験後、一種の防衛本能が働き、その記憶が失われる場合がある。

しかしAさんは性交については記憶していなかったものの、妊娠中や出産時の出来事は一部記憶していた。当時、被告から「今思えば妊娠検査薬だったと思いますが、細長い棒に『おしっこをかけて』と言われたり、ダボダボの服を着させられたり、『お腹を下にして寝るな』と言われていた」と証言した。これが事実であれば、被告はAさんと性交したことや、その結果Aさんが妊娠したことを当時、自覚していたことになる。

またAさんは、被告による“過度な束縛”や“他の家族への暴力”なども記憶していた。

「父は男兄弟には厳しく、女には甘かった。男兄弟には、勉強しないと竹刀で叩いたりしていました。お母さんにも、私が小学校ぐらいの時、父が頭を叩いて、物を投げている姿を見ました。母は手の指を骨折していました。

私には門限が厳しく、遊びに行く相手や場所などをすごく聞いてきて制限していました。最初は反抗していたんですが……制裁みたいな感じのことをされるので、自分にメリットがないと気づき、やめました」

公判にはAさんの母、被告のかつての妻も証人として出廷し、被告のAさんへの“性的な目線”を振り返った。

「Aが中学のとき住んでいた家では、被告とAのみが別の部屋で寝ていました。鍵をかけられる部屋でしたが、気にしていませんでした。

2人が一緒に寝ていて特に覚えていることは、あるとき夕方……寝るような時間ではないときに、娘と被告が同じ布団で寝ていたので、布団をはぐと、パンツ一枚で股間が大きくなっている被告が、娘に体を押し付けていた」

こうした証人尋問が終わった昨年12月、被告人質問が行われた。否認事件であるため、自身の言い分をしっかりと述べるかと思いきや、被告は「起訴状で、犯罪が行われた場所が特定されていないため、何に対して回答すればいいか分からないので何も答えることができない」と、弁護人や検察官、裁判所からの全ての質問を拒否した。

Aさんは証人尋問の最後に、被告に対する処罰感情をこう語っている。

「私のきょうだい含め、私の産んだ子供たちに、今後関わらないで欲しいです。刑事処罰としては極刑にしてほしいぐらいですが、一番重い罪でお願いします」

裁判所への不満を縷々述べ、捜査の不備を主張し続ける被告の姿を、Aさんはどう見ただろうか。実の娘の心と体を大きく傷つけ、家庭を崩壊させ、さらに実の娘に産ませた子らにも苦難を背負わせた被告の公判は次回、論告求刑が予定されている。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

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