帝京大ラグビー部を王者奪回に導いた「無名公立高卒の元4軍戦士」 | FRIDAYデジタル

帝京大ラグビー部を王者奪回に導いた「無名公立高卒の元4軍戦士」

花園出場歴のない高校出身の白國亮大がなぜエリート軍団で勝ち抜けたのか

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大学日本一を決める最高の舞台で3トライを奪った帝京大・白國。無名高出身にしかわかり得ない苦労が報われた瞬間だった(撮影:長尾亜紀)

ラグビーの大学選手権の決勝が1月9日、東京の国立競技場であり、帝京大が4年ぶり10度目の優勝を果たした。出場メンバーには全国有数の強豪校出身者が並ぶなか、3トライを挙げた白國亮大は「無印」の逸材だ。大阪府立摂津高時代は全国大会への出場経験がなく、帝京大入り当初は4軍にあたる「Dチーム」でプレー。怪我にも泣いた。それでも、速さとガッツで栄光を掴んだ。

入学できるとは考えてもいなかった

素直な思いだったろう。

「実感はないんですが、この場に立てて光栄ですし、よかったと思います」

学生生活最後の試合を終えた国立の芝を背に、取材に応じる。

明大を27―14で下したこの日、14番の白國はハットトリックを決めていた。

まずは前半13分。敵陣22メートルエリア右のスペースで球を受ける。内側へ切れ込み2人抜きを決める。それまでの試合で内側へのステップを多く披露していたのを踏まえ、「外にフェイクを入れて、内に行くようにした」とのこと。瞬時の試合経験を活かす形で、スコアを10―0とした。

続く34分には、1本目よりもゴールラインに近い場所で後輩の奥井章仁のオフロードパスを受ける。防御の死角で球をもらうこの形は、「練習通り。奥井といいイメージを持てた」。15―0とリードを広げる。

さらに勝利を手繰り寄せたのは、ハーフタイム直前のロングランだ。ハーフ線付近右で相手の展開攻撃と対峙。視線の先にパスが飛ぶと見るや、一気に加速してインターセプト。50メートルの距離を独走する。

このワンシーンで20―0とし、残りの40分も交代せずにプレーした。4年間を振り返る言葉は、簡潔だからこそ深みがあった。

「最初は厳しい日々が続いたのですが、努力そのものを止めないことを意識しました」

空手少年だった。中学1年からラグビーを始め、地元の摂津高を経て入ったのが帝京大だった。入学直前まで大学選手権9連覇を達成した名門へ入れたのは、高校の監督だった天野寛之氏に伝手があったからだ。

天野氏はかつて島本高を率い、2011年、2015年、2019年とワールドカップ日本代表戦士として活躍した堀江翔太を帝京大へ送っている。2人の息子も帝京大の卒業生とする。府内の7人制大会で活躍した白國を、今季限りで退任する岩出雅之監督へ紹介した。当の白國は驚いた。強い帝京大は好きだったが、自分が入る場所とは認識していなかった。

高校生のうちに上京して練習へ加わり、アテンド役だった先輩たちに惹かれて門を叩く。ここで待っていたのは、タフな現実だった。

クラブのホームページには、白國が初めて練習試合に出たであろう記録が記載されている。

2018年4月15日に本拠地であった「國學院大学CD対帝京大学CD」。3、4軍同士がプレーするゲームの控えに「57番」で登録された。この時期の1、2軍にあたる「AB」に47名が並んでいたこと、ユニオンラグビーが15人制であることを踏まえると、レギュラー入りまでの道のりは険しく映る。

昨年のチームで主務を務めた山地健太は、入学当初の白國がある意味で目立っていたと語る。身長は165センチ。体重はいまの公式の74キロよりも10キロ以上は軽かった。筋骨隆々の部員が揃うクラブにあって、小柄で線の細い後輩はかえって珍しかった。

しかし山地は、やがて後の英雄に感銘を受ける。

上級生になる前の白國は、怪我に苦しんだ。特に本人がきつかったのは、2年生で右足の甲を骨折した時期だ。複数の同級生が試合で活躍し始めるなか、他の故障者とともに「リハビリ組」で活動していた。グラウンドの隅でストレッチ、体幹トレーニング、腹筋運動といった地道な鍛錬に取り組む。

「リハビリ組」はあまり人目につかないだけに、取り組む態度に個人差がありそうだ。ここで白國に「さぼらない印象」があったと、山地は言うのだ。

「他の怪我人が集まっている場所からあえて離れて、自分のメニューに集中して取り組む姿を見たことがあります」

4年ぶりの10度目の王座奪回を噛み締める帝京大の選手たち。4年生にとっては初の大学日本一だった(撮影:長尾亜紀)

帝京大に入れば高校時代の有望選手も無名選手も「チャレンジャー」

勤勉さはグラウンドの外でも見られた。

帝京大の部員は先輩方の指名でさまざまな「係」を任されるが、白國は「選手係」に入った。試合に必要な荷物を車へ積み込んだり、当日の会場でロッカールームの設営をしたりと、練習時間外の拘束時間が長い。

山地が「係に優劣はつけられないですが、重要な係なのは間違いない」というポストに、白國は「気が利く」「真面目」というお墨付きを得て加わった。

現場や首脳陣のサポート業務を仕切る主務にとって、「選手係」との連携は不可欠だ。山地は、業務上のレスポンスが速く、下級生の「選手係」へ丁寧に仕事を教えていた白國を信頼していた。

「試合に出られないなかでも、どうチームの力になれるかを考えながらできていたのではないでしょうか」

白國は研究熱心でもあった。全体練習後、山地の同級生で1年目から主力だった木村朋也と1対1の抜き合いをしていたものだ。同じウイングのポジションで、自分のような背格好の先輩から技術を学ぼうとした。

決勝戦後の「努力そのものを止めない」という談話の裏には、具体的な努力の堆積があった。

4年目で初めて1軍に昇格した白國は、結局、最後までその座を死守した。首脳陣の信頼を得たわけを聞かれ、走りと違った要素を挙げるのだった。

「ハードワークのところ。最後まであきらめずに走る、泥臭いプレーを最後までやり切る。…そういったところで、使っていただいたのだと思います」

帝京大には常に3ケタ台の部員がいる。名門校の出身者でもファーストジャージィに触れるとは限らず、かえって「(実力を測るのに)『〇〇高校だから…』という考え方はない」と山地は言う。

スクラム最前列に入る2年生フッカーの江良颯も、大阪桐蔭高2年目に全国制覇をした経験についてこう話す。

「高校と大学では舞台が違います。(高校で)日本一を経験した選手も、(大学では)チャレンジャーでいられます」

エリートと見られる下級生も、無名校出身の上級生も、試合出場と頂点を目指す「チャレンジャー」という意味では共通するのだ。

そう。最後の決勝戦で爆発した白國は、決して「無名校の星」ではない。全ての「チャレンジャー」にあって、最も信頼された23人のひとりだった。

(文中敬称略)

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

  • 撮影長尾亜紀

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