借金4億円からの…「真冬の北海道産マンゴー」香港進出の舞台ウラ
なぜ、冬の北海道でマンゴーなのか…
最低気温がマイナス20℃を下回る日もある極寒の地、北海道東部の十勝地方でとれた完熟マンゴーが昨年12月、マンゴースイーツ王国の香港に出荷された。十勝生まれの中川裕之さん(60)が手がける「白銀の太陽」。北海道産マンゴーが海外に上陸するのは初めてのことだ。
糖度が15度を超える「白銀の太陽」は9割が都内に出回り、千疋屋や百貨店でクリスマスや年末年始の贈答用として人気を集めている。糖度がそれ以下のマンゴーも、都内の高級スイーツ店でケーキやパフェの材料として評価が高い。「白銀の太陽」の気になる価格は、サイズに応じて1個6500~3万円。香港では富裕層向けスーパーで2倍以上の値で販売されたという。
マンゴーといえば沖縄、宮崎、鹿児島などを主産地とする南国フルーツの代表格。十勝が日本有数の農業地帯であるとはいえ、なんとマンゴーまで作られているとは。しかも、収穫期は真冬だ。
「よく聞かれるんですよ。『なぜ、冬の北海道でマンゴーなの?』と」
中川さんはそう言って笑う。生産を始めたきっかけは、宮崎県日南市のマンゴー農家、永倉勲さんとの出会いだったという。
「2010年の4月に農林水産省の支援事業で日南市を訪れた際、夜の懇親会でたまたま隣り合わせに座ったのが永倉さんだったんです。奇遇にもカナダに共通の知り合いがいることがわかり、意気投合して焼酎を酌み交わしました。
そのうち彼が『クリスマスの時期にマンゴーを実らせるのが夢なんだ』と話し始め、『宮崎は南国だから作れない。北海道ならできる』と突拍子もないことを言い出した。これは酔ってきたなと思い、話題を変えてその日は終わりました」
ところが、永倉さんの話がなぜか翌日も頭から離れない。中川さんは木に実るマンゴーを見たい気持ちもあり、永倉さんの農園に足を運んだ。
「ハウスの中に入ると、見事なマンゴーが豊富に実っている。北海道の人間は果物畑に馴染みがないので目の前の光景に感動し、永倉さんに思わず『本当に北海道で作れると思うんですか』と聞きました。即座に『作れるはずだ』と返ってきた。その一言を聞いて、僕は夢を抱いてしまったんですよ」
地元に戻るとさっそく、十勝の経済人仲間に「地域活性化のためにマンゴーづくりに挑戦したい」と持ちかけた。すると全員が、口を揃えて猛反対。各方面に話して回るも、耳を傾ける者はいない。どうしてもあきらめ切れない中川さんは、出会いから5ヵ月後に思い切って永倉さんを十勝に招くことにした。
「真冬の北海道でいかにしてマンゴーを実らせるか、可能性を語ってもらいました。
宮崎でもマンゴーをハウスで栽培していて、12月から2月にかけて花が咲き、5、6月に収穫します。冬に収穫するとなれば8月に花が咲くようにしなければならず、それには6、7月にマンゴーに冬だと錯覚させる必要がある。宮崎だとその時期にハウス内で冬を演出するのは難しいが、夏でも涼しい北海道なら決して不可能ではないというのが永倉さんの考えでした。
生産者の話はやはり説得力が違う。彼の口から『作れると思う』と聞いたとたん、みんなも『いけるかもしれない』と言い出しました」
士気は一気に高まり、自分を含めた地元の有志11人が50万円ずつ出資。宮崎と同じ6月の収穫を目指し、試験栽培してみることが決まった。
発想の転換! 厄介ものだった雪でハウス内の季節を逆転させる
中川さんはもともと農業従事者ではない。本業は倉庫事業と石油販売業。だが、マンゴーの栽培に石油を使う考えはまったくなかった。
「環境保護が叫ばれている時代に、石油を扱う商売をしていていいのかという葛藤が、自分の中にあったんです。南国の果物を北海道で作るのに石油を使うのでは意味がない。自然エネルギーを使ってこそ地域の可能性を広げられる。そんな思いから、マンゴー栽培に石油は一切使わないと決めたんです。
まず、暖房エネルギーに温泉を利用しようと考えた。それで試験用ハウスを建てるにあたり、温泉が湧いている土地を借りることにしました」
2010年11月、試験栽培用ハウスが完成。そこに永倉さんから譲り受けた10本の苗木を植えた。同時に中川さんは、栽培技術を学ぶため永倉さんの農園に通い始める。
「初めて教わりに行った時、マンゴー生産者団体の会長という人が『我々が苦労して培った栽培技術を、見ず知らずの素人になぜ教えなければいけないのか』と永倉さんに詰め寄り、目の前で喧嘩が始まって……。逃げ出したくなりました」
それでも永倉さんのもとへ月に一度のペースで1年半通い、並行して新たな事業に乗り出す準備を進めた。
試験栽培開始から3ヵ月後の2011年2月、株式会社ノラワークスジャパンを設立。3月に「白銀の太陽」の商標登録も終えた。6月には十勝で初めてマンゴーが実を結んだ。
「ただし、いけると確信したのはその年の12月。真冬のマンゴーを収穫することに成功した時です」
翌年の3月に、鉄骨造りの新ハウスが完成した。建設費は5000万円。北海道が進めている「一村一炭素おとし」事業(現「一村一エネ」事業)の補助金3000万円を受け、不足分は借り入れた。
そのハウスで、中川さんは本格的にマンゴーの栽培をスタートさせた。
「北海道のマンゴーは本来の季節とハウス内の季節を逆転させて作るんですが、そのためにロードヒーティングを活用しています。ハウスの地中にパイプを敷き、冬は温泉を循環させて地温を上げる。さらに、地元の廃油回収システムを利用し、一般家庭から出る天ぷら油をボイラーでたいてハウス内を暖めます。
夏は、冬の間に貯蔵しておいた雪と氷を使う。雪氷庫の雪解け水を熱交換して冷やした不凍液をハウスの地中に送り込んで地温を7℃くらいに保ちます。厄介に思っていた雪を、発想の転換によって有効なエネルギーに変えることができたわけです」
冬と夏を逆転させる仕組みを、中川さんは試験栽培している間に構築していた。これにより、冬に収穫するマンゴー栽培の可能性が花開いたのである。
「まずはやってみるというのが自分のスタイル。実践しながら考えていくほうが性に合っているんです」
2012年12月、新ハウスで収穫した「白銀の太陽」を試験的に出荷。都内の百貨店で1個5万円以上の高値で販売され、話題を呼んだ。本格出荷を開始した後の2015年には、千疋屋での販売も決まった。
「北海道は実がなる時期に害虫がいないので、農薬を使わずに済みます。湿度が低いためカビの防除対策も必要ない。実が汗をかかないから独特のえぐみがなく、甘みが強い。安心安全なこのマンゴーは、北海道の底力によってできた産物だと思っています」
農業の可能性…「冬の十勝が南国フルーツの一大産地になるかもしれない」
現在、栽培用ハウスは3棟に増えている。敷地内には雪を貯蔵しておくための巨大な雪氷庫もある。新設したのは2018年。その翌年から3つのハウスでマンゴーを栽培している。
「政策金融公庫から3億5000万円、その他の金融機関から500
本当なら、2014年には新しい施設を完成させ、栽培を始めていなければいけなかったんです。それが5年遅れたのは、補助金探しをしていたから。補助金に頼ろうとする農家に対して『それは違うだろう』と思っている人間が、いざ自分が農業を始めようとした時に補助金を求めていたんです。完全に自分のポリシーに反している。借金してでも新たな施設を建てて始めなければ、自分が目指す農業はできない。地元の信用金庫に背中を押され、やっと腹を決めました。
今、3つのハウスに330本の木を植えていますが、6、7年後をめどに3万個の出荷を実現させるつもりです。今年から10年かけて借入金を返済しながら、売り上げが1億円に届くようになれば、収益を次の展開に回せるのではないかと考えています」
だが、収益を上げることだけが中川さんの目的ではない。将来的には、温泉を段階的に使い回す「カスケード農業」を目指している。
「今、ハウスで使用している温泉熱は、マンゴーを栽培した後も使えるのに捨てています。これを捨てずに別の作物に再利用し、最終的に4段階目で使い切る。自然エネルギーを有効活用することで環境への負荷を減らすカスケード農業を、十勝の新たな農業スタイルにしたいと思っています。
畑作の場合、冬は作業がありません。今後、マンゴーだけでなくパパイヤやライチなども冬に作れるようになると、畑作に1年通して安定した雇用を創出できる。農業の可能性が広がることによって、新たに参入する人も増えていくでしょう。もしかすると、冬の十勝が南国フルーツの一大産地になるかもしれない。
どうして北海道でマンゴーなのか。十勝の強みを最大限に生かし、地域を元気にしたい。ひと言で言うと、それが一番の目的かもしれません」
広大な十勝平野を舞台に、中川さんの夢はどこまでも広がる。
- 取材・文・撮影:斉藤さゆり