伊集院光ラジオ降板で見えたTBSのマスコミ対応に「時代遅れ感」
テレビ局やラジオ局の対応に、今までずっと腑に落ちないことがありました。それは、「なぜメディアは十分な説明をしないのでしょうか」ということです。
TBSラジオの朝の看板番組として長寿化を期待されていた『伊集院光とらじおと』(月~木、午前8時半~)が今春、終了することになりました。
前々からその情報はニュースになっていましたが、1月11日の放送のエンディングで伊集院光本人が
「この春いっぱいで終了いたします」
と普段と変わらぬ口調で発表しました。そのことに対するTBSラジオの対応が実にそっけないものでした。
日刊スポーツによれば
「放送の通りです」「(番組終了の)編成理由についてはお答えしていません」
スポーツ報知は
「個別の番組についてはお話ししておりません」
と回答しました。
これらの対応から透けて見えてくるのは、「なんで答える必要があるんですか?」「こちらの内部の事情ですから」というニュアンスです。
テレビやラジオといったメディアはこれまで、番組に関して取材をすると、一つ覚えのように
「編成の過程、制作の過程はお話できません」
「個別の案件にはお答えできません」
と繰り返し、何も答えないことを当たり前のように通してきました。これが大いに疑問ですし、今の時代に通用するのでしょうか。
「個別の案件にお答えできない」
って、よくよく考えれば意味不明です。取材というものは大抵、個別の案件に対するものです。
自分たちがどこかへ取材に行くと、相手方に「情報を公開しろ」「透明性がない」と迫るにもかかわらず、自分たちが取材を受ける際は”頑なな特権”に守られているかのような態度、時代と大いにズレている勘違い!
まあ、自分たちが取材する際は企業の不祥事だったり、経済事件だったりする場合ですから、という逃げ口上はあるでしょうが、国民の共有財産である電波を利用している放送局には、それ以上に説明責任があってしかるべきではないでしょうか。
「こういう理由で、番組が変わります。司会が変わります」
と。それをしないことがまるで当然の伝統というような、今回のTBSラジオの対応でした。
伊集院は放送で、気になることを言っていました。
「しゃべろうとすれば3時間でも4時間でもどうして辞めたんですか、という話はできるんですけども(中略)たくさんのことを言うと誤解のみを与えていくんじゃないか」
「TBSラジオの上層部の方からは『伊集院君、今日こういう風なことを話したらどうですか?』とご提案をいただきましたけども、それに従っていると、もはやさすがに僕はラジオパーソナリティーではないということになるので、そちらの方はご遠慮させていただきますけれども」
実に皮肉を効かせた、彼らしい発言です。
ここからも伊集院とTBSラジオの間には何かがあったことは明らか。伊集院サイドの意向もあるでしょうから、TBSラジオ側がすべてを明かすことはできないとしても、少なくとも、
「事実関係をすり合わせて、可能な限り発表します」
くらいの対応は、今の時代には必要ではないかとあらためて感じた出来事でした。
- 文:ワタベワタル
- 写真:Motoo Naka/アフロ
夕刊紙文化部デスク、出版社編集部員、コピーライターなどを経てフリーランスのエンタメライターとして活動。取材対象は、映画、演劇、演芸、音楽など芸能全般。タレント本などのゴーストライターとして覆面執筆もしている