薬丸裕英の次男・隼人氏が「ドイツ名門サッカークラブで働く理由」 | FRIDAYデジタル

薬丸裕英の次男・隼人氏が「ドイツ名門サッカークラブで働く理由」

英語、ドイツ語、スペイン語もペラペラ 海外でプレーした後、ドイツの名門クラブの裏方に

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フォルトゥナ・デュッセルドルフのホームスタジアムにて。クラブは1895年に創立された名門だ(撮影:峯岸進治)
フォルトゥナ・デュッセルドルフのホームスタジアムにて。クラブは1895年に創立された名門だ(撮影:峯岸進治)

ドイツ・ブンデスリーガ2部『フォルトゥナ・デュッセルドルフ』の日本デスクで働く薬丸隼人(28)さん。日本向け広報が本来の業務だが、昨年の夏に新加入した日本代表MF田中碧(あお)の通訳も業務に加わった。練習や試合、ミーティング、取材などに同席しサポートを行っている。

隼人さんは、元『シブがき隊』でタレントの薬丸裕英さんと石川秀美さんを両親に持つ、5人きょうだいの次男。両親への尊敬の念は強く、とくに父親の話になると「なんだか感傷的になってしまうんです」と目を潤ませる。

華やかな芸能一家に生まれた彼はいかにして、日本代表選手を支える裏方を務めるに至ったのか。

現在28歳の隼人さんは13年前、中学卒業と同時に海外に飛び出した。きっかけはさらに3年前。ある日、会食の席で、父の友人がこんな提案をしてきた。

「知り合いがスペインにいるから、サッカー留学に行ってみない?」

「もうとにかく悔しくて」

当時中学1年の隼人さんは『横河武蔵野ジュニアユース』でサッカーに明け暮れていた。そこへサッカーの本場、スペインへの誘い。父・裕英さんもサポートしてくれたと隼人さんは振り返る。

「知り合いが酔っていたので、僕は『行く行く』って、適当に答えたんですけど、父とその人の間でトントン拍子に決まっていきました」

その夏、隼人さんはバルセロナで3ヵ月の短期留学をすることになった。現地でホームステイし、スペイン語の語学学校に通いながら街のクラブでサッカーの練習にも参加した。だがこの期間に感じたのは、充実ではなかった。

「もうとにかく悔しくて。スペイン語が難しくて、語学学校で一緒に学んでいる他の日本人はできているのに、なぜ自分にはできないんだろうって」

その悔しさが原動力になり、海外においてサッカーで身を立てると決意。中学卒業後はスペインとイギリスの高校に通いスペイン語と英語を身につけた。選手としては’12年、スペイン2部(当時)『サバデル』のBチームにまで昇格。オーストラリアの『ウーロンゴン・オリンピックFC』に在籍していた’18/’19シーズンを最後に、現役を引退した。

次は大好きなサッカーに関わる仕事をと考えていた’19年、現職のインターンをと声がかかり、約1年間勤めたのちに正式採用となった。海外で選手としての道を断念した後、現地でサッカーに関わる職を得るのは簡単なことではない。

「僕の場合、知人のご縁がありました。また、行った国で言葉の勉強を大事にしてきました。それが今につながっているのかなと。バルセロナでの高校時代、友人から『間違いを恐れて何も喋らないなんて馬鹿げてる』って言われて、とにかく人と話しました。社交的なタイプだったみたいで、あまり人と話をすることにストレスは感じなかったんです」

現在、隼人さんは日英独西語を操るクアトロリンガルだ。

それにしてもなぜ、こんなにサッカーにハマッたのだろうか。

「ホント、なんででしょうね。みんなで勝ったり負けたりが楽しかったのかな……。子供のころ、僕らのチームが関東大会に出場すると、忙しかった父が試合を見に来てくれました。ある時は栃木まで来てくれたり、父もサッカーを好きになってくれたんですよね。サッカーがあったから父とのいい関係を作れたというか、そういうのも嬉しかったんです」

そんな思いを明かしてくれる低音ボイスは「父にそっくりと言われるんですよ」と教えてくれた。

今後はサッカーを通じて日本のためになれればと考えている。長い海外経験から還元できることは少なくないはずだ。

感謝の気持ちを抱く父・裕英さんとの思い出話になるとうっすら涙を浮かべた
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本誌未掲載カット 薬丸隼人「芸能一家に生まれながら、サッカーで生きてきた理由」
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  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住

  • 撮影峯岸進治

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