和歌山県カレー事件 林眞須美死刑囚が綴った「慟哭手記」 | FRIDAYデジタル

和歌山県カレー事件 林眞須美死刑囚が綴った「慟哭手記」

独占公開 「四人の子供には私の裁判とは関係なく、自分を一番にして生きていくように私から言いました」「長女の長年の痛みへの心遣いの足りなさに、母親なのに申し訳なくて、私はただ泣いて謝るしかありません」

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昨年6月、長女が4歳の娘を連れて無理心中──
大阪拘置所で再審請求を繰り返す彼女はいま、何を思うのか

子供と記念撮影する林眞須美。右上が長女で右下が長男、眞須美が抱いているのが三女。子供はみな笑顔だ

大阪府泉佐野市のりんくうタウンと関西国際空港島を結ぶ関西国際空港連絡橋から、昨年6月9日、37歳の女性と4歳の女児が身を投じて自殺した。死亡した女性は林眞須美(60)の長女・祥子(仮名)で、女児は祥子の二女だった。

無理心中を図る直前、祥子は自宅から「長女の意識がない」と119番通報。救急隊によって病院に搬送されたが、長女・心桜(こころ)(享年16)の死亡が確認された。死因は外傷性ショックで、日常的に虐待を受けていた疑いがある。祥子は’05年に結婚し、’13年に離婚。’15年に再婚している。虐待死が疑われるのは前夫との間に生まれた長女で、溺死した4歳の二女は再婚した夫との間に生まれた子だ。

’98年7月25日、和歌山カレー事件が起きた。夏祭り用のカレーにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒になり、うち小学生、高校生を含む4人が死亡した。

容疑者として林眞須美が逮捕された。無罪を訴えたが、第一審で死刑判決、控訴、上告も棄却され、’09年5月19日に最高裁判所で死刑が確定。現在は大阪拘置所に収監されている。

林夫婦には4人の子供がいる。事件当時、長女の祥子は中学3年生、長男の誠一(仮名)は小学5年生だった。誠一を通じて、林眞須美に現在の心境を手紙に記してもらった(以下、〈 〉内はすべて林眞須美の手記より)。

〈長女の死を知ってからは、自責の念で、死にたい、私も死ぬと思い続けています。

六月十日の明け方、長女が夢に出てきました。一緒にお風呂に入っていたのですが、長女の姿が見えません。長女は湯ぶねで仰向けになって沈んでいました。ワアッいやな夢を見たわ、と目を覚ましました。窓の外はまだ真っ暗でした。翌十一日の回覧新聞(読売新聞)を見て、長女たちだわと思いました。新聞には初孫の実名心桜が記載されていた〉

両親の逮捕後、4人の子供は児童養護施設に預けられ、林眞須美との接見禁止は4年近くも続いた。

〈初めての家族面会の時に長女から聞かれた。

『ほんまはどっちなん。やったんならやったって言ってよ』

私は『おまえはアホか。やっていない』としかりました。『日本中がママが犯人と思っている。もう四人の姉妹弟しか味方はいない』とも長女は言っていた〉

祥子は高校に進学したが、1年生の時に退学し大阪で働きだした。頼れる身よりもなく、祥子は1週間ホームレス暮らしをした。母親にその苛立ちをぶつけるような手紙を書き送っている。

「会社や店に、事件のことをしられたらすぐにクビになるんだよ。毎回、それの繰り返し。私たち4人はママが死刑になるなんておかしいと、思っているよ。でも、日本中、私たちを除いた人たちはママが死刑になるのは当たり前と思っている。それが現実だよ」(’05年5月21日)

祥子は妹弟の母親代わりでもあった。そして厳しい状況の中で恋人と出会う。

〈結婚して、間もなく初孫の心桜が誕生し、その後も、三人で面会に来てくれた。心桜ちゃんを面会室のカウンターの上に立たせて、私の目の前で見せてくれました。私の顔を見て大泣きされ、長女がなだめ、夫が面会中ずっと心桜ちゃんを抱いていた〉

眞須美にとっては長女夫婦、そして初孫の心桜との面会は大きな楽しみであり、心の支えだった。

’05年6月28日、大阪高裁で控訴棄却の判決。高裁判決から3ヵ月後、祥子は父親に手紙を書き送っている。保険金詐欺で有罪判決を受けた父・林健治は、当時、服役を終えて和歌山市内で暮らしていた。

「このままママが死刑になったら、私は絶対に後悔する。ぶっちゃけ、パパとママを何回も怨んだ。でもパパ、私も協力するから最後まで闘おう。その結果死刑判決が出たとしても、何もしないで死刑を待っているよりいいやろ。自分自身、どこまでできるか、世間を見返したい一心でする。今は家族みんなで助け合い、戦う」(’05年9月15日)

しかし、裁判は長期化、子供も成長し、それぞれが自立していった。

〈子供には私の裁判とは関係なく、自分の人生は一度なので、(事件から)離れて自分を一番にして生きていくように言いました。二十歳になったら分籍するように、私から指示しました〉

分籍は成人が、在籍していた戸籍から抜けて単独の戸籍を編製することだ。

還暦を迎えた林眞須美の現在

祥子が支援集会に出席しなくなるのは、最高裁判決以後だ。長男の誠一が言う。

「姉は集会で母の無実を訴え、マスコミの質問にも答えていた。その一方で、子供が保育園、小学校でいじめに遭(あ)わないか、そうした不安も次第に大きくなっていったようです」

最高裁判決は眞須美の子供たちにとっても大きな転機だったのだろう。4人が集まり話し合いをしている。当然のことだが、祥子も自分の幸福を見つけたいという願望を抱いていた。

〈長女からは『ママとは無罪になった時でないとかかわれない』と言われました。長女本人から離婚したことも聞いていないし、再婚して、二女が生まれていたこともまったく知りませんでした〉

祥子が無理心中を図る直前に亡くなった心桜は「虐待死」が疑われている。

「救急車の中で再婚相手は『とりかえしのつかないことをしてしまった』とつぶやいていたそうです」(誠一)

祥子が運転する車は病院ではなく関西国際空港連絡橋に向かった。一方、夫は病院を抜け出し、自殺を試みたが果たせずに和歌山港近くの路上で保護された。

虐待は連鎖するといわれる。しかし、誠一が断言する。

「母親から暴力を振るわれたことは、私だけではなく姉も妹も一切ありません。思い出に残る母はやさしかった」

現在も捜査中で事実は解明されていない。しかし、真相がどうであれ、林眞須美の娘ならやりかねないという視線が祥子に向けられる。まだ幼い二女へのいじめも予想できる。それがどんなにむごいか、両親の逮捕後、祥子自身が体験してきた。祥子には絶望しか見えていなかったのだろう。関西国際空港連絡橋から海面までは目もくらむような高さだ。

〈机の写真立てには、我が子四人が笑顔でVサインをしている写真三枚。ディズニーランドで笑顔いっぱいの長女と心桜、手紙の便箋に貼られたプリクラ、最初の面会の時に差し入れてくれたダウンのコート、今となってはすべてが祥子の形見です。それを抱きしめて過ごしています。

長女は面会に来ても、私を元気づけることに気を配り、自らのことは何も言いませんでした。逮捕されて以来、長女の長年の痛みへの心遣いの足りなさに、母親なのに申し訳なくて、私はただ泣いて謝るしかありません。私は自分の子供すら守ってやれなかった……〉

白髪が多くなり、歯も抜け、林眞須美は還暦を迎えた。

「『(死刑判決など)私は平気、やっていないから』と答える時もあれば、面会だと言われ、部屋のドアが開けられる瞬間、体が震える時もあるようです」(誠一)

林眞須美と同様に大阪拘置所に収容されていた元オウム真理教信者の井上嘉浩。’18年7月6日の朝、眞須美は井上死刑囚の叫び声を聞いている。

「なんでこんなことになったんだ」

その直後、刑が執行された。

「それから母は自分の部屋のドアが開くのが怖くなったようです」(誠一)

昨年12月21日、東京拘置所と大阪拘置所で3人の死刑が執行された。林眞須美には再審の扉が開くのか、それとも死刑台へと導かれるのか、予断を許さない。

昨年末に届いた林眞須美の手紙には、亡くなった長女と孫への懺悔(ざんげ)が綴られていた。長女たちとの面会は、収監中の眞須美にとって心の支えになっていた
昨年6月9日、長女は関空の連絡橋から無理心中を図った。通行中の男性が通報、病院で死亡が確認された
長女との思い出や初孫と面会したときの喜びを、眞須美は20枚の便箋にびっしりと書き込んでいる
事件後に落書きされた林家の塀。家族6人、時に居候含め7人で暮らしていた。火事で焼失し現在は更地に
逮捕の1ヵ月前、林夫妻はFRIDAYのインタビューに応じていた。眞須美は早口で自身の無実を訴えていた
FRIDAYの取材に答える長男の誠一さん。彼は現在も、母・眞須美との面会に通い、差し入れなどを行っている

(取材・構成/ノンフィクション作家・高橋幸春)

『FRIDAY』2022年2月4日号より

  • 取材・構成ノンフィクション作家・高橋幸春PHOTO加藤 慶(4、8枚目)眞弓準(7枚目)

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