Jリーグ創業者が本音で語る「いまサッカー界に足りないもの」 | FRIDAYデジタル

Jリーグ創業者が本音で語る「いまサッカー界に足りないもの」

今年はJリーグ誕生から30年目。創業者・川淵三郎氏に単独インタビュー

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27日に行われたワールドカップ最終予選の中国戦で後半28分からの途中出場だった20歳の久保建英。日本サッカー界を背負う中心的存在になれるか

コロナ禍で世界中が混乱し、暗いニュースが多かった中、日本の数少ないビッグニュースのひとつは、米大リーグ・エンゼルス大谷翔平の二刀流での活躍だった。

同じ時期、東京五輪でメダルを逃し、ワールドカップ最終予選でサッカー日本代表がファンの期待に応える戦いができなかったため、「熱が冷めてきた」という声もある中、川淵三郎氏(85)は「サッカー界からも大谷翔平くんのような選手が出てこないとも限らない」と、期待を寄せる。その登場に自信をのぞかせる理由も明かした。

「ヒデ(中田英寿氏)で10年、そして本田(圭佑)で10年」

「Jリーグは成功する自信はありました。世界で一番人気のスポーツであるサッカーを日本人が好きにならないわけがない。サッカーに求められる足元の器用さだったり、相互理解が大切なこと、チームの為にどう個の力を発揮するか、といった組織力は日本人に合っている。このことがJリーグをやっていく上で僕の一番の拠り所になっていました」

1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときをピークに人気が落ちていたサッカー。「プロのスポーツクラブとして地域に根ざした活動をする」という当時では前例のない概念を発信しながら周囲に変化を促し、発展してきた。そこにはサッカーのみならず、スポーツ全体を好きになってもらいたい、という思いが込められていた。子供が裸足で走り回れるよう、「小学校の校庭の芝生化」を推し進め、その数が今や全国で2000校を超えたのも、その好例だ。当然、大小さまざまな摩擦はあったが、それを乗り越えてこられたのは、「サッカーを日本人が好きにならないわけはない」という信念にも似た、純粋な思いがあったからだ。

1993年以降、途中、何度か窮地に立たされながらもJリーグが成長を続けてこられたのは、ファンやサポーターの生きがいになるような国内選手が存在したからだ。川淵氏は噛み締めるようにこう明かす。

「ヒデで10年、本田で10年だった」

日本のみならず、その後、イタリアをはじめ欧州でも認められたヒデこと、中田英寿氏(44)は21歳で初代表に招集されて、1998年に日本代表がW杯に初出場したときは中田氏なしでは悲願のW杯出場はありえなかった。今も現役を続ける本田圭佑(35)も3大会連続でW杯に出場し、すべての大会でゴールを決めている。イタリアの名門、ACミランでは背番号10もつけた。

2006年ドイツW杯まで日本代表のエースだった中田英寿氏(写真:アフロ)

100年に一度の逸材。それが大谷翔平だ—

2人とも高卒叩き上げでプロになり、20代でJリーグから世界へ躍り出て、サッカーの本場でも知られる存在となったが、昨年、野球の本場・米国でピッチャー、バッターの両方で歴史を塗り替えるような活躍をつづけたのが大谷だった。

「野球界にとっても大谷翔平は100年に一度の逸材だと思う。素晴らしいよね。だからサッカー界からも大谷君のような選手が出てこないとも限らない。そう思っているんだよ」

素直に称えながら、川淵氏はこう続ける。

「とにかく彼は野球が大好きだという思いに溢れている。本当にどんなご両親のもとで成長したのかと興味もわきますよ。ただ、彼を見ているとね、(誰かに)育てられたという感じがない。どちらかというと、自分で育ってきた、という感じ。これだよね。その時々で、周りがいかにいい環境を与え、『自分からもっと成長したい』とどん欲になれるよう、導いていけるのか。それに尽きると思う」

2014年W杯でゴールを決めた直後の本田圭佑(左)。2018年W杯まで日本代表にいたが、本田がいなくなった後、スター的存在はまだ出てきていない(写真:アフロ)

Jリーグにそのいい環境が足りないのか、といったらそんなことはない。Jクラブにプロサッカー選手を目指すユースチームが必ず存在し、優秀な若手はユースチームからJリーグを経ないでいきなり海外に出て行く挑戦もできる。「自分で育っていく環境」はJリーグにもすでに整っている。

話は少し古くなるが、中学時代の川淵氏は俊足巧打が自慢の野球少年だった。『二番、セカンド川淵』として全大阪大会で優勝経験もある。「僕らの若い頃は運動能力の高い連中はほとんど野球部に集まってきた」と振り返るが、今は違う。大手生命保険会社が公表するアンケート結果によると、小学生男子がなりたい職業ランキングでは近年、サッカーが野球を上回り続けている。運動能力の高い子はまずサッカーを選ぶ傾向が増えた。

その結果、選手個々は格段に上手くなった。今回のW杯カタール大会アジア最終予選の「森保ジャパン」で台頭した新戦力もスター候補である。

「三苫(薫)のスピードや久保(建英)の技術だったら、以前ならスーパースターになっていたと思う。ただ、日本人選手のレベルも上がっているけど、世界のレベルはもっと上がっている。うまい球さばきだけでは、チームも見る側のファンも満足しなくなっている。これからは、スピードはもちろん、ドリブル突破、パス、シュート能力全てが優れていないといけない。(大谷翔平のような選手を)育てていきたいけど、今は出てくるのを待つという我慢の時かもしれない」

選手が海外を目指すことは今も大歓迎だ。Jリーグがフィーバーしていた1994年、カズこと三浦知良がイタリア・セリエAに行ったときも「大賛成だった。Jリーグのスーパースターがいなくなって人気がなくなるなんて、これっぽっちも思っていなかった」

撮影:渡部薫

課題があるとすれば、選手を送り出すJクラブの姿勢なのだという。

「選手をただ同然で海外移籍をさせていいのか!と思うことがある。選手あってのクラブではなく、クラブあっての選手だと思うんだよ。選手が海外移籍する際に移籍金をちゃんと取れるシステムを形にしないといけない」

実際、この1月、スコットランドリーグの強豪、セルティックに、今後の日本代表の主力になるだろうFW前田大然(24)、MF旗手怜央(24)、井手口陽介(25)の3人が移籍をした。かつて、日本代表で活躍した中村俊輔(横浜FC)が在籍した名門クラブだ。昨シーズン途中までJ1横浜を指揮していたオーストラリア人のポステコグルー監督(56)が日本人選手の『引き抜き』をチームに進言して実現したものだ。現地ではこの3人の移籍金の安さが話題になり「破格のバーゲンセール」という報道もあった。川淵氏はこう続ける。

「海外に行くから単年契約にして欲しい、という選手のリクエストをそのまま聞いている。Jクラブに自信がないんだろうね。獲得する選手に甘い顔をしていないか、とも思う。契約するときに『複数年でなかったら契約しない』ぐらいの姿勢を見せてもいいのではないかな。せっかく育てた財産をただ同然で取られていい、とは思えない。海外のクラブは主力選手の契約切れのタイミングはみんなズラしている。あれだけ引き抜かれて黙っていてはいけない」

Jリーグはどうするべきか

Jリーグがサッカーの本場、欧州のクラブの「草刈り場」ではなく、将来的に肩を並べ、切磋琢磨できる存在になるために、どんな手を打とうとしているのか。

そのためにはまず日本人選手だけでなく、海外選手もJリーグで稼ぎたい、と思えるようなお金を集めないといけない。Jリーグでは将来構想として『Jリーグが所有するスタジアム建設』の検討に入った。川淵氏がチェアマン時代から何度も議論されたが本格的に動き出したのは最近だ。プロ野球では大谷が在籍した日本ハムが来春総工費600億円をかけて新スタジアムを完成させる。世界初となる球場内天然温泉・サウナ施設、宿泊施設も完備するボールパークの誕生だ。

「(日ハムの新球場は)素晴らしいよね。Jリーグもこれからはスタジムで利益を上げていくような“セカンドステージ”に来たと思う。僕がチェアマンになった当初は競技場の座席が板のベンチの時代だった。これで映画館以上の料金をファン、サポーターからもらっていいのかって(苦笑)。

『あのスタジアムに行けば、家族で記念日を祝える素敵なレストランがある』。そんなスタジアムが欲しい。南米のアルゼンチンの強豪リバープレートのスタジアムには幼稚園や小学校もあったんだから」

コンセプトの構想だけでなく、候補地の名前もあがっている。代々木公園も候補地の一つに入っているという。

「Jリーグをはじめた頃は『川淵は一体、何を言っているんだ』という人ばかりだった。確かにおとぎ話のように聞こえたかもしれない。でも、時が経ったら形になっていった。『ほら、見なさい。言った通りになったでしょ』って!」

そう語る口調に、85歳の年齢は感じさせない。「65歳ぐらいだと思っているよ」と笑う川淵氏はtwitterでも時折つぶやく。サッカー、ひいてはスポーツそのものが日本の文化に根付くよう、これからも折を見て、大いに語らうつもりだ。

日本サッカー協会内にある日本サッカーミュージアム内にて。この30年をけん引してきた川淵氏がサッカー界を見守る熱いまなざしは変わらない(撮影:渡部薫)
  • 撮影渡部薫

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