「ガラガラヘビがやってくる」とんねるずが芸能界を席巻したあの年 | FRIDAYデジタル

「ガラガラヘビがやってくる」とんねるずが芸能界を席巻したあの年

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1987年、勢いに乗るとんねるず(産経新聞社提供)
1987年、勢いに乗るとんねるず(産経新聞社提供)

ちょうど30年前のヒット曲をお届けする連載です。令和4年が明けたということは、30年前には平成4年が明けました。1992年、今年もよろしくお願いします。

30年前の日本を騒がせていたのは、とんねるずのヒット曲『ガラガラヘビがやってくる』。作詞はもちろん秋元康。売上枚数は何と140.9万枚(オリコン)の特大ヒット。もちろん、とんねるずのキャリア最大のヒットということになります。

この曲、単なる「企画モノ」と思われがちですが、人懐っこいメロディに軽快なスカのビートが今聴いても新鮮、令和の世に発売されても売れる気がする、生命力の強い曲です。

80年代後半に時代の寵児となったとんねるずが、勢いそのままに90年代に向かうことが出来たのには、『とんねるずのみなさんのおかげです』『ねるとん紅鯨団』などのテレビ番組に加えて、『情けねぇ』(1991年)やこの曲など、音楽のパワーも十分に加勢しました。

とんねるずだけでなく秋元康も、80年代後半は、まさに時代の寵児。1989年1月11日(平成になって4日目)発売の美空ひばり『川の流れのように』で、作詞界の頂点に仁王立ちするのですが、そんな秋元も、とんねるずとともに、90年代、そして平成を駆け抜けます。

さて、伝説化されやすい人と、されにくい人がいると思います。前者は、お笑いで言えば、ビートたけしやダウンタウン、作詞家で言えば松本隆。そして後者は、とんねるずであり、秋元康。

いまのところは、ビートたけしにならって石橋貴明の下積み時代を追った『成増キッド』が作られる予感もありませんし、松本隆にならって秋元康の大規模なトリビュート・コンサートが大々的に行われる予感もありません。

伝説化されない、つまりは軽んじられているようにも思うのですが、そういう現状に対して、私は少しだけモヤッとするのです。

なぜか。白状すると、それは、私が首ったけになった記憶があるからなのです――「1985年のとんねるずと秋元康」に。

1985年、テレビの申し子世代、まかりとおる。

――「キミたち、つかこうへい好きでしょう?」

『とんねるず大志 石橋貴明-木梨憲武』(ニッポン放送出版)によれば、とんねるずの2人が秋元康と出会ったとき、秋元からの最初の一言がこうだったといいます。

――それで、秋元さんに、何ですかそれって聞いちゃった。そしたら、秋元さん、ぽかんと口あけて、『へぇ、つかさんの本とか劇とか、読んだり見たりしたことってぜんぜんないんですか』って、半分あきれてた。(『とんねるず大志』)

この「段差」が良かったのではないかと思うのです。

とんねるずにとって秋元康は、学年にすると3つ上という小さな段差、でも、帝京高校の野球部とサッカー部、バリバリの体育会系だった石橋・木梨に対して、深夜ラジオのハガキ職人に始まり、放送作家として経験を積み、とんねるずと出会った頃にはバリバリの「ギョーカイ人」だった秋元という大きな段差。

昭和30年代の東京に生まれた、体育会系と文化系、それぞれの両極から出てきたとんねるずと秋元康ががっちり手を組んで、テレビ界、芸能界を土足で踏み荒らしていきます。

秋元康が作詞したとんねるずのシングル『一気』『青年の主張』はそれぞれオリコン19位、15位、そしてついに1985年9月発売『雨の西麻布』で5位と、ついにベストテン入りを果たします。

1985年4月からは、おニャン子クラブを擁したフジテレビ『夕やけニャンニャン』がスタート。秋元康は、『セーラー服を脱がさないで』に象徴されるキレッキレな歌詞を次々と書きまくって次々とヒットさせました。もちろん、この番組でいちばんキレッキレに暴れたのは、とんねるず。

さらに秋元康は同年、時代のポップアイコンだった小泉今日子に『なんてったってアイドル』という、アイドルがアイドルをパロディ化するという、さらにキレッキレな歌詞を提供、世間をあっと言わせました。

――「芸能界、売れなきゃボロクソ、売れりゃ大名だ。学生時代、ぜんぜんもてなかったおれたちが、街を歩けば『貴さんキャーッ』『憲さんこっち向いてェー』だもの。これ最高の気分よ」(『とんねるず大志』)

――確かに、僕もとんねるずも、何も恐いものがないくらい、順調だった。すべてのサクセスを手に入れてしまったような気にさえなってくる(秋元康『さらば、メルセデス』マガジンハウス)

「1985年のとんねるずと秋元康」、当時まだ20代の3人が、どれだけキレッキレで、乱暴で、そしてどれだけカッコよかったか!

今から考えれば、「テレビを作ってきた世代」に対する「テレビが生まれたときにすでにあった世代」、つまり「テレビの申し子世代」の反逆だったと思います。

「テレビの申し子世代」は、テレビというメディアの軽薄な本質が血中に刻み込まれていた。だから「テレビを作ってきた世代」を、発想と体力で一気に乗り越えることができた――これが「1985年のとんねるずと秋元康」の本質だったのでしょう。

思えば、当時の私にとってのとんねるずと秋元康は、まるで、ひと世代上にとっての矢沢永吉だったような気がします。血中に刻み込まれたロックンロールによって、理屈でロックを語る連中を土足で蹴散らして、キャロルからソロへ、「BIG」へと一気に成りあがった矢沢永吉――。

1985年、とんねるずと秋元康という、3匹の獰猛(どうもう)なガラガラヘビがテレビ界を席巻しました。テレビ界の先輩はこう思ったはずです――「テレビはもう、テレビの申し子の彼らに任しちまおう――だって蛇(じゃ)の道はヘビ、だから」。

  • スージー鈴木写真産経新聞社

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