人気アナが突然退社し「セカンドキャリア」を選ぶ納得の背景 | FRIDAYデジタル

人気アナが突然退社し「セカンドキャリア」を選ぶ納得の背景

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3月末で日本テレビを退社し、大学の研究員となる桝太一アナ(右)。これまで『ザ!鉄腕!DASH!!』をはじめ、様々な番組で海洋生物の知識を披露してきた(写真は『FRIDAY』2019年7月12日号より)
3月末で日本テレビを退社し、大学の研究員となる桝太一アナ(右)。これまで『ザ!鉄腕!DASH!!』をはじめ、様々な番組で海洋生物の知識を披露してきた(写真は『FRIDAY』2019年7月12日号より)

アナウンサーというのは、ひょっとしたら「一生懸命やればやるほど辞めたくなるという不思議な職業」なのかもしれない。昔、私がディレクターをしているとき、とあるベテランのアナウンサーにこんな話を聞いたことがあるのも、そう考えるようになったひとつの要因だ。

「アナウンサーは、自分を無くさなければならない面がある。だから、頑張ってアナウンサーに徹していると、自分が本当は何をしたいのかよく分からなくなる瞬間がある」

日本テレビの桝太一アナウンサーがアカデミズムの道に進むことを表明したり、テレビ朝日の大木優紀アナウンサーがベンチャーの旅行代理店に転職したりと、ここのところ「突然セカンドキャリアを選んだアナウンサーたち」がよく話題になっている。

このように突然「まったくアナウンサーとは関係ないと思われるセカンドキャリアを選ぶアナウンサー」は、実は昔から結構たくさんいる。

すぐに思い浮かぶ私の後輩の名前をあげるだけでも、フラワーショップに転職し、フラワーアーティストになった前田有紀さんや、政治の世界だと国政では丸川珠代元東京五輪担当大臣、東京都議会にも、ダウン症のある息子さんをもつ母として頑張る龍円愛梨さんや、都議会自民党一の論客として知られる川松真一朗さんなど、枚挙にいとまがない。

一般的に見て、放送局のアナウンサーは華やかで特別感のある、いわゆる「花形職業」といったイメージが強いと思う。だから、「いったいなぜ人気も実力もあるのに、突然アナウンサーを辞めてしまうのだろう。もったいない」と、セカンドキャリアを選んだアナウンサーたちを不思議に思う人もいるだろう。

しかし、放送業界で彼らの同僚として働いてきた私には、なんとなくその気持ちが分かる。その転身の背景には、冒頭にも述べた「アナウンサーは一生懸命やればやるほど、辞めたくなる不思議な職業」というのが大きく関わっているのではないかと思う。

“自分”を出すことが求められない「アナウンサー」という職業

そもそも、アナウンサーとはどういう人なのか。「アナウンサー」という職業の定義は若干曖昧である気がする。広辞苑によると、アナウンサーは「ラジオやテレビでニュースを読んだり、司会・実況放送などをしたりする人。」である。

まあ、だいたいこういう事で間違いはないのだろうが、「司会」については「タレント」と呼ばれる多くの人もすることが多いし、「キャスター」と呼ばれる人がニュースを読むこともあるから、「ニュースを読む人、司会・実況放送をする人すべてがアナウンサーである」ということではない。

では、タレントやキャスターとアナウンサーはどう違うのだろう。私は「自分という存在をどれだけ番組で出すことが許されているか」の度合いによるところが大きいと思う。

一般的にタレントやキャスターは、その知名度や個性を買われて起用された「芸能人」である。だから、放送局側も「存分に意見を言ってもらい、その人の個性を発揮することで番組を盛り上げてもらいたい」と思っている。ニュース番組であっても私見を堂々と述べ、司会をする番組は「その人のショー」であると言ってもいい。

しかし、アナウンサーは違う。局アナであろうと、フリーアナであろうと、原則アナウンサーは「裏方」であることを求められていると思う。

「語りのプロ」に徹することを求められ、ディレクターやプロデューサーなど演出側の意図を最大限実現するために、スタッフとして動くことを要求されている。

ニュースを読むのであれば、正確かつ伝わりやすくニュースを読むことに徹しなければならないし、私見を挟むことは原則許されない。その他の番組でも、他の出演者を引き立てるために行動することが要求される。「引き立て役」という範囲を超えて、自分を出すことは許されない。

だから、冒頭に紹介したベテランアナの言葉のように「自分を無くさなければならない」職業だと言えるし、「アナウンサーに徹していると自分が分からなくなる」ということも往々にして起こりうる。「一生懸命アナウンサーをしていると辞めたくなる」ということになるのは不思議ではないのだ。

変わりゆく、アナウンサーの在り方

もちろん、一生懸命アナウンサーをしていても、辞めたくならない人も一部存在する。例えば、スポーツ実況の名人と言われるスポーツアナのように、あたかも噺家のような「話芸の達人」になるべく高みを目指す職人肌の人たちは、一生アナウンサーを嬉々として続けることができるだろう。

しかし、そういう指向性でないアナウンサーたちは、「まったく畑の違うセカンドキャリア」に転職しないまでも、往々にして放送局内で別の職種に転進していく場合も多いのだ。例えば、「自分が興味を持つ分野の取材をしたい」ということで、ニュース番組のアナウンサーから報道記者へと転進するケースはとても多い。

また、スポーツやドキュメンタリーなどのディレクターになって、画面の裏側に回り、演出家として才能を発揮する例もよくある。卓越したコミュニケーション能力を生かし、営業や広報、そして管理セクションでビジネスマンとして活躍する人物も多い。彼らもある意味「アナウンサーであることを辞め、セカンドキャリアを選んだアナウンサーたち」であると言える。

さらに言えば、「人気アナが局をやめてフリーになる」のも、「アナウンサーを辞め、セカンドキャリアに進む」ことのひとつと考えても良いのではないかと思う。

彼らは、自らの実力と人気を背景に「自分を無くすこと」をやめ、「芸能人として自分を最大限発揮しながら、司会やニュース読みを続けること」を自発的に選択し、「有名タレント」としての地位を得るのだ。それは知名度や人気のないアナウンサーのフリー転身とは明らかに異なる。

そういう意味では、我々が思い浮かべがちな「人気アナウンサーがギャラなどの高待遇を得るために局を辞めてフリーになる」という図式には、間違っている側面もあると思う。もちろん人気アナが局を辞める理由のひとつに「高待遇」はあるのだろうが、むしろ彼らは「アナウンサーであることを辞め、タレントとして自分を出して自由に生きていきたかった人たちである」と見る方が正しいのではないだろうか。

そういう視点で見ると、桝太一アナが番組MCを古巣日本テレビで続けながらも、アカデミズムに進むという決断をしたことは非常に納得がいく。これからはやりたいことを極め、言いたいことを言っていくという決意の表明なのだ。

よく考えてみれば、「自分を消さなければならない」アナウンサーの在り方自体がもはや時代に合わなくなってきているのだろう。「一生懸命やればやるほど辞めたくなる職業」など時代に合うはずがないのだ。

その証拠に、バラエティ番組でもテレビ朝日の弘中綾香アナウンサーのように「自分を出すアナウンサー」が人気を博すようになってきているし、ニュース番組でも「物申すアナウンサー」が次第に受け入れられるようになってきている。

人気と実力のあるアナウンサーの中から、セカンドキャリアを選択して辞めていく者が増え、残るアナウンサーたちも「これまでのアナウンサー像」を打ち壊していく。

変革が迫られる日本のテレビ業界と軌を一にするように、「アナウンサーという不思議な職業の、日本独特の在り方」もまた、そろそろ大きくその姿を変えざるを得なくなってきているのだと思う。

  • 鎮目博道/テレビプロデューサー・ライター

    92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。近著に『アクセス、登録が劇的に増える!「動画制作」プロの仕掛け52』(日本実業出版社)

  • 撮影足立百合

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