「メダルなしでも彼は勝者」中国紙が羽生結弦を異例の称賛の背景 | FRIDAYデジタル

「メダルなしでも彼は勝者」中国紙が羽生結弦を異例の称賛の背景

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2月10日、フリーの演技終了後。神々しい表情が印象的だった(写真:日本雑誌協会)

男子フィギュアスケートで3大会連続の金メダルという94年ぶりの偉業を逃した羽生結弦が報道陣の前に姿を見せた約2時間後。開催国・中国でも中国代表の金博洋とともに「羽生結弦」の名前がサイト上に踊った。

中国の首都、北京で普及している新聞のひとつと数えられる『北京日報』は「虽无缘奖牌,但战胜自己的金博洋和羽生结弦都赢了!」(メダルには届かなかったが、自分に打ち勝った金博洋と羽生結弦はともに勝者だ!)という見出しで紹介している。

記事のトップの写真はもちろん金博洋だが、記事内には羽生の写真も2枚使われている。さらに、競技全体を振り返る記事とは別に、金博洋の言葉を次の用に紹介している。

「(羽生が4回転半を失敗したことについて)僕も悔しかった。本当に。でも、できると信じて挑戦を続ければ、羽生選手はいつか成功させると信じています」

「羽生選手の精神力は、不思議です。普通だったら、3回目の五輪には出場せずに、引退を考えると思う。五輪に参加し、27歳という年齢で4回転半の難易度に挑戦した。この精神力に学びたい」

こう語った金は24歳。圧倒的な強さで北京五輪金メダルに輝いた米国代表のネイサン・チェンは22歳。ソチ五輪が開催された2014年頃までは4回転のジャンプを2本入れれば世界王者になれるとされていたが、今は3本以上は必須とされる。難易度の高いジャンプを連続して跳び続けるには「若くて、細くて小柄なほうが有利」とされてきた。27歳での羽生の挑戦は、ライバルから見ても称賛に値するのだろう。

2003年に北京で創刊されたタブロイド紙『新京報』も金の言葉を追うように、「羽生結弦は美しかった! 彼の勇気はオリンピック精神を輝かせた」の見出しをつけ、その中で記事にこう書きこんだ。

「羽生は歴史に挑戦することを選んだ。ソチ五輪で浅田真央が3回転半に挑戦した時のようだった。人類が自己の限界に挑戦する時、浅田真央や羽生結弦のような存在が必要になる。彼らは、覚悟を決めて乾坤一擲の勝負に挑む。たとえ完璧な演技でなかったとしても、人の心を動かすのだ」

 

演技を終えて深々とおじぎする羽生結弦(写真:日本雑誌協会)

ここまで称賛されると怖いぐらいだが、2017年にフィンランドで行われた世界選手権の表彰式で、優勝した羽生は3位に入った金博洋が手にしていた国旗の裏表が逆だと気づいて手助けをしたり、中国選手に対して「加油!(頑張れ)」と声をかけていた。こうしたエピソードが中国人に好意的な印象を与えたことは想像に難くない。

対照的に、昨年7月に行われた東京五輪の卓球混合ダブルス決勝で水谷隼・伊藤美誠ペアが中国人ペアの許昕・劉詩雯を下し、日本の卓球競技で五輪史上初の金メダルを獲得した時は、試合中からSNS上で水谷・伊藤の日本人ペアを非難するようなコメントが並んだ。

その試合中に中国版のTwitterと言われる『微博(Weibo)』にあがった「水谷隼はボールを吹いたし、伊藤美誠はテーブルを触ったし、カードを出すべきでは?」といった投稿に1万を超えるリツイートがされた。「中国では『国技』ともいえる卓球で日本ペアに敗れることは屈辱的」という感情がSNS上でヒートアップしたのだろう。

卓球と違い、フィギュアスケートの場合、金博洋が羽生と実力差があることを差し引いても、今回の「羽生称賛」の報道はやはり異例だろう。

また政府系の『湖北日報』の傘下「極目新聞」評論員、屈旌氏はコラムにこう書き記した。

<羽生は「氷上で死す」との執念で夢に向って進み、殉教者のような悲壮感をも持ちながら、美しく繊細な見た目とともに大きなコントラストのある演技を生んだ。羽生の今回の挑戦は、世界中の人の心を動かした>

<羽生の精神はフィギュアスケートの新たな歴史を作り、人類は自己の限界を越えられるというアスリート精神を体現した。国境を越え、時空をも跨ぎ、この広い世界中に大きな反響を与えた>

<金メダルは優勝した者にしか与えられないが、賞賛と歓呼の声は自己の限界に挑戦したすべての者に与えられる。彼らの身に降り注いだ勇気ある光は、最高の栄誉である>

中国人の目にも「氷上で死す」覚悟が見えた羽生は演技終了後、自身の今後の進退を聞くような報道陣の質問に対し、「ちょっと考えたいです。それぐらい……それぐらい今回はやりきっています」と明言を避けた。

羽生が今後、どんな道を選んだとしても、その生き様が中国人に対しても好意的なイメージを刻み込んだことは間違いなさそうだ。

東日本大震災からちょうど1年後の2012年3月11日、荒川静香さんとともに地元・仙台のリンクで黙とうをささげる羽生結弦(写真:共同通信)
2012年12月、グランプリファイナルで初優勝を果たし、笑顔を見せた高橋大輔(右)と2位に入った羽生。2年後のソチ五輪で羽生は金メダル、高橋は6位に終わり、その年に引退を表明。ソチ五輪の高橋は今回の羽生と同じ27歳だった(写真:共同通信)
ソチ五輪で金メダルを獲得した直後の2014年4月、春の園遊会にて
ソチ五輪で羽生が獲得した金メダルをかけ、笑顔を見せる安倍首相(当時)。右は浅田真央(写真:共同通信)
2017年、オーサーコーチに師事していた頃。傍らにはラッキーチャームと言われるくまのプーさんがいつもそばにいた(写真:共同通信)
2018年平昌五輪で金メダルを獲得した直後
逆転での金メダル獲得をかけた10日、リンクに入場する直前(写真:日本雑誌協会)
転倒しても、転倒しても、なお挑み続けてきた(写真:日本雑誌協会)
フリーの演技が終わった直後。どんな思いが駆け巡ったのだろうか(写真:日本雑誌協会)
得点を待つ羽生。他の選手は傍らにコーチが座ったが、今回の五輪では羽生の隣には誰も座らなかった。支援は数多く受けていただろうが、王者にしかわかり得ない孤独との戦いもあった(写真:日本雑誌協会)
羽生は今後、どんな道を選ぶのだろうか(写真:日本雑誌協会)

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