住宅地の隣が「擬似戦場」に…沖縄・那覇でいま起きていること
~現地記者が見た不思議な「訓練」の深層
「No War(戦争反対)!」「No more Base(基地はもういらない)!」
鉄条網に守られた建物に向かって人々が叫んでいる。手にしたプラカードで鉄条網を叩くカンカンカンという金属音が響く。向き合うのは、ライフルで武装した米兵たちだ。
ここは、米軍の「那覇軍港(那覇港湾施設)」。沖縄の県庁所在地・那覇市内の中心地に位置する米軍基地だ。那覇空港や、プロ野球巨人が春季キャンプで使う球場、沖縄県庁も1km圏内という街の真ん中にある。
この市街地にある基地で、米海兵隊が2月8日~12日、「海外での人道支援や大使館警備、非戦闘員避難」の訓練をした。冒頭の光景はフェンスの外から見えたその「訓練」のようすだ。
異形の輸送機「オスプレイ」や輸送ヘリがたびたび離着陸する。暗視ゴーグルを着けた米兵が夜中も歩き回る。普段は船もあまり来ない遊休化した軍港に、突然戦場さながらの光景が出現した。
米軍関係者が演じた「抗議する市民」との対峙は、大使館警備の訓練だったようだ。フェンスの外側では沖縄の市民が、演技ではなく本当に「NO BASE」のプラカードを持って抗議していた。
「あのライフルは、いずれ私たちに向くのではないか」
この「訓練」を監視するため、5日連続でここを訪れた那覇市の下門龍三(しもじょう・たつみ)さんはこう言った。フェンス越しに、ゆらゆらと傾きながらすぐそばに着陸する大型輸送ヘリの爆音にさらされ、降りてきた米兵が脇に抱えるライフルをはっきり見た。
「こんな街中で、沖縄をなんだと思っているのか。怒りが湧いてくる」
沖縄県と地元那覇市は訓練に反対したが、米軍は聞く耳を持たなかった。玉城デニー知事は不快感をあらわにした。
「従来あり得ない基地の使い方を突然始めている」
「日本復帰50年、戦後77年たった沖縄で(米軍が)自由勝手に決めてしまえば(訓練が)行われてしまう。情報は全く伝わってこない」
この土地は日本政府から米軍へ「軍港」として提供されている。「訓練場」でも「飛行場」でもない。日米両政府が使用条件を決めた合意文書(通称5・15メモ)にも、主目的は「港湾施設および貯油所」と書かれている。
記者会見でこの点を問われた松野博一官房長官は
「港湾の使用が想定される訓練と考えられ、施設の主目的に沿ったもの」
と容認した。「非戦闘員(米国市民など)の避難」には港も使うはずだから構わない、という理屈だ。松野氏は「沖縄基地負担軽減担当大臣」を兼務している。が、この「街中で突如始まった訓練」という「負担」を座視した。
日本政府はずっとそうだった。沖縄の人権や暮らしを守るために米軍と向き合うのではなく、米軍の行動の自由を保証するために沖縄と対峙し、「せめて本土並みに扱ってほしい」というささやかな要求さえも封じてきた。「米軍と直接交渉できた日本復帰前の方がまだましだったのではないか」。そんな嘆きが漏れる、復帰50年目の沖縄である。
取材・文:阿部岳 1974年東京生まれ。沖縄タイムス編集委員。著書に『
- 取材・文:阿部岳
- 写真:沖縄タイムス社(1点目) ロイター/アフロ Keizo Mori/アフロ