『LOUDNESS』高崎晃が明かす「全米進出の裏側と仲間の死」 | FRIDAYデジタル

『LOUDNESS』高崎晃が明かす「全米進出の裏側と仲間の死」

「マディソン・スクエア・ガーデン」でプレイした日本人初のヘヴィメタルバンド 仲間の死、『X JAPAN』との関係、全米進出の裏側

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伝説的ヘヴィメタルバンド『LOUDNESS』のギタリスト兼リーダーの高崎晃(60)は‘81年のデビュー以降、40枚以上のアルバムを発表してきた。『B’z』や奥田民生(56)、『聖飢魔II』など日本のロック界を牽引する大物アーティストたちからリスペクトされるレジェンドだ。

その勢いはいまだ衰えず、昨年末に発表した結成40周年記念アルバム『SUNBURST〜我武者羅』はオリコンデイリーチャート1位を記録している。

記事前編では高崎に『LOUDNESS』結成以前、結成直後の秘蔵エピソードを語ってもらったが、後編では海外進出の舞台裏、今は亡きメンバーたちへの思いを語ってもらった。

『LOUDNESS』は結成当初から世界進出を視野に入れていた。’83年にはサンフランシスコとロサンゼルスでライブを行っている。

「メンバー4人と当時のマネージャーの5人でアメリカに乗り込んでいったら、なぜかライブ会場が満員になっていた。観客の中には『ガンズ・アンド・ローゼス』のスラッシュ(56)やイングヴェイ・マルムスティーン(58)ら名だたるギタリストたちがいたらしい。後から知ったんだけど、僕らのデビュー当時の楽曲が現地のラジオでかかってアメリカの音楽業界内で話題になっていたそうです。『日本人のヘヴィメタルバンドがいるぞ』と」

米国進出時の秘蔵写真。左から3番目が高崎。ライブは毎回超満員で女性ファンの出待ちも多かったという
米国進出時の秘蔵写真。左から3番目が高崎。ライブは毎回超満員で女性ファンの出待ちも多かったという

高崎は、グラミー賞を8度受賞した世界的人気のバンド『メタリカ』から加入を打診されたこともあるという。

「彼らからカセットテープと手紙を貰いました。でも、当時の『メタリカ』はまだアンダーグラウンドなバンドで全然知らなかったし、僕は日本人のバンドとして世界と戦いたかったので丁重にお断りしましたね」

バンドは’85年に米国大手レコード会社アトランティックと契約。全米デビューアルバム『THUNDER IN THE EAST』はビルボードチャートにランクインした。さらに同年、音楽の殿堂「マディソン・スクエア・ガーデン」のステージに立ち、日本人として初めてプレイしている。

「あれは『モトリー・クルー』とツアーを回っていたときのことですね。彼らもマディソン・スクエア・ガーデンの出演は初めてだったのでナーバスになっててね。楽屋でモトリーのメンバーと僕の衣装が被っていることが発覚し、マネージャーを通して『服を変えてくれ』と注意された。

ムカついたので、ステージでは普段よりも長く激しいギター・ソロをプレイしてやりましたよ。それがなぜか大ウケした。会場の後ろのほうまで観客が総立ちになって怒号のような声援が鳴り響いてましたね」

米国でのライブ写真。本場の人々を熱狂させた
米国でのライブ写真。本場の人々を熱狂させた

2億4000万枚以上のアルバムを売ったモンスターバンド『AC/DC』や、『シンデレラ』『ポイズン』と全米ツアーを行った経験もある。

「『シンデレラ』や『ポイズン』とは年齢が近いせいもあり、毎晩のように酒を飲みまくりましたね。オーディエンスは女の子ばかり。彼女たちをはべらせてツアーバスで移動していました。クレイジーな日々でしたよ(笑)

『AC/DC』のメンバーと飲んだ記憶はないです。彼らはけっこう真面目なバンドだったので。ただ、ボーカルだけは毎晩ベロベロに酔っていた。ステージ中のドリンクも全部『ジン』だったし」

現地ファンの出待ちも多かったという
現地ファンの出待ちも多かったという

最強バンドに最大の危機が訪れたのは’08年のこと。バンド結成前から寝食を共にしたドラマーの樋口宗孝(享年49)が肝臓がんで他界。大きな痛手となった。

「僕よりも2歳年上の兄貴的な存在でした。東京に来てからは一緒に生活していた時期もありますし。音楽的にはいい意味でライバルでもあった。互いに切磋琢磨することで、バンドは成長することが出来た。樋口さんは80年代にも肝臓を痛めていたんです。当時からお酒を控えていれば、こういう結果にならなかったかもしれない。でも、彼はロックな生き方を貫いたんです」

本誌未掲載カット
本誌未掲載カット

『X』(後の『X JAPAN』)のベーシストだった沢田泰司(享年45・『X』時の活動名はTAIJI)がバンドに参加していた時期もある。だが、彼も’11年、サイパンで非業の死を遂げている。泰司は高崎にとっては弟のような存在だった。

「泰司とはじめて会ったのは『X』の1stアルバム『BLUE BLOOD』のレコーディング中でした。スタジオに遊びに行ったら意気投合して、そのまま六本木のディスコ『レキシントン・クイーン』に行って飲みましたよ。自分の家に招いたこともありました。実は泰司とは、彼が亡くなる前日にも会っているんです。

スタジオでレコーディングしていたら、フラッと現れて。泰司は柄にもなくスーツを着ててね。ヘンだなぁと思いつつ、『日本に戻って来たら、また飲みにでも行こうや』みたいな話をして別れたんですが、結局、戻って来なかった。アイツもロックでしたよ」

仲間の死、そして6度のメンバーチェンジを乗り越え、40年にわたって第一線を走り続けてきた『LOUDNESS』。行き先に迷ったり、歩みを止めたことは一度もない。

「次から次へと新しいバンドを作ったりするミュージシャンもいるけど、自分はひとつのバンドにこだわりたかった。ある意味、不器用なのかもしれない。でも、それが自分の生き方なんです」

コロナ禍であるにもかかわらず、海外からのライブ出演依頼は絶えない。5月からは国内を巡るツアーも予定されている。還暦を越えてなお高崎晃は疾走し続ける。

本誌未掲載カット
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還暦を過ぎてなお現役だ
還暦を過ぎてなお現役だ
  • 写真濱﨑慎治、カタナミュージック提供取材・文尾谷幸憲

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