ウクライナ強襲 プーチン大統領「貧しかった悪童時代」写真
ロシア軍がウクライナを強襲したのは、2月24日早朝のことだ。
ウクライナ国防省によると、朝6時にロシア側が巡航ミサイル約1600発などで空港や軍事施設への空爆を開始したという。首都キエフや第二の都市ハリコフ、南部の湾口都市オデッサなど、少なくとも25の街で爆発を確認。ウクライナ軍の兵士40人以上、民間人137人が犠牲になったとされる(いずれも2月25日現在)。
ほぼ同時刻にロシアのプーチン大統領(69)は、緊急演説を行う。「レッドライン(超えてはならない一線)があると繰り返し言ってきた。彼らは、それを超えた」とし、軍事作戦の実施宣言の理由を次のように説明している。
「ウクライナ側が親ロシア派の地域を攻撃している。ロシアに望みを託す何百万の人々が、集団殺害される悪夢を止めなければならない(ウクライナ政府はプーチン大統領の主張は『虚偽』と否定している)」
プーチン大統領は「ウクライナ領土の占領はない」と話しているが、信じられるはずもない。チェルノブイリ原発を占拠するなど戦線は一気に拡大。米国や北大西洋条約機構(NATO)との、全面衝突も危惧される。ロシア情勢に詳しい、筑波大学の中村逸郎教授が警鐘を鳴らす。
「ロシアは、核兵器の使用も示唆しています。第二次世界大戦を超える、人類史上最悪の戦争になる危険性がある」
核兵器の使用も示唆
プーチン大統領が強硬な姿勢を見せるのは、NATOに近づくウクライナは「ロシアと同じ民族だ」と考えているからだ。18世紀に女帝エカテリーナ2世がウクライナを併合し、ロシアは「帝国」としての地位を築いたとされる。プーチン大統領は、7月に発表した論文でこう記している。
〈ウクライナは、国家として安定した伝統がない。ウクライナの真の主権は、ロシアとの同盟によってのみ実現できる〉
プーチン大統領の強硬かつ慎重な姿勢は、若い時から培われたものだ。『FRIDAYデジタル』は20年5月に、14歳の時のプーチン大統領の写真を入手(関連画像1枚目)。知られざる、過去にも触れている。
「プーチン大統領は、旧ソ連西部のレニングラード(現・サンクトペテルブルグ)で生まれました。父親は機械技師、母親は工場で働き、かなり貧しい家庭だったようです。少年時代は毎日ケンカばかりし『悪童』と呼ばれ、かなりヤンチャだったとか。親戚に勧められ、柔道を習うようになり徐々に更生したそうです。
猛勉強で、名門レニングラード大学法学部に入学。卒業後は、ソ連の諜報機関である『KGB』で働いていました。しかも勤務地は、東西冷戦下で激しい情報戦が行われた東ドイツのドレスデンです。そのためプーチン氏は、現在でも最新の情報獲得に力を入れている」(ロシアに駐在経験のある全国紙記者)
今回のウクライナ侵攻も各国の情勢を深く分析し、決断にいたったとされるプーチン大統領。今後の動きに、世界中が注視している。
- 写真:ロイター/アフロ AFP/アフロ