「戦争は、無駄」ピアニスト・フジコがベルリンで語った反戦の思い
奇蹟のピアニスト、フジコ・ヘミング89歳「ウクライナのために演奏したい」
「ロシアが攻撃をしてる。戦争が、始まったわよ」
2月24日の朝、ベルリン郊外の自宅で、ピアニストのフジコ・ヘミングさんはこう言った。そしてしばらく、テレビの画面から目を離さなかった。そこには、侵攻する戦車や、兵士の姿が映し出されていた。この日、ドイツのテレビはずっと、戦争のニュースを流していた。今から1週間前のことだ。
「戦争は…無駄なのよ。なんでこんなことを起こすのかしらね。
プーチンはクリスチャンだなんて言って十字を切ってるけど、とんでもない。ウクライナの人がかわいそう。戦争はほんとうにやめてほしい」
欧州各地での公演のため、フジコさんは、2月中旬からベルリンに滞在、プラハ、ブラティスラバ、ウイーン、ブタペスト、そしてパリと回る。
「今回は行かないけれど、ウクライナでも、何度も公演をしてるのよ。キエフには素晴らしいホールや音楽があるの。きれいなのよ、キエフは。キエフ国立フィルハーモニーを東京に招いてコンサートをしたこともある。美しい大好きな街。これからどうなるのか、心配よ。ほんとうになんでこんなことに…」
テレビは朝からずっと、CMも入れずニュースだけを流し続けている。現地の様子、欧州各国やアメリカ政府のようす、日本の岸田首相も、一瞬だけ画面にあらわれた。爆撃の黒い煙が上がる。21世紀の世界で、こんなふうに「戦争が始まった」のだ。
「数年前、ウクライナとロシアの国境に行ったことがあるの。その辺りの家はみんな空き家で、なかを見ると焼けているの。3、4年前かしら。私が歩いていくと、猫と犬が何匹もやってきた。持っていた餌をやったわ。こんなちっちゃい子猫もいた」
戦争は、人々に大きな被害を与えるのはもちろん、より小さいもの、弱いものを犠牲にする、それが悲しくてならない、と言う。
日本にも、酷い戦争があった
89歳のフジコさんは、東京で戦争を経験している。
「『てーんにかわって ふーぎをうつ~』なんてね、よく意味もわからず歌っていた。天に代わって不義を撃つ、よ。不義っていうのは敵国の人のこと。日本も戦時中、酷いことがあったの。馬鹿よね、そんな歌を子どもの私は歌っていたのよ」
日本でいちばん人気のあるピアニスト、フジコさんはしかし、「日本人」ではない。
「大阪出身の母がドイツに音楽留学して、ベルリンで父と結婚して私が生まれたの。父はスウェーデン人の建築家。
幼いころ日本に帰った。空襲のときは防空壕に入ってね、体がガタガタ震えた感じを今も覚えている。そして思ったの。『ああ、私はまだこの世の美しいものをなにも見ていないのに、こんなふうに死ぬのかしら』って。
芸大を出てヨーロッパに留学しようというとき、自分が無国籍だとわかったの。『難民』という扱いでドイツに留学して、スウェーデンが受け入れてくれたの」
だから、フジコさんのパスポートは、今もスウェーデンのものなのだ。今、日本でもウクライナからの難民を受け入れる動きがある。
欧州は、地続きだから
「ベルリン、パリ、ウイーン…ヨーロッパのいろんな街に住んで、音楽を学んで、演奏をしてきました。ロシアにもウクライナにも友人がいる。その人たちが今、無事でいるか…」
ヨーロッパは地続きだから、フジコさんは列車で移動する。ここでは、人々は軽々と国境を越えているように見える。人も音楽も国境を超えて混ざり合っているのだ。今回の欧州ツアーのパートナー、指揮者のマリオ・コシックさんは、スロバキア出身。
「スロバキアは、ウクライナの隣の国です。今、ヨーロッパ中が、ウクライナのことを心配し、心を寄せています。3月1日、首都ブラティスラバのオペラ座で公演がありました。その演奏前に『ウクライナ国歌』の合唱があったんです。客席も総立ちでした。
ベルリンやプラハでも、大きなデモがありました。これだけ大勢の人が集まって、ウクライナとともにいることを伝える。そのことは、ウクライナの人の心にきっと届くと思う」(マリオさん)
そしてフジコさんは、こうも言う。
「だれも、戦争なんてしたくないはず。ロシア人だって、そうでしょ。これは、ロシアの戦争じゃなく、プーチンの戦争なのよ。
戦争なんかに命をかけるのは間違っている。人は、神様からもらった命をきちんと生き切らなければいけないの。戦争が、早く終わることを祈っています」
3月末まで欧州を回り、4月からは国内ツアーが始まる。帰国したらウクライナのためのコンサートを開くというフジコさん。日本のあの戦争を経験した彼女の「戦争は無駄」という言葉が胸に迫る。
*5月11日の東京フィルとのコンサート(東京文化会館)を「ウクライナ支援チャリティー」として開催。問い合わせ:03-3544-4577(コンサート・ドアーズ)