「脳でも汗をかく野球」を追求する明八・椙原の原点 | FRIDAYデジタル

「脳でも汗をかく野球」を追求する明八・椙原の原点

明八野球部物語③

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〈憧れの地にあと一歩届かない。都内でも指折りの進学校ゆえ、制約された環境ながら、それでも本気で甲子園を狙う男がいる。明大中野八王子野球部監督・椙原貴文。彼の葛藤と苦悩、生徒たちの心身の成長を追った、密着180日のドキュメント〉

椙原の指導にさらに熱が入る

8月も終わりに近づいた、ある日、芽が萌え出た。

「明八(めいはち)」の愛称で親しまれる明大中野八王子高校野球部監督の椙原貴文に連日、厳しい指導を受け、選手たちは変わろうとしていた。特にキャプテンの保坂修也ら2年生は悩み、苦しみながらも答えを探し続けた。そして、一歩、前に踏み出した。

「1年生が動かないのは2年生のせい」

椙原の目に2年生たちの変化が留まった。道具の片づけ、トイレ掃除といった人が嫌がることを率先してやるようになってきたのだ。練習中の姿も変わってきた。仲間のプレーに対して自分の意見を口にする選手が出始めた。

「自分からチームのために何かをしようというのが出てきた。この時期、いつも生徒たちに言うのは『1年生が動かないのは2年生のせい。だから2年生がやらないといけない』ということ。1年生には『自分のことだけでいいよ。でも、来年1年生が入ってきたら頼むな』と。この時、初めて2年生を褒めました。それと同時に、やっぱりこのチームは、2年生のチームだなと思いました」

昨夏の大会のレギュラーはすべて3年生で、2年生のベンチ入りはわずか4人。昨秋の大会のスターティングメンバ―も多いときは7人、1年生が占めた。しかし、椙原はこのチームの命運は2年生が握っていると言い切る。

「2年生は真面目ですけどおとなしくて自己肯定感がない。1年生は逆に、俺が、俺がというタイプが多い。うまく噛み合うとお互いの良さを引き出すようになる。秋は1年生のほうが多く試合に出て、2年生は葛藤もあったと思います。でもチームの勝ち負けは2年生にかかっている。彼らが個性を出してきたら、必ず化学反応が起こるんです」

指導する者は、その瞬間を見過ごしてはならない。態度や表情はもちろん、会話中に使う言葉にすら椙原は絶えず注意を払う。些細な違いも感じ取らなくてはならない。見落としは、選手たちが成長する、変わるきっかけを逸すること。彼らの高校野球生活は大きく違ってしまうのだ。

「今年は弱い」と決めつけていた

まだほんの少し。だが、これが始まり。この先、必ず成長に繋がる。目に見える形でも現れるはず。2年生の内面からの変化が、椙原は嬉しかった。

室内トレーニングの風景

ただし、生徒たちの意識改革を最優先にしたこともあり、チーム作りは遅れていた。当然、コロナ禍の影響も大きかった。感染防止対策は学校によって異なるが、明八は一貫して生徒の安全を第一に考え、厳しい制限を設けている。毎年恒例の夏合宿、遠征は中止。心身を追い込む練習ができなかっただけでなく、一緒に寝食を共にして監督と選手が距離を縮める貴重な機会を失った。夏休み中の練習も午前中のみで、オープン戦も例年のようには組むことができずに懸案の実戦経験不足も十分には補えなかった。

限られた時間の中、投手力も含む守備の向上を軸に、椙原が目指す相手の隙を突いて先の塁を奪う走塁を磨いたが、オープン戦では打てずに得点できない試合が続いた。新チーム初の公式戦となる秋季東京大会前、8月28日の国士舘とのゲームも完封負け。同大会ブロック予選の初戦は9月11日。態勢を整えるには、何もかもが足りていなかった。しかも、その間には秋季大会のエース候補の1人だった羽田康太郎をはじめ、怪我人も多く出てしまった。それでも椙原は前を向いていた。

「8月終わりに大会登録メンバーを決める際、内野の布陣を誰にするかも決められなかった。でも、思ったんです。ある意味チャンス。これまでだったら出せない子を今なら出せる。新しい発見があるかもしれない。おもしろいじゃないか、こっちが悲観してどうするんだ、と」

振り返れば新チーム初のオープン戦となった8月6日の創価高校との試合もそうだった。前年のチームより戦力は落ちる。苦戦は覚悟していた。1対5の敗戦。試合に初めて出る生徒も多く、ストレスもたまった。だが、

「選手たちは『何かしよう』『何かしよう』と必死にプレーしていた。物怖じすることもなく、エネルギーを感じた。伸びたら楽しみだなと思ったし、なにより私が『今年は弱い』と決めつけていることを反省したんです」

 強豪・東海大菅生との因縁

試合後、選手たちには「先輩たちより力の差があるのを認めて頑張ることができれば面白いチームになるよ」と伝えていた。

だからこそ、この1ヵ月の歩みの遅さが歯がゆくも感じただろうが、顔を上げなければ戦えない。今できる最善の策を頭で巡らせる。打てない以上、ロースコアでの勝利を頭に描いて、会場である第12ブロック当番校の東海大菅生高校に足を運んだ。

東海大菅生は椙原が3年生の夏、甲子園の切符をかけて西東京大会決勝戦で戦い、敗れた相手。明八は例年、ブロック当番校を担っているため、ブロック予選を他校で戦うことがない。しかし、昨秋はコロナ禍の影響で当番校を辞退していた。他校での公式戦は、椙原が監督になって初めてのこと。その場所が因縁の東海大菅生。ここからスタートして、最後は甲子園にたどり着く―――。

駐車場から同野球場に向かう上り坂のかたわらには、年度ごとに部員の名前が刻まれた碑が並んでいる。椙原は生徒たちを率いながら、自分と同学年のものを見つけて、その中にある、「磯貝直人」の4文字を確認した。あの夏、投げ合った東海大菅生のエースである。

“エースで4番”だった椙原の原点

明大中野八王子は1984年創立で、野球部も同じ年に創部された。野球の名門である明治大学の付属高校だが、当初から野球に力を入れてきたわけではなかった。だが、部の立ち上げから携わってきた、現顧問でもある石田高志前監督の並々ならぬ熱意で選手を鍛え上げ、2000年の夏には初めて西東京大会の決勝に駒を進めている。しかし、その4年前に初めて甲子園を経験していた東海大菅生を相手に3対5と惜敗。椙原は、そのときのエースで4番だった。

「そのころはシードになっても警戒されないような学校でした。2年生の夏は開幕戦で負けて、どこよりも早く姿を消しました。同期は6人しかいなくて、1つ下の学年には中学時代、卓球部だったのが3人。最後の3年生の夏の試合はすべて同じ9人しか出ていない、『9人野球』でした。それくらい選手層が薄かった。でも、勝ち上がりながら力がついている手応えはありました」

準々決勝で当たった桜美林高校のエースはその後、ロッテでも活躍した荻野忠寛で、「こんなピッチャー打てない」と思ったが1度きりのチャンスをものにして2対0で辛勝。その先は相手云々でなく、必死にやるだけだった。

「東海大菅生さんの力は数段上でしたが、決勝は運もある。仮に練習試合で0対20の力の差があったとしても、その差はグッと縮まる。決勝はそういう舞台だと思いました」

初めて実現した全校応援に奮い立ったが、絶対的エースとして投げ続けてきた椙原は初戦から痛み止めを打って左腕を振っていた。決勝当日は、すでに限界に達していた。前半で5点を奪われる。それでもチームは粘って追い上げを見せ、椙原も5回以降は点を与えずに投げ抜いた。届かなかったが、最後まで勝利に、甲子園に向かって手を伸ばした。

「相手が胴上げする姿を見て、挫折感しかなかったですね。自分には『石田先生を胴上げできなかった』。それしか残りませんでした。プロを目指して明大でも野球を続け、一場靖弘(のちに楽天)ら甲子園に出ているやつらばかりの同期たちにも『おまえらに負けない』と対抗心を燃やしてやりましたが、正直、体はついていきませんでしたね」

「隙のない走塁」という椙原野球の根幹

明治大1年の秋口には教員になる道を描き始めた。ただし、選手として果たせなかった甲子園を、今度は監督になって目指そうという考えからではなかった。

「石田先生を胴上げするために戻ろうと思いました。監督になろうという気持ちはまったくありませんでした。ただ、あの決勝で果たせなかった胴上げをしたい。そこだけでした」

 明大卒業後、1年間は引っ越し屋のアルバイトをしながら母校の野球部を手伝うという生活を経て、非常勤講師となりコーチにも就任。2年後、社会科教諭になり、石田監督(当時)の側でチーム強化に尽力した。石田監督の学校業務が多忙を極めたこともあり、16年秋の新チームからバトンは椙原に託された。

石田部長と椙原監督

初陣はブロック予選を勝ち抜いた後の東京都本大会の1回戦で八王子学園八王子高校に苦杯を喫した。奇しくも八王子には翌春、夏の大会でも敗れることになる。特に夏は椙原が「なにもできずに負けた」という完敗で、セカンドが3塁ランナーから目を逸らした隙を突かれてホーム生還を許すなど、1対10(7回コールド)のスコア以上に椙原にダメージを残した。と同時に、椙原が「隙のない走塁」を本気で追求するきっかけとなる試合でもあった。

「ノーヒットで点を取れるように、というのが私の野球の根幹です。良いピッチャーはやっぱり打てません。一方で良いバッターでも7割、8割は打てない。トーナメントで勝つ確率を上げるにはどうすればいいか。得点率が高い一死3塁を1試合何回作れるかだと考えています。ただ、先頭打者が出塁してもバント2つでは点は入らない。単打でも3本、4本は続かない。長打もそうそう出るものじゃない。だから相手のミスや隙を見逃さずに1つ先の塁を奪う走塁が欠かせないんです。その意識付けを徹底しています」 

身体はもちろん、脳でも汗をかく

走塁練習では生徒同士がとことん話し合う

さらに明八の走塁で特徴的なのは、ほとんどの場合でランナーが自ら判断を下すところだ。ほんの一例を挙げれば、ランナーが1塁にいて、ライト前ヒットが飛んだケース。打球は1塁ランナーの走る方向とは逆に飛んで視界から外れるため、3塁を狙うか、自重するかの判断を3塁コーチャーに委ねることが一般的だ。しかし、明八では走りながら打球位置を振り返り、みずからの目で確認、瞬時に選択する。

仮にライトがジャッグル、ファンブルする前にコーチャーがストップの指示を出していたら、ランナーは大きく減速していて再加速に時間がかかって3塁を陥れることが難しくなる。それを自分で判断することで、そのロスをなくす。振り返るタイミングや一瞬での状況判断など、非常に高度な走塁技術だ。生徒たちは椙原が様々なシチュエーションごとの動きをまとめた「教則本」を頭に記憶させ、練習で日常的に繰り返し、身体だけでなく脳でも汗をかきながら明八の武器を研ぎ澄ませていく。

その明八らしさは、秋の大会でも随所に発揮された。

(第4回へ続く)

  • 取材協力鷲崎文彦

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