甲子園目指す進学校が実践する「大人と子供が対等に話す方法」 | FRIDAYデジタル

甲子園目指す進学校が実践する「大人と子供が対等に話す方法」

明八野球部物語④

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〈憧れの地にあと一歩届かない。都内でも指折りの進学校ゆえ、制約された環境ながら、それでも本気で甲子園を狙う男がいる。明大中野八王子野球部監督・椙原貴文。彼の葛藤と苦悩、生徒たちの心身の成長を追った、密着180日のドキュメント〉

椙原は選手が来る前にグラウンド整備を済ませる
椙原は選手が来る前にグラウンド整備を済ませる

第94回選抜高校野球大会の出場を懸けた秋季東京都高校野球大会に臨んだ、明大中野八王子高校野球部と椙原貴文監督。態勢が整ったとは言えない中での初陣となったが、期間中も椙原が生徒たちの手綱を緩めることはなく、大きな変化を見せる選手が出てくるなど、成長しながらチームは勝ち進んで行った。

椙原の思いが伝わりはじめた

初戦となったブロック予選1回戦の杉並高校戦から、椙原が掲げる、先の塁を果敢に狙う走塁が存分に発揮された。

立ち上がりは選手たちに硬さが見られ、2回表にミスから1点の先制を許したが、3回裏の攻撃で積極的に仕掛けていく。先頭の1年生・進藤正太郎がデッドボールで出塁すると、次打者の西川幸四朗の打席でランエンドヒット。セカンドフライで1塁に戻るが、続く四方悠介の3球目に進藤が盗塁のスタートを切る。

結果はアウトで二死走者なしになるが、四方はショートのエラーで塁に出ると、2球目に盗塁を成功させる。動くことで自分たちのリズムを取り戻していく。すると大嶋遼が同点タイムリー。後続も続いて、この回、3点を取り逆転する。4回裏には篠﨑惠友が四球で出ると一死から盗塁を決め、西川が歩いた後の四方のライトフライでタッチアップして二死1、3塁。大嶋がカウント2ストライクと追い込まれると西川がスタートを切って挟まれる間に篠﨑が絶妙のタイミングで駆け出して生還。指揮官が標榜する“ノーヒットで1点”を形にした。

その後も盗塁を絡めて得点を重ねていったが、それ以上に相手の隙を見逃すまいと、ボールがピッチャーに戻るまでプレーに絡む相手野手の動きを窺い続ける姿勢こそ明八らしさなのだろう。

中学時代は自分のことばかりだった1年生の急成長

杉並戦を9対4と快勝し、続く北豊島工業高校にもコールド勝ちして臨んだ本大会1回戦の東洋高校戦では、象徴的な得点シーンが生まれた。5対0から2点を返され、次の1点は自分たちがどうしてもほしい展開となった8回表の攻撃。一死で2塁に大嶋を置いて渡辺晴登がレフト正面へのヒット。

2塁ランナーはホームに還ってこられる当たりではなかったが、大嶋が捕球するタイミングに合わせてレフトに顔を向けてプレーを目視で確認。ボールが手につかない姿を見て、躊躇することなく3塁を蹴って6点目を生み出したのだ。

椙原の指導を受ける進藤
椙原の指導を受ける進藤

次の2回戦の豊南戦でも四方が二遊間を抜けていくセンター前ヒットで2塁を陥れる好走塁もあった。心配していた打撃面も、1試合ごとにバットが振れていき、東洋戦も豊南戦も16安打と活発だった。それは椙原の想定を超えるものだった。

なかでもバッティングフォームが固まった本大会以降の保坂、出場した全試合で2本以上のヒットを放った4番の四方が打線をけん引した。1年生では2番サードで全試合フル出場した進藤が守備も含めて躍動した。椙原もその変化に目を細める。

「進藤も中学のときはいろいろと元気いっぱいだったのですが、9月の頭あたりから1年生の中で1番最初にグラウンドに出てくるようになり、朝練でも意欲的にバットを振っていた。その積み重ねが出たところもあるでしょうし、仲間を『肩、大丈夫か?』と気遣うようになったり、人間的な成長も感じました。秋の大会期間中で1番、変わったのは進藤だと思います」

試合前の明八ナイン
試合前の明八ナイン

進藤は第4シードの都立狛江高校との3回戦でも3安打を放った。しかし、1点リードの8回裏に思いがけないエラーから同点に追いつかれ、9回表に2点を勝ち越すも、その裏、再び追いつかれて延長戦に。最後も強風があったとはいえ捕れるフライを捕ることができずに10回サヨナラ負け。ミスが出た後の立て直しができなかった。勝っていれば21世紀枠推薦校は明八だった公算が極めて大きかったが、ベスト16で今チーム最初の公式大会を終えた。

「21世紀枠推薦校」まであと一歩

「経験不足が大事なところで出てしまいました。負けたときは頭が真っ白になりました。はっきり言って、顔を上げて帰れない、屈辱的な負け方でした。昨年の春、夏と繋げてきたベスト8までは持っていきたかった。それによって『俺たちもできる』と思ってほしかった。『21世紀枠推薦校』という肩書を手にしたら自信になったかもしれない。

私自身、焦ってチーム作りを失敗してしまった。体裁を整えて上っ面だけ固めてしまった。それだといい状態のときはいいんですけど、悪くなったときはすぐに化けの皮が剥がれる。可能性を見極められずにベンチから外して、大会後に悔いた選手選択もありました。私にとっても反省の多い大会になりました」

そう言って椙原は悔しさを隠さないが、その一方で相反する気持ちもあった。

「ただ、あのチーム状態であそこまでいって、このままでいいんだと勘違いされても困りますからね。狛江さんとの9回裏も、二死からヒットとデッドボールで1、2塁になり、センター前ヒットで1点を返され、なお1、3塁。その後、内野安打で追いつかれたんですが、それまでに1、2塁でワンヒットが出たときに1塁ランナーを3塁に進ませない守備練習をやってきていたんです。それができずに3塁に進塁を許してしまった。『練習ってなに?』ということですよね。次のミーティングは長くなりましたよ」

だが、そう話す椙原の顔は、どこか楽しそうな表情に映った。確かにミスも多かったが、自分たちの良さをしっかりと表現できていた。椙原も「やっぱり試合って大事ですね。経験させることの大切さを改めて感じました」と振り返ったように、生徒たちは試合を重ねるごとに成長の跡を見せてくれた。

「前向きな失敗をしろ」

椙原も生徒たちの成長を促すため、目の前の勝利を追いかけながらも“仕掛け”を施しながら戦っていた。

たとえば東洋との一戦では打席で前に立たせたり、守備のポジショニングをラインに寄せたりという指示こそ出していたが、「やることをやって前向きに失敗すること。前を狙ってアウトは構わない。意味のない試合にするな」と言って、1巡目は選手に任せている。うまくいかずに、その先は椙原が采配を揮ったが、負けたら終わりの中で生徒主体で自分たちの野球を考えさせた。

杉並戦では代走が考えられる場面で、「ここで、誰が代走に行くんだ?」とベンチメンバーに投げかけ、アピールを求めた。

椙原は普段から生徒たちに自己主張をさせる。チャンスやレギュラーの座は待っていても手にできない。自分で見つけ、自分で作らなくてはいけない。それは野球部でのことに限らず、その先の人生においても同様で、そのことを今から知って、経験してほしいからだ。

「秋で言えばショートのレギュラーの金子塁登は守備は良いけど打力は苦しい。そうなると代打が必要になる。塁に出れば代走が必要になるかもしれない。その後の守備に就く選手も必要になる。そうしたことを考えて、自分を客観視して、どう努力するかを決める。そして、アピールしてチャンスを摑んでほしい」

秋の大会後のオープン戦は、生徒にとってその絶好の機会となる。大会で出場が少なかった生徒、ベンチに入れなかった生徒を中心に起用され、ポジションも一度シャッフルされるのだ。

質問攻めで自主性を育む

ある日のオープン戦では、こんなやりとりが見られた。試合途中、采配を選手に任せて監督室にいた椙原のもとに秋はベンチに入れなかった2年生投手の山川隼がやってきた。

「次の継投、どうしましょうか?」

との伺いに椙原はいつもの調子で「どうしたいの?」と尋ねる。山川は、

「投げたいです」

と、ひと言。椙原の「で?」との返しに、窮してしまう。「いいよ、4回から」と椙原が助け舟を出すと、

「はい」

と、返事のみ。椙原はふたたび「で?」と問う。やはり山川は質問の意図がつかめない。「何回まで投げるの?」との椙原の声に、

「4回から6回です」

椙原はまだ終わらせない。「6回まででいいの?もっと投げないの?」との提案に、「はい」とにこやかに答えて山川はグラウンドに戻っていった。「もっと投げます」と言ってほしかったのかもしれないが、その姿を見送る椙原の表情も実に柔らかいものだった。

部訓「気迫は技をも制す」
部訓「気迫は技をも制す」

椙原が生徒の保護者に最初に約束する言葉が思い出された。

「3年間で大人と対等に話ができる子にします」

椙原は監督としても、教育者としても、生徒たちと本気で向き合っている。生徒たちは、そのスピードは異なっても、確実に成長している。

秋のオープン戦を終えると、椙原が「人間は誰しも追い込まれると本性が出ます。ツラい練習で彼らを追い込んで、素の部分を引っ張り出します」と笑う、冬の練習が待っていた。

(第5回へ続く)

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