アルペンスキー金 村岡桃佳が語っていた「恐怖心」 | FRIDAYデジタル

アルペンスキー金 村岡桃佳が語っていた「恐怖心」

北京パラリンピック2022 3度目の大舞台で「金3、銀1」という快挙を成し遂げた選手団の主将

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
満面の笑みでポーズを取る、競技後の村岡。(写真:時事通信)

「(中盤のチェックポイント付近で)片方のコンタクトレンズが落ちました。ゴーグルの中に『あっ、ここにコンタクトがある』と思いながら滑っていました」

3月6日に行われた北京パラリンピックのアルペンスキー・女子スーパー大回転(座位)。まさかのアクシデントに見舞われながらも金メダルを獲得したのは、村岡桃佳(25)だ。前日5日の滑降(座位)でも金、翌日7日のスーパー複合(座位)では銀メダルを手中に収め、メダルは計3個に。さらにアルペンスキー女子大回転の座位でも金メダルを獲得。平昌で5個のメダルを獲った日本のエースは、北京でも選手団主将として堂々の成績だった。

「村岡がこのレースで破ったドイツのフォルスター(26)は’18年の平昌でもメダルを争った最大のライバルです。事実、翌日のスーパー複合ではフォルスターが僅差で村岡のタイムを上回り、金メダルを獲得しました。アルペンスキーはライン取りが重要なスポーツで、そのうえ北京は屈指の難コースでした。ライバルが好タイムを出すなか、コンタクトレンズを落としても冷静さを失わないメンタルは驚異的です」(スポーツ紙パラリンピック担当記者)

「途中で一瞬、何も見えなくなった」とレース後に語った村岡だが、練習で積み上げた経験と感覚で持ち直し、平均時速90㎞を超える急斜面を滑りきった。座位でのスキーは、立って滑るよりも目線が雪面に近く、体感速度が上がる。それゆえ、転倒の恐怖に打ち勝つ精神力が必要とされる。高速系種目に分類される滑降とスーパー大回転で勝った村岡だが、もともとは恐怖との闘いがあったという。

高校在学中の17歳でソチ(’14年)に出場した際は、大回転で5位入賞したものの、滑降には出場できず、スーパー大回転は途中棄権という結果だった。だが、早稲田大学に進学した後の平昌では、滑降で銀、スーパー大回転で銅と表彰台に。出場5種目すべてでメダルを獲得した。

「村岡はトップアスリートにしては珍しく、自分が極度の人見知りやあがり症であることなどを明らかにしています。また、『アルペンスキーは常に怖さとの闘いだった』と語っているように、ソチから北京に至るまで、転倒して大怪我を負うかもしれないという恐怖心を抱えながら大一番に挑んでいるようです。その一方で、誰よりも負けず嫌いであることも公言しています。エースとして期待された今大会はプレッシャーも大きかったはず。負けたくないという気持ちが、ギリギリで怖さを上回った結果なのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)

平昌五輪後の’19年、車いす陸上競技への挑戦を決意した村岡は東京パラリンピック代表に内定。大会延期というイレギュラーに見舞われながらも、100mで6位入賞を果たした。半年後の冬の北京への影響が懸念される「二刀流」の挑戦を裏付けたのも、持ち前の負けん気だったという。

村岡の早大入学時、スキー部監督を務めていた倉田秀道氏はこう言う。

「今回、彼女がスタート台に立ったとき、すごく落ち着いているように見えました。東京パラでの二刀流を経て、自信がついたのでしょう。早大のスキー部にパラアスリートが入るのは初めてで、入学にも紆余曲折ありました。私は『大学に入ったらつらいことも多くなるが、自分で道を切り開けるか』と彼女に聞きました。すると、『私は早稲田に行きたいと思ったときから、自分で切り開いていこうと思っています』と答えた。そしてその後、陸上への挑戦までも果たし、結果を残しました。困難を乗り越えてきた自負と、当時から変わらない高い意識が、一歩引いてしまう恐怖心を乗り越える原動力になっているのでしょう」

村岡のさらなる活躍が楽しみだ。

東京パラ陸上100mでは6位入賞。当初は出場が目標だったが、実力をメキメキとつけて日本記録も樹立した

 

『FRIDAY』2022年3月25日号より

  • 写真時事通信社

Photo Gallery2

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事