イチローの指導を実現させた國學院久我山の「奇跡のラブレター」 | FRIDAYデジタル

イチローの指導を実現させた國學院久我山の「奇跡のラブレター」

21日の有田工戦でセンバツ初勝利を目指す國學院久我山に密着

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昨年11月29日、イチローから直接指導を受けた国学院久我山高校(写真:共同通信)

昨秋の東京大会で優勝し、11年ぶり4回目のセンバツ出場を決めた國學院久我山高校は1回戦の相手が21日有田工(佐賀)に決まった。「進学率100パーセント」として勉学でも名をはせる同校は昨年11月、メジャーリーグで数々の足跡を残したイチロー氏の直接指導を受けたことで話題になった。イチロー氏を招くにあたり、1年越しの奇跡の物語があった。

31歳の尾崎直輝監督は当時を振り返って、こう目を細める。

「出会えない人に出会っちゃった感じです。御縁をいただきました。実は、世代を超えた1年がかりの大プロジェクトでした。行動を起こせば何かが起きるということですね。何かが起きなかったとしても後悔はない。思い立ったら即行動ですね。本気で動いた時は人の心に訴えるものがある。それをつくづく感じています」

1年越しの「願い」が届いた

國學院久我山高校(以下久我山)がイチロー氏の指導を受けたのが2021年11月29日。話は更に1年前、2020年秋に遡る。今回、チームをリードする上田太陽主将(2年)の一つ上の代のことだ

秋季東京大会で久我山は城北に17対18と大量失点して敗退した。しかも1回戦という屈辱だった。

この3月に久我山を卒業するレギュラー野手だった田村優樹さんは、以前、接点があったイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐)に、手紙を書くことをふと思いつく。

「秋季大会で12点差をひっくり返されての大敗で、失意の中、助言を求めて手紙を送ったようです」

村木憲部長が回想する。

尾崎監督が相談を持ち掛けられたのは冬だった。

「言い出しっぺの田村が相談に来ました。田村自身もヒットメーカーでイチローさんに憧れていた。手紙をイチローさんの知人の方に託せるタイミングがあるので、手紙を書いてもいいですかと」

尾崎監督自身は慎重な性格。イチロー氏は当然、近い存在でもない。そんなに上手くいくものなのかと思っていた。

「渡せるかも、という仮定の話でした。世の中の高校生みんなが書いてるかもしれない。知り合いの方も、イチローさんとどういった関係の方なのか定かではなかった。責任もあるし、気を付けて書きなさい、と(田村に)話をしました」

31歳の尾崎直輝監督は小学校時代に、当時オリックスで活躍したイチロー氏の試合を観戦。指導に来てくれた日は質問攻めにして、その熱心さに、イチロー氏は『この監督すげぇ』と評したという(撮影:村田克己)

それが、書いてみるものだ。田村さんの代にあたる当時の2年生全員が書いた手紙は幸いにも知人を介してイチローさんに渡る。

春を超えて夏を迎えたころ、吉報が舞い込む。「行くかもしれない」とマネジメント会社から返事が来たのだ。“かも”というのはイチロー氏は日本が拠点ではなく、その時、すでにメジャーのシーズンのために渡米していたからで、次のオフシーズンに行けるかも、という数ヵ月以上も先の話だったからだ。

お互いのシーズンが過ぎていく。数ヵ月が経ち、田村さんの世代は夏の西東京大会で準優勝。高校野球生活を終えていた。

「書いて出したことすらも忘れているタイミングで、イチローさんからの返答が来たんです」

イチロー教室が実際に行われたのは晩秋。1年前、屈辱の1回戦敗退を喫した秋季東京大会を見事、優勝で飾り明治神宮大会も終了していた。

「田村たちは負けちゃいましたけど、イチローさんは彼らの試合もネットで見てくださったようです。実際に指導を受けたのは2年生以下でしたが、3年生も参加して写真も撮った」

尾崎監督が小学校1年生の時、オリックスは〝頑張ろう神戸〟で優勝しているという。日本ハム対オリックスのゲームを見た東京ドームの空間は鮮明に覚えている。

「2年生で少年野球チームに入ったんですが、オリックスの帽子を被っていった写真をイチローさんに見せたら、喜んでくれました。
 選手たちにとってイチローさんはもう晩年ですが、僕からしたらオリックスの振り子打法、マリナーズの絶頂の時を見ている。テレビをつけたらイチローさんを見ていた」

正真正銘のイチロー世代。一番、テンションが上がっていたのが実は監督だった。イチロー氏のスパイク、ランニングシューズを凝視し、そして、横にくっついて質問攻めにした。

「何から何まで聞き続けちゃいましたからね。選手が質問に来るんですが、『監督に全部、話しているから監督に聞いて』と。選手はイチローさんから聞きたいのに、申し訳なかった(笑)」

イチロー氏は熱心な監督を『この監督すげぇ』と評したという。

『この学校の雰囲気が好きだ』
『野球に対する情熱が気持ちいい。そういう人が好きだ』

そんな感想も残したそうだ。

イチロー氏はもらった手紙を、『シアトルの大事なものを入れている引き出しにしまっている』とスポーツ番組の中で言っている。

取材日に熱心に行われていた投内連携の挟殺プレーの練習(撮影:村田克己)

「悩んでいいんだ」

かたや、久我山野球部員がイチロー氏からもらった宝物がバットだ。フリーバッティングで使ったもので、練習が終わって帰りかけて、「あ、忘れてた。これを」と置いていったのだという。

「『これがあったら俺だと思いだすでしょ。教えたことは忘れないでしょ』と。打っていいですかと聞いたら、柔らかい素材で折れちゃうから素振りならいいよと」

尾崎監督が破顔しながら言う。いつも、守り神のようにバックネットに立て掛けている。寝かせることはない。それは道具を大事にするイチロー氏に倣っている。

アドバイスをもらった選手は何を得たのか。上田主将に聞いた。

「個人的なことですが、大会中、チャンスで打てなくてチームに迷惑をかけていて試行錯誤していたんですが、『結果が出ない時に考えたり悩んだりするのはいい』と仰ってくださいました。言われた時は気が楽になった。悩んでいいんだと。

イチローさんがやってきたオリジナルを教えてもらった。それは僕たちが知らなかったこと。走塁もバッティングも、自分一人じゃわからないものも、周りの人に聞いたり教え合ってやってます。練習の取り組む姿勢が変わったと思います」

都内でも有数の進学校のため、19時が完全下校で練習時間は3時間ほど。グラウンドもサッカー部と共有する。訪問した日はサッカー部が6時15分に練習を終えると、そこから予定になかったフリーバッティングを始めた。ほんの少しの時間でも無駄にしない。限られた環境の中で、どう工夫するかを考えている。

投内連携の挟殺プレーの練習の途中では輪ができた。監督が選手に指示を出すのではなく、ランナーからアイディアが出て確認しているのだ。こうして自分達のオリジナルを作っていく。尾崎監督はこう説明する。

「あらゆる立場から意見を言う。主力、補欠は関係ない。上手い下手は別にして、思ってることを伝えて欲しい。メンバーに入るのは18人だけど、その他の者も久我山のユニフォームを着てこの環境にいる。全員にチャンスがあって戦力だと言ってます」

これが尾崎監督のいう久我山の全員野球なのだ。

教えたことをやらせるだけではなくて、選手のいいところを引き出すこと。そのためにいいスタッフを集め、監督の指針を出しながらそれぞれのコーチ、トレーナーの専門性を大事にしてきた。

並行して、2013年に就任した時から尾崎監督は、竹田利秋・国学院大総監督にアドバイスも受けてきた。東北高、仙台育英で監督時代に甲子園に何度も導き、佐々木主浩、嶋基宏といったプロ選手も数多く育ててきた名将に頻繁に電話をかけては練習の意図、心構えなど疑問をぶつけ吸収してきた。そこに志が高くて、野球をやり込みたい選手が集まって一気に火がついた。

「甲子園で勝てなかったのが久我山でしたが、2019年に勝って新しい歴史がはじまった気がします。以前は格好をつけていた。甲子園に行った代は汗をかくことをやりだした。頭のいい子が泥臭いことをやったら強い。本気にやればこういうことが出来ると。自分達次第だということに気づいたと思う。

今の2年生は甲子園の勝利を見て入った学年なので、行くことが前提で動くんですよ。10分間は自由に使えるとしたら昨日、教えたことをやり始める。そういう貪欲さ、向上心、探求心がある」

上田主将のひとつ上の学年にあたる3年生がイチロー氏に手紙を書いたことは知らなかった。

「プレゼントというか、久我山の選手として生かせるのは3年生ではなくて2年と1年なので。体現できるように頑張りたい」

過去3度のセンバツでは1度も勝利はない。初勝利で新たな歴史の扉を開き、快進撃につなげることが、本気になってイチロー氏を呼んでくれた3年生の思いに報いることになる。

キャッチボールの風景。本来、外野の位置にはサッカー部が使用している(撮影:村田克己)
練習中にグラウンドにも出されていたホワイトボード(撮影:村田克己)
撮影:村田克己
千葉ロッテマリーンズの井口監督も久我山OBだ(撮影:村田克己)
21日の初戦の相手は有田工(佐賀)。この試合に勝てば、久我山にとってセンバツ初勝利となる(撮影:村田克己)
  • 取材・文清水岳志撮影村田克己

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