秘蔵写真と証言で振り返る「志村けんさんの優しき素顔」 | FRIDAYデジタル

秘蔵写真と証言で振り返る「志村けんさんの優しき素顔」

三回忌 秘蔵写真と親族、友人、同級生らの秘話で振り返る…… 墓誌には「東村山市名誉市民 志村けん」という名前が刻まれ、愛車のキャデラックは千鳥・大悟が受け継いだ

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’18年4月、麻布十番の路上を歩く志村さんと美女。FRIDAYは麻布で女性と飲み歩く志村さんの姿を何度も目撃した

「弟が亡くなってもうすぐ3年目を迎えます。長いようで、あっという間に過ぎた日々でもありました。彼の残した会社や不動産の管理は私たち家族が引き受けていますが、麻布(港区)や三鷹にある彼の家は手つかずのままです。弟の死というのがあまりに大きく、体も気持ちも折り合いをつけるだけで精一杯でした」

そう語るのは、’20年3月29日に亡くなった志村けんさん(本名:志村康徳(やすのり)、享年70)の兄である知之さん(75)だ。

志村さんが亡くなり、まもなく三回忌を迎える。新型コロナの流行初期だったこともあり、大々的なお別れの会なども開催されなかった。別れの機会を持てないまま、いまも多くの人たちが国民的コメディアンの死を惜しんでいる。

知之さんが暮らす志村さんの生家には、志村さんの位牌が置かれた仏壇があり、その周りにはファンの人々から贈られた志村さんを描いた鉛筆画などが飾られている。知之さんが話す。

「いまでも自宅にはたくさんのヤッサン(志村さんの愛称)のファンの方が訪ねて来られますし、お墓にも多くのお供え物が置かれています。また、全国のファンの方々からはたくさんお手紙をいただいています。いまでは段ボール3箱分にまでなりました。地元の名産物を送ってくださる方もいるんです」

言うまでもなく、志村さんは多くの人から愛されていた。FRIDAYは何度も志村さんと美女たちとの逢瀬を目撃してきた。上に掲載したツーショットは、’18年4月に麻布十番(港区)で目撃したもの。二人は閉店間際の有名パン屋に立ち寄り、一緒にパンを選びながら、楽し気に話していた。店を出た二人は、そのまま近くにある志村さん行きつけのガールズバーへ入っていった。

「志村さんは麻布十番にあるガールズバーに、多い時には週3~4回通っていました。店の女の子と食事に行ったり、店に来る別のお客さんとも仲良くなったりしていました。志村さんが亡くなった少し後、店の壁には、店の女の子や常連客の寄せ書きが大量に貼りつけられていました」(志村さんの知人)

晩年の志村さんと頻繁に盃を酌(く)み交わしていたのが、お笑いコンビ『千鳥』の大悟(41)だ。一時は「週8回」一緒に飲むほどの間柄だったという。本誌は’20年7月10日号で、志村さんの愛車『キャデラック・エスカレード』を、大悟が受け継いだと報じた。当時、大悟は本誌の取材に「師匠のクルマを買ったのは事実です」と認めていた。事情に詳しい芸能事務所関係者が語る。

「購入代金は当初の予定では約500万円と言われていましたが、結局、諸経費もあわせて約750万円になったそうです。しかも大悟さんは運転免許を持っていません。それでも『師匠の車だったら』と現金一括で支払ったと聞いています」

多くの友人がいまだに志村さんの死を受け入れられていない。30年来の友人だった、女優の川上麻衣子(56)はこう語る。

「正直な話、まだ師匠が亡くなった実感がないんです。最後に会ったのは、亡くなる前の年の11月に、私が谷中(台東区)でやっている雑貨店に来てくれたときです。それからコロナの流行が始まって師匠に会えなくなっても、またいつか会えると思っていました。まさかあれが最後になるなんて思ってもいませんでした。コロナが収まったらまた師匠と会えるんじゃないかと思ってしまいます」

地元の友人たちも同じ気持ちだ。志村さんの小中学校の同級生だった角田英光さんが語る。

「年末になると彼が東村山に帰ってきて、私の家で朝までお酒を飲むのが毎年の習慣でした。それがなくなってしまったことの大きさは、言葉で表現することはできません。最近になってようやくテレビで流れる志村の芸を見て笑えるようになりました。それまでは、彼の映像を見ることもできませんでした」

この3月、知之さんは三回忌に向けて、志村さんが眠るお墓の隣にある「墓誌」に、「志村けん」という名前を刻んだ。知之さんが語る。

「東村山市から名誉市民という称号を贈っていただいたこと、なにより本名だけではなく『志村けん』という名前をどうしても残したかったのです。お墓にはヤッサンが大好きだった母親も一緒に眠っています。もしヤッサンが結婚して家庭を築いていたら、母親と同じお墓に入ることはなかったかもしれません。仲のよかった二人があの世でも一緒にいられるので、よかったと思います。
この間の2月20日のヤッサンの誕生日に、東村山市内のケーキ屋さんがケーキを届けてくれました。注文していないのに、弟の誕生日を祝うケーキを厚意で持ってきてくださったのです。身近な家族だけでなくファンの方々をとても大切にしてきたからこそ、志村けんとしていまでも愛されているのだと思います」

彼を愛した多くの人たちの心の中で、志村さんはまだ生きている。

東村山市の志村さんの生家にある仏壇。志村さんの写真と一緒に、大好きだった母親の写真が一緒に飾ってある
大悟が受け継いだ、志村さんのキャデラック。写真は、車の隣で志村さんが「アイーン」をしているところだ
墓石の隣にある志村家の「墓誌」。「瑞心院喜山健徳居士」という戒名や本名の横に、「志村けん」の名を刻んだ

『FRIDAY』2022年4月1・8日号より

  • PHOTO西 圭介(1枚目)吉田暁史(3枚目)

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