センバツ開会式順延に思い出す「30年前の歴史的な瞬間」 | FRIDAYデジタル

センバツ開会式順延に思い出す「30年前の歴史的な瞬間」

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
92年の甲子園、話題をかっさらった松井秀喜(AFLO)

歴史的な試合の目撃者になった

3月18日に開会式を迎えるはずだったセンバツ高校野球が、天候悪化につき延期になった。延期は30年振りというから稀有なことである。

30年前のその日、取材のため甲子園に行っていた私は、当時のことをまるで昨日のように思い出す。延期というアクシデントがあったことに加え、それがきっかけとなって歴史的な試合の目撃者になったからである。

30年前の1992年のセンバツ高校野球は、本来なら3月26日に開会される予定だったが、前日からの激しい雨で中止が決まった。翌日も鉛色の空から小雨が降っている寒い日であったが、結局一日遅れで開会式は決行された。

その日、関西の私鉄がストライキに入っており、朝の通勤時間には電車が走っていなかった。大阪から甲子園に行く場合、梅田から阪神電車に乗って甲子園で降りるのが一般的だ。駅の目の前に甲子園球場があり便利だからだ。

ところが、私鉄のストライキのため、この日甲子園に向かおうと思っていた人たちは、ちょっとしたパニックになった。JRは動いていたが、甲子園球場に一番近いJRの駅である甲子園口の駅はごった返しになった。駅から出るだけでも相当時間がかかったことを覚えている。構内のタクシーは出払っているために一台もない。そんななかを、母校を応援するためにはるばるやってきた生徒たちや関係者たちが黙々と歩いていたのだ。

3月下旬とはいえかなり寒かったが、歩き続けたおかげで汗まみれになった。1時間近くもかかってやっと甲子園に到着し、スタンドに腰掛けることができた。

ゴジラ松井誕生!

さて、そんな混乱ではじまったこの日の第一試合は石川県の星稜高校と岩手県の県立宮古高校の対戦だった。

宮古は三陸の中心部に位置する港町だ。センバツ選考になる前秋の東北大会に決勝まで進み、センバツ出場に選ばれたのである。30年ぶりの甲子園出場に沸く宮古高校と、当時から甲子園で勝ち続けることが目標であった星稜とでは、志は大きく違っていたかもしれない。

しかし、試合が始まってみれば、宮古が満塁で攻め続けるなど見どころがある試合となった。満塁まではいくのだが、最後のタイムリーが出ない。タイムリーが出れば面白い展開になったのだろうが、なんと1試合に4つもの併殺を食らって、ことごとくチャンスは潰された。

奮闘する宮古の前に立ち塞がったのが星稜の4番だった松井秀喜である。前評判が高かった松井ではあったが、今大会でその脅威は本物となった。左ボックスで構えた松井に真っ向勝負をした宮古の元田投手の球を一閃すると「カキーン」という金属音を響かせた打球は、ライナーでバックスクリーン横へ吸い込まれていった。

この3ランホームランは、宮古の応援団からも拍手が送られるほどの当たりだった。それだけでない。次の打席もホームランという偉業を記録したのである。松井はこの試合でなんと4打数4安打。2本の本塁打を記録し、打点7はセンバツの大会記録として最近まで残っていた。

試合は9-3で星稜が勝利したが、松井一人だけにやられてしまったという印象が強い。松井を敬遠すればもう少し接戦になる可能性もあったかもしれないが、正々堂々と勝負した試合は本当にすがすがしいものだった。

結局松井はこのセンバツで、宮古戦の2本を含めて3本のホームランを打った。開会式の延期というアクシデントに見舞われた波乱の大会だったが、松井の痛快なホームランというまた別の波乱によって、嫌なムードは晴れ、歴史と記憶に残る大会になったのだった。

アクシデントのある年は、名勝負と名選手が生まれる。そう考えると、今年のセンバツも多くのドラマが生まれそうで、いまからワクワクしてしまう。

「オラは甲子園でゴジラから2本の連続ホームランを打たれたんだ」

現在仙台で社会人生活を送っている宮古の元田投手は、いまでも同僚らと会うとそのように懐かしんでいるという。これぞ青春の思い出ではないか。

  • 吉田隆写真AFLO

Photo Gallery1

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事