目標は「箱根駅伝でジャイキリ」國學院大にいる雑草ルーキーの野望 | FRIDAYデジタル

目標は「箱根駅伝でジャイキリ」國學院大にいる雑草ルーキーの野望

3月13日、日本学生ハーフマラソンで優勝。FISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表に内定。勧誘されなかった青学大、東洋大の選手たちを抑えて歓喜した1年生、平林清澄の物語

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ゴール直後に笑顔を見せた国学院大・平林。2位に入り、新年度の主将をつとめる中西(左)と抱き合った(撮影:杉園昌之)

日本学生ハーフマラソン選手権は3月13日、東京・立川市で行われ、國學院大1年の平林清澄が1時間1分50秒で初優勝を飾った。6月26日開幕の大学世界一を決めるFISUワールドユニバーシティゲームズ(旧称ユニバーシアード)日本代表に内定した19歳は、初の世界大会に向けて「メダルを狙いたい」と意気込んでいる。今年1月の箱根駅伝では9区で区間2位の快走を見せるなど、いまや「スーパールーキー」の文言がしっくりくるものの、高校時代までは全国的に無名に近い存在だった。

1着をアピールするように左の人差し指を天に掲げ、優勝のゴールテープを切った平林は照れ笑いを浮かべて、フィニッシュシーンを振り返った。

「初めてゴールポーズをしたのですが、うまくいったかな? 福井県でもトップを取ったのは1回、2回だけ。全国大会では初めての1位。形に残せたのは大きな成長です」

非エリートから大化けしたランナーの原動力は、今も昔も反骨精神だという。

「ずっと見返してやりたいと思いを抱き、向上心を持って陸上を続けてきました。この感情は競技をする上でプラスに働いています。僕の中で大事にしているものです」

原点は4年前に初めて出走した福井県高校駅伝。各校のエースが集まる1区にエントリーされると、実績のない1年生を揶揄する声が耳に入ってきた。『美方高は負け覚悟のオーダーにしてきたな』。見た目でも判断されたのかもしれない。15歳当時の身長は160センチ前後、体重も40キロにぎりぎり届く程度。現在の168センチ・43キロよりもまだ小さい。体つきは中学生だったが、芯だけは今と変わらず強かった。

「しっかり見とけよと。これは絶対に勝つしかないなと思いました」

序盤からトップを走る選手に食らいつき、5キロ過ぎでは先頭に躍り出た。ラストで息切れして区間2位になったものの、大方の予想を裏切る結果だった。1位でタスキをつなげなかった悔しさを覚えつつ、周囲がざわついているのを感じて、無印の男はほくそ笑んだ。

「少しは見返すことができたかなって」

陸上競技を本格的に始めたのは高校生から。生まれ育った福井県越前市の白山地区では、毎日のように大自然の中を走り回っていた。遊び場はもっぱら山林。定番の鬼ごっこは山の中を駆け抜けるクロスカントリーの練習さながらである。難儀だったのは隠れんぼ。仲間を探し出すのにひと苦労するのだ。地元の小中学校までは約5kmの道のり。小学校4年生からヘルメットを被って自転車で通学し、ひと山超えるコースを6年間走り続けた。

「時間にして20分程度なのですが、アップダウンで足腰を鍛えられました。雨が降っても関係なしですよ。みぞれの日でも『痛い、痛い』と言って、三段ギアが付いた“ママチャリ”で頑張っていましたから」

当時、全校生徒33人だった越前市武生第五中の部活は、卓球部とバドミントン部のみ。両親ともにインターハイに出場した陸上経験者で小学生の頃から市民マラソンを走っていたが、陸上部を選ぶことはできなかった。ラケットで粘り強くシャトルを拾い、体力をつけた。陸上の大会に出場するようになったのは、中学校3年の頃。走ることが純粋に好きだった平林はバドミントン部との掛け持ちで、初めて福井県中学校記録会の3000m種目にエントリー。巷で強いと噂だった同世代の中学生ランナーが一緒に走ることを知ると、ふつふつと闘志が湧いてきた。

「初めての3000m走でしたが、絶対に負けたくなかった。ペースも分からず、気合で2000mくらいまでは付いていったのですが、ダメでした。『この選手には勝てない』と思い知らされたけど、『いつかは勝ちたい』という気持ちも抱きました」

このとき、田中悠登の名前は平林の胸にはっきりと刻み込まれた。同じ福井県の強豪私立で知られる敦賀気比高に進学し、エリート街道を進む田中には対抗心をずっと燃やしてきた。常勝軍団の青山学院大に進んでからも、意識する選手の一人だ。

「僕は昔からジャイアントキリングという言葉が好きなんです。周りに勝てる見込みがあまりないと思われる相手に挑んで、打ち負かしたいと思ってしまう」

日本学生ハーフマラソン選手権で軽快な走りを見せた平林

箱根駅伝の出場を目指して大学に進むときも、平林は優勝経験を持つ強豪大をあえて選ばなかった。スカウトされなかった名門を見返したい思いが重なり、國學院の歴史を変える挑戦に共感した。出雲駅伝の最終6区で逆転して初優勝を飾ったレースに感動し、アンカーの土方英和(Honda)には憧れを抱いた。駒澤大OBである前田康弘監督の情熱的な勧誘が琴線に触れた。

『大八木(弘明監督)さんに勝ちたいんだ。國學院で一緒に箱根の初優勝を目指そう』

熱血漢の言葉を信じた選択は、間違いではなかった。大学でめきめきと成長し、またたく間に学生トップランナーへ。箱根駅伝のインパクトだけではない。1年目から出雲駅伝の最終6区で区間5位、全日本大学駅伝でも7区で区間3位と他大学のどの注目ルーキーよりも駅伝で安定した結果を残した。それでも、前田監督からは手放しで褒められることはほとんどない。高校時代は全国上位から遠い場所にいた土方、浦野雄平(富士通)らを大学で鍛えて、トップランナーに仕立て上げた目利きからはハッパをかけられるばかり。期待の裏返しである。

「まだお前は何もやっていない。区間賞も取っていないし、日本代表にもなっていない。1年目だから騒がれているんだよ。周りに持ち上げられるだけの選手にはなるな。学生ハーフでは強さを見せて勝ってこい」

そして今回、指揮官からの厳しい注文にも文句なしの満点回答。同郷の同期である青山学院大の田中は14位、東洋大のエース候補である松山和希(2年)が3位につけるなか、2位以下に12秒差をつけて堂々の1位。2位で飛び込んできた國學院大の主将・中西大翔(3年)を抱き寄せて喜んでいた。

「ワンツーフィニッシュでも、トップは譲るつもりはなかったです」

野心をたぎらせる男はどん欲である。今後は長い距離の練習を増やし、マラソンの2024年パリ五輪代表選考会「グランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を狙うつもりだ。

前田監督は大きな期待を寄せている。

「ずっと努力をしているし、まだ底が見えない。あまりにうまく行き過ぎているのでどこかで壁に当たると思いますが、そこをどう乗り越えていくかです。これまで学生が取ったことのないMGC出場権を手に入れ、絶対的な存在にしてあげたい」

本人は個人としての飛躍だけではなく、入学前に誓った箱根初制覇の目標にも向かって走り続けている。雑草魂を胸に見たことのない頂点へ上り詰めていく。

メダルを手に笑顔を見せる國學院大・平林(右)と中西大翔
國學院大の寮内にて
  • 取材・文・写真杉園昌之

    1977年生まれ。サッカー専門誌の編集兼記者、通信社の運動記者を経て、フリーランスになる。現在はサッカー、ボクシング、陸上競技を中心に多くの競技を取材している。

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